自主企画 ― 2008年01月22日 23時43分46秒
いずみホール(大阪)の企画にかかわって、18年経ちました。そこで学んだことのひとつは、自主企画の大切さです。出来合いの公演に場を提供することもファン・サービスという観点からは必要ですが、それをいくらやっても、地域の文化作りにはつながらない。やはり、ホールが自ら企画を立て、音楽家や地域を巻き込んで公演を作っていくことが、長い目では大切になります。
そうした観点から見ますと、なるほどという良質な企画を打ち出しているホールのひとつが、東京飯田橋のトッパンホールです。ここにはトッパンホール・アンサンブルという、メンバーの固定しない室内楽グループがありますが、玄人好みの実力者がしっかりと選ばれ配置されていて、感心しました。ライヴのCDが2枚あり、お薦めです。
今年の初鑑賞として、11日に、「トッパンホール・ニューイヤーコンサート」に行ってきました。鈴木秀美さんの指揮する「チェンバー・オーケストラ」の演奏で、ハイドンの《太鼓連打》と、ベートーヴェンの《英雄》というプログラムです。その批評は毎日新聞(21日夕刊)に書きましたので繰り返しませんが、新鮮な発見と驚きに満ちた、まことにすばらしい演奏でした。
鈴木さんとオーケストラ・リベラ・クラシカのレベルの高さは、周知のこと。その鈴木さんとモダン・オケを組み合わせたらどうなるだろう、何か新しいものが生み出されるのではないか、と考えた主催者の発想が、殊勲賞です。まさに音楽文化の隙を埋める、有意義な企画。私もバッハで、このようなコンサートをやってみたいと思っているところです。
のんびりしたい ― 2008年01月23日 23時55分05秒
「少しはのんびりしたい」とおっしゃる方が、よくおられます。私もよく、そう思う。でも、最近考えるようになりました。「のんびりしたい」というのは、けっしてのんびりできない性格の人間が、空想的な願望として抱くものではないか、と。
こういうタイプの人(私を含む)は、のんびりしていると、不安になってくる。自分がやるべきことをやらず、自堕落になっているのではないか、という思いにかられる。だから「のんびりしたい」と思うことによって、自分はちゃんとやっている、という実感を得ようとする。違うでしょうか。
こう書きながら、「のんびりする」とはどういうことなのか、自分は理解していないような気がしてきました。不安になる、というようでは、本当にのんびりとはしていない、ということですよね。
ものごとをゆっくりやる、時間単位の生産性を落とす、という意味合いが「のんびり」に含まれていることは、間違いないと思います。でも、その代償として獲得されるであろうポジティヴな面は、どう考えたらいいのでしょう。のんびり上手の方に教えていただき、これからの人生に役立てたいと思います。
(注)四六時中仕事をしている、という風に読めますが、そういう意味ではありません。飲んでいても、ゲームをしていても、のんびりはできていない、という意味です。
疫病神 ― 2008年01月24日 21時59分52秒
国立に「赤川」というお寿司屋がありました。よくオフ会で使い、写真も載せていましたから、覚えておられる方もおありでしょう。ここが閉店して、もう2~3年になるでしょうか。
新宿に「雅」(まさ)という、信州料理の店がありました。たいへんおいしいお店で、柴田文彦さん、高澤秀幸さんの両親友と出会ったのがここ。ここもしばらく前、閉店しました。
勤め先からお昼を食べに出るとき、絶品だったのが喫茶店の「タイム」。富士山の水を使って調理するという、良心的なお店でした。ここの閉店は、去年だったかな。
朝日カルチャー横浜に行った帰りには、いつも、「げんこつラーメン」に寄っていました。これは大好きで、新宿や阿佐ヶ谷の店にもよく行きました。いまはどこも、別のお店になっています。
・・・というように、私の好きなお店の閉店が、相次いでいます。国立南口のスープカレー店やラーメン店もなくなり、コンサート帰りに寄るところがなくなって、立ち往生です。
こうも続くと、なんとなく、偶然ではないような気がしてきました。閉店と自分の間に、因果関係があるように思えてきたのです。現状ですと、「礒山の通う店はつぶれる」と心ない総括をする人がいても、あながち否定できないように思えます。
しかし、食事ができないのは困ります。仕事柄、お客さんをお連れできるお店も、盛り場ごとに1つは、欲しい。皆さん、ご存じのおいしいお店を、教えていただけないでしょうか。隠れた名店など、大歓迎です。さっそく食べに行き、気に入ったら通うことにしますので。
ロ短調学会(11) ― 2008年01月25日 17時04分31秒
「ロ短調学会」への補遺です。
《ロ短調ミサ曲》をめぐる問題のひとつは、この作品をどこまでルター派プロテスタント的なものとみるか、あるいはカトリック的なものとみるかということでした(この問題については、小林義武先生の『バッハ--伝承の謎を追う』(春秋社)に、詳しく論じられています)。もちろんそれが問題になるのは、ルター派の教会音楽家であったバッハが、カトリック的な相貌をもつミサ曲をカトリックの領主に捧げたという、特殊な事情があるからです。曲が畢生の大作であるだけに、ここをどう考えるかは、バッハ像の根本にかかわるわけです。
近年、バッハとドレスデン宮廷の密接な関係が認識されるにつれ、《ロ短調ミサ曲》をカトリック的なものと認める、という考え方が強くなってきていました。この曲の楽譜は、息子C.P.E.バッハの遺産目録に「大カトリック・ミサ曲die grosse catholische Messe」として出てくるのですが、この名称をそのまま使う人もかなり増えている状況でした。
「ロ短調学会」では、ロビン・リーバー氏が《ロ短調ミサ曲》のルター派的性格を改めて述べ、「大カトリック・ミサ曲」という呼称にある「カトリック」とは文字通り「普遍性をもつ」という意味で、ローマ・カトリックを指していない、と強調しました。ヴォルフ氏も同じ見解を述べていましたが、その「カトリック」を「ローマ・カトリック」と峻別することにはやや無理があるのではないか(つまり相当まで重なっているのではないか)と、私は思いました。
バッハの「宮廷作曲家」称号請願の意図や請願書の文章を、バッハが同じ年(1733年)に購入した『カーロフ聖書』から解釈する発表もありました(M.D.グリーア)。総じて、バッハ研究の世界ではプロテスタント系の発想がなお強いようです。この問題に関する私自身の考えについては、稿をあらためて。
母音の「あ」 ― 2008年01月26日 23時14分44秒
「すざかバッハの会」に通っているので、長野新幹線によく乗ります。あるとき、ふと気がついたことがある。それが、とても面白くなりました。何かというと、この線の地名・駅名には、母音が「あ」になるところが、すごく多いということです。
「熊谷」「高崎」は、4母音のうち3つが「あ」。須坂の近くには、「湯田中」というのもあります。「軽井沢」「佐久平」は5つのうち3つ。私の育った沿線の「上山田」は、5分の4。「長野」「須坂」「中野」は3分の2。「安中榛名」に到っては、7分の5。ずいぶん多いと思われませんか?日本語がそもそもそうできているのか、この地域の特徴なのか、単なる偶然なのか、興味があります。
名前はどうだろう。私は「いそやまただし」で、7分の4。学会の前任者である金沢正剛先生は、なんと8分の8。皆川達夫先生は、私と同じで7分の4。キャスターの赤江珠緒さんは6分の4--関係ないか。
占いで、母音を手がかりにするものがあるかないか、わかりません。しかし、「あ」の占める率が高い土地は将来性があるとか、率が高い人は明朗快活であるとか、何か因果関係があるのではないかと、考え始めたところです。
名勝負 ― 2008年01月27日 23時38分35秒
今日の白鵬VS朝青龍戦、すばらしかったですね。両者の風格といい、にらみ合いといい、四つ相撲の力戦といい、往年の大横綱の一番に劣らない、みごとな勝負でした。今日国技館で観戦した人は、一生記憶に残ることでしょう。
こんな日には、無類の相撲好きだった父親のことを思い出します。もう30年前に亡くなりましたが、相撲を見るときは、テレビの前で力が入り、前のめりになったり、うなり声を出したりしていました。初代若乃花の大ファンで、負けたときは本当に、がっかりしてしまう。あまりそれが純粋なので、私は一生懸命、栃錦を応援していました(笑)。父が生きていたら、今日はどっちを応援しましたかね。ちなみに私は、白鵬を応援しました。
最近読んで面白かったのが、高島俊男さんの『お言葉ですが・・』という本(文春文庫)。週刊文春の連載が終わってしまい、残念だったので、文庫シリーズの1冊目から読み始めました。マスコミで気づいた言葉の誤用・濫用をきっかけに、正しい日本語、美しい日本語について、歴史をさかのぼりながら考えるという本です。その中に「年寄名は歌ことば」という項があり、相撲の年寄名には、よりぬきの美しい日本語が揃っている、という。なるほどそうですね。「高砂親方」その他、放送に名前が出てきたとき、純粋に言葉を考えてみてください。
相撲、上昇機運ですね。悪いツキを使い果たした効用です。評判の悪かった私の「ツキの理論」が立証されました。
(付言)先日の「たのくら」コンサート、写真を公開します。「コンサート」のカテゴリからお入りください。
むずかしい二人称 ― 2008年01月28日 23時34分31秒
高島さんの本に、「日本語に二人称なし」という項がありました。日本語には二人称がなく、あらわすには、ほかの言葉を使う。知らない人や目上の人をあらわす二人称がないことでは、不自由する場合もある、と書いてありました。
なるほど。メールでも、目上の人に「貴兄」じゃおかしいし、さほど親しくない女性に「貴女」じゃなれなれしいし・・。それ以上に考え込んだのは、カンタータや受難曲、あるいはドイツ歌曲の歌詞を訳すとき、この問題でいつも困っていた、と思い当たったからです。
話をバッハのドイツ語歌詞に限りましょう。歌詞のように、少ない言葉で一語一語の意味をもたせている場合、意訳には限度があります。日本語の流れに持ち込んでしまえばわかりやすいことは確かですが、もとの単語が音楽によって生かされている場合などには、ピントがぼけてしまう。かといって単語対応を丹念に生かすと、文意が取りにくくなりますし、読む人が読むと、「こんなものが日本語か」と感じることになりかねません。
最重要単語の1つ、Gott。呼びかけの場合、敬語の発達した日本語で、「神」ということはまずないでしょう。「神様」です。Jesus。「イエスは彼に言った」とはいわず、「イエス様は彼におっしゃった」ですよね(「彼」も変ですが、ここはがまんしてください)。でもドイツ語は Jesus sprach zu ihm で、どちらも同じです。
"mein Gott"、"mein Jesu(s)"というのも、よく出てくる。この場合はどうでしょう。単語対応させれば「私の神」「私のイエス」ですが、日本語ではまず、そう言わない。「私の」を付けない方が自然です。「私の」であることが前後から明瞭な場合には、付けるべきでないと、会話や説明的な文章の場合には、言うことができる。妻を紹介するとき、向こうなら「マイ・ワイフ」(マイネ・フラウ)ですが、日本で「私の」と付けたら、変ですよね。
ところが、この"mein"に気持ちがこもっていることが、歌詞ではよくあるのです。”Mein Jesu, gute Nacht!"は、「イエスよ、おやすみなさい」と自然に訳すか(一般化されるので「気持ち」は出なくなる)、「私のイエスよ、おやすみなさい」として気持ちを出すか、むずかしいところです(「イエス様、おやすみなさいませ」というのもありでしょうか)。パーセンテージのかなりを占める所有形容詞を、訳すか訳さないか。いつも迷い、そのときの判断でどちらもありにしている、というのが正直なところです。
代名詞もむずかしい ― 2008年01月29日 22時27分21秒
翻訳のむずかしさの続き。劣らず問題なのが、3人称の代名詞です。ドイツ語ではしきりに「彼にihm」「彼らにihnen」と言った言葉が出てきますが、これらは明治時代に翻訳語として使い始められた言葉だそうで、今でも、あまり日本語的ではありませんよね。よく使う、という人は、少ないと思う。訳文では、どうしたらいいでしょう。
第106番という、有名なカンタータがあります。最近私も入念に研究して、コンサートをやったばかりです。
この曲の歌詞は「神の時は最良の時Gotteszeit ist die allerbeste Zeit」と始まります。しかし「神」という言葉は後半のアルト・アリアまで出ず、この先はずっと、代名詞で受けているのです。直訳すると「彼において私たちは生き、動き,存在する、彼の意図されるかぎり。彼において私たちはしかるべき時に死ぬ、彼の意図される時に」となります。
でも、神を「彼」って、おかしいですよね。「あのお方」というのもわざとらしいので、代名詞をやめ、全部「神」としてしまうと、一応すっきりする。しかしバッハは、初め一度(ソプラノだけ二度)「神Gott」の語を歌わせるだけで、あとは、意図的にやめているのです。「彼ihm」はいくらでも反復するのに、です。バッハはこのように「神」という言葉を敬い、温存して、テノールのアリオーソからは、「主Herr」という言葉を投入する。そして、劇的な四重唱のあとのアルト・アリアで、「主よ、まことなる神よ」と歌わせ、神の認識に立ち戻ります。こうしたすばらしい趣向が、日本語らしい訳文を作る感覚と、衝突してしまうのです。
言葉の反復の仕方は、バッハの言葉と音楽の関係を見ていく上で、大切でわかりやすい指標になります。興味のある方は、調べてみてください。
旧著の見直し ― 2008年01月30日 23時05分25秒
翻訳のむずかしさについて書いたのは、拙著『マタイ受難曲』(東京書籍)が増刷していただけることになり、全体を見直して、訳にも多少の修正を行ったためです。細かいことがいくらでも書いてある本で、途中で退屈し、居眠りしてしまいました(笑)。大勢の方がよくこれを読んでくださっているものだと、驚くやら、ありがたいやら。一般の方には不必要なことも多いかと思いますが、執筆も学者の職責のうちなので、学術書として認めていただくために、どうしても専門的な情報の記述は必要なのです。好きなだけ書いていい、と言ってくださった東京書籍に感謝します。
年と共に文献は増えますし、CD、DVDも出てきます。今回、ページ構成を動かさない範囲で、なんとか、補遺を滑り込ませました。CDでは一貫してレオンハルト盤を推薦していますが、今回聴き直して、アーノンクールの3度目の録音が、じつにすばらしいという印象をもちました。最高の歌手をずらりと揃えながら、指揮者の統率で、言葉のメッセージに強く集中した演奏になっています。たいへんな貫禄。純粋古楽の様式ではもはやありませんが、古楽とモダンの接点を追究したいと思っている私には、とても勉強になりました。
足らざる情報、欠けている勉強を何とか補いつつ、前進しています。
2月のイベントご案内(1) ― 2008年01月31日 20時59分42秒
2月の活動について、ご案内させてください。
まず3日(日)。私の育った松本のザ・ハーモニーホールhttp://www.harmonyhall.sakura.ne.jp/で、松本市制志向00周年記念企画として、「松本バッハ祝祭アンサンブル」のコンサートが催されます。といっても地元の団体ではなく、小林道夫先生の指揮/チェンバロを中心に、古楽の優秀なメンバーが集まって、今回のために結成されたオーケストラ。コンサートマスターは桐山建志さんです。14:00からで、演奏されるのは管弦楽組曲の全曲。
ここでトークをするのですが、目下、たいへん困っているところです。なぜなら、管弦楽組曲はわかりやすい上に、解説するネタがないのです。なにしろ、作曲年代も、初演の場所もわかっていない。《ブランデンブルク協奏曲》とは大違いです。やる以上は、来てもらってよかった、とどうしてもしたいですから、何とか、やり方をみつけるよう考えます。
ザ・ハーモニーホールは756席のとてもいいホールで、オルガンもあります。本格的な自主企画が並んでいるのは、ホールのスタッフ、中澤秀行さんのがんばりのたまもの。「100円コンサート」などという企画もあり、バッハにも力を入れてくださっています。
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