ロ短調学会(9) ― 2008年01月11日 11時51分24秒
司会者から日本の会長だの、著作がどうだのという紹介を受けるに到っては、開き直って、堂々とやるのみです。ペーパーは。4部構成。「日本における《ロ短調ミサ曲》の初演」(昭和6年における日本初演のいきさつ、実際、評価など)、「〈クルツィフィクスス〉の部分初演」(明治23年〔!〕に東京音楽学校の行った演奏をめぐって)、「バッハ受容のさ中で」(紹介記事や作品論をバッハ受容史とからめて概観する章)、「普遍性をめぐる視点」(「普遍性」という視点がどのように形成されたか、またそれが日本人の同曲受容にどのような意味をもつかを論じた章)の順序で、映像なども使いながら、話を進めました。
出来映え、反響は人様の判断すべきことですが、自分としては納得し、満足しています。私の錯覚でなければ、聴き手の方々に、少なからぬ関心と敬意を喚起できたと思います。質疑応答ではさすがに英語が破綻してしまいましたが、今の実力では、それは仕方のないこと。夕食後、達成感にひたりつつ、クロージング・コンサートを聴きました。教会で、John Butt指揮、The Dunedin Consort and Players(小編成のピリオド楽器アンサンブル)による全曲演奏を聴いたのですが、はじけるような生気にあふれていてすばらしく、元気をもらいました。
ふたたび大学へ戻り、富田さん以下スタッフの心づくしを受けて、打ち上げパーティ。われわれ日本人組は途中でホテルに引き上げ、絶品のギネスを飲みながら、さまざまなことを語り合いました。途中鈴木さんも加わり、大いに盛り上がった一夜でした。
ロ短調学会(10) ― 2008年01月12日 20時35分17秒
私は東京生まれなので、大都会の雑踏は好きです。ロンドンは、じつににぎやか。いいところで夕食をし、自分を褒めてあげたいと思ったのですが、結局は三越のレストランで、ワインと冷や奴、という程度になりました。飲みながらつくづく思ったのは、来てよかった、ということです。それも、単なる聴講ではなく、発表をしてよかった。準備もたいへんでしたし、プレッシャーもありましたが、発表をしたからこそ、これだけ勉強になった、と感じています。やはり困難なことにチャレンジすることで、先が開けます。私の年齢でもそうなのですから、若い人たちには、ぜひ、挑戦することの価値を知っていただきたいと思います。今回の成果は、私の力以上に、いろいろな方の協力によって得られたものです。しかしそうした応援をいただけたのも、挑戦したからではないでしょうか。
食後、ロンドンを歩きました。テムズ川の橋の上に立ったのは10時過ぎ、人通りもまれな時刻でしたが、ライトアップされた国会議事堂は圧巻で、こわいぐらい。これが旅行中、一番印象に残る眺めでした。
6日は、朝1時間だけ、ハイドパークを散歩。写真は、そこにいたリスちゃんです。成田着は7日の朝、へとへとでしたが、その夜いずみホールでオルガン・コンサートがありましたので、直接大阪へ。終了後、すばらしい演奏をした好漢、ミヒャエル・シェーンハイト氏と、京橋で祝杯。速射砲のようなドイツ語を深夜まで浴び、翌日は立ち上がれませんでした。
当家の犬 ― 2008年01月13日 23時06分09秒
「ロ短調学会」の連載が長くなりました。そこで明らかになった研究の動向や私の感想についてもぜひ書かなくてはならないのですが、どうもブログが重くなってしまったので、このあたりで気分転換をしましょう。もともと、そんなに内容的なものにするつもりもありませんでしたので。
当家の愛犬、ルルです。名前から、音楽関連の方はベルクのオペラを、それ以外の方は風邪薬を連想されるそうですが、次女渓子の直感的な命名によります。ポメラニアン、3歳、メス。3kg弱の超小型犬です。毛がふわふわで抱くと気持ちがいいのですが、しばしば持病の発作を起こし、長生きはむずかしそうです。
ブログを始めたことをある団体の方にお知らせしたところ、「歯に衣着せぬ音楽論がまた味わえます」と告知された由。そんなに遠慮なく書いていましたっけ?
「たのくら」コンサート ― 2008年01月14日 22時51分25秒
私の活動の柱のひとつに、「たのくら」があります。正式名を「楽しいクラシックの会」といい、月一度、立川市の錦町地域学習館に集まって、音楽の勉強・鑑賞をしています。なんと、今年で21年目。年1回のコンサートと親睦旅行が、会員の楽しみです。
今年度は初期バロックを採り上げていましたので、コンサートも「初期バロックの名曲を聴く」というものになりました。出演は、大塚直哉(チェンバロ、イタリアン・ヴァージナル)、鈴木美登里(ソプラノ)、荒木優子、景山裕子(ヴァイオリン)という豪華版。カッチーニ、モンテヴェルディ、フレスコバルディ、フローベルガー、シュッツ、ビーバー、チェスティその他いろいろな作品が演奏されます。
コンサートは、1月17日(木) 午後2時から、場所はアミュー立川です。ずっと1000円でやってきたコンサートですが、今年から2000円になりました。しかし礒山のブログを見た、と言えば、1500円にしてもらえます。ご来場をお待ちしております。
「いい人」 ― 2008年01月15日 23時43分52秒
「たのくら」の話を、もう少し。例会は、第2か第3土曜の午前10時から開かれ、時間のあるときは、近くのデニーズで、いっしょにお昼を食べます。節目ごとに作る「土曜日の朝に」という冊子が、もう3冊になりました。音楽美学の授業などでは冗談ひとつ言わない私ですが、この会ではリラックスして、和気藹々とやっています。なにしろ、会員がみなさん「いい方」なのです。
私は、「いい先生」だと言われたことはあるが、「いい人だ」とか「人がいい」と言われたことは、ほとんどない。割と良く言われるのは、「性格がいい」とか、「いい性格だ」とか。でもこの「いい」は、どうやら「悪い」という意味で言われているようなのです。たとえば、アンチ巨人の執拗な言動をさして、こう言われたりします。
辞書に出ていない使い方をするのは、正しい日本語の普及という観点から見ると、どうなのでしょうか。こういう使い方でもいいのならば、辞書の「いい」の項目に、きちんと書いてもらいたい。「⑧悪い。例文『先生はいい性格していますね』」という風に。でも外国人は混乱しますよ、きっと。
そんな話をするのも、「たのくら」の方々との違いを意識するせいです。12月に鎌倉へ行った帰り、バスの中で、ビンゴのゲームが行われました。手作りの紙にマス目を書き、そこに都道府県名を入れていく。9つのコマに都道府県名を入れるとしたら、皆さんはどんな風に並べられるでしょうか。(続く)
〔付記〕木曜日のコンサート、売り切れてしまったそうです。ご予定された方、申し訳ありませんでした。なお、「たのくら」に関するお問い合わせは、事務局のグスタフ(マーラー)さんまでお願いします。Gustav <gustav@mtj.biglobe.ne.jp>
両極端 ― 2008年01月16日 23時56分21秒
都道府県ビンゴの話。私は中央に三重県を据え、周囲を佐賀、山形、島根、大分、福井、徳島といった県で固めました。ゲームが始まり、前の座席から順番に、書いた県のひとつを言っていきます。同じ県を書いた人が、穴を開けられる。まず私が「三重県」というと、書いた人は誰もいない。よし、真ん中が開いてリード!
ところが、勝負が付くまで、私の穴はひとつも増えなかったのです。「北海道」「京都」「東京」「埼玉」という感じで、ゲームはどんどん進んでいく。そこでわかったのは、参加者の大半が中央に「東京」と書き、周囲を、埼玉や神奈川のような近隣の県か、京都、大阪といった有名府県で埋めている、ということでした。私は呆然。意識に上りにくい県でひねった構成をしたのは、私だけだったのです。
たしかに、人と同じに書けば開ける確率は増えるでしょうが、それだと、他の人も開けてしまいますよね。まあ私も、作戦として自分の選択をしたわけではなく、反射的に、離れているところに頭をめぐらせたのでした。皆さんは、いかがでしょう(真剣)。
このクイズを出題したOさん(男性)は、私と正反対の性格で、善意と親切が洋服を着てはちきれんばかり、という方。この方の圧倒的なサービス精神で、会の娯楽は成り立っているのです。この方の前に出ると、私は、アンパンマンと対峙するバイキンマンのような気持ちになる。会の方々も、きっとそう見ているはずです。
Oさんの出題を見ていて気づいたのは、出題の中に必ずヒントが隠されていて、正解を答えやすくなっていること。私もクイズは好きでよく問題を作りますが、私はなんとか回答者を迷わせ、誤答させようとして、落とし穴を作ります。それが成功するところに、クイズの醍醐味がある(と思う)。まったく違う態度ですが、これってどちらが多数派なんでしょうか(真剣)。
ともあれ、自分と違う人に出会うのは、勉強になります。興味のある方は「たのくら」へどうぞ(笑)。
たのくらコンサート ― 2008年01月18日 00時34分04秒
2007年度のたのくらコンサート、立川アミューに満員のお客様を集めて、無事終了しました。初期バロック・オンリーの渋いプログラムにもかかわらず、市民の方々が大勢来てくださったのは、会が21年にわたって積み重ねてきた力だと思います。おかげさまで、純正な様式による古楽の美しい響きを楽しみました。
それにしても、大塚直哉さんのファンタジーわき上がるような通奏低音には、感服あるのみです。今回はアレンジもお願いし、おんぶにだっこになってしまいましたが、共演者に温かな配慮を注ぎながら気持ちのいい音楽作りをしていくお人柄には、頭が下がりました。遠からず、日本のバッハと呼ばれる方になることでしょう。最近の古楽の高いレベルを示してくださった共演の方々にも、御礼申し上げます。(鈴木美登里さんが、古いイタリア語だの、ラテン語だのの歌詞をきれいな対訳の形で提供してくださったのには、職業柄驚嘆しました。やはり、こういう能力あっての古楽演奏だ、ということですね。)
打ち上げを中座し、オペラシティで、コンサートをはしご。音楽三昧の1日でした。
〔付記〕写真、アップしました。モンテヴェルディ《オルフェオ》のプロローグ。赤の衣装で華々しく降臨した「音楽」の鈴木美登里さん、チェンバロの大塚直哉さん、ヴァイオリンの荒木優子さん、景山裕子さんです。
Oさんつながり ― 2008年01月19日 22時26分12秒
「今日は疲れたから、もう寝ます。お休みなさい」--こういう日もあり、という前提で狙っていた連日更新が、とぎれてしまいました。前回の更新が、夜の12時を過ぎてしまったためです。こういうところをごまかせないのが、ブログなんですね。 その代わり、エリコさんがトラックバックを入れてくださいました。「たのくら」コンサートについてです。併せてお読みください。
出演したチェンバリストが、Oさん。私と対極にある人格者が、Oさん。「すざかバッハの会」の会長で、コメントもつけてくださっている方が、Oさん。新しいコメントで「だって面白いんですもん」などとのたまわれた方も、Oさん。最近、まわりにやたらにOさんがいます。そう言えば、「I教授の家」で自主コンサートを催したとき、出演されたお二人はどちらもOさんでした。
話は飛びますが(笑)、私は部屋にいるときはたいてい、テレビを流している(たいていは音なし)。これだけテレビを見ていると、必然的に、女子アナに詳しくなります。私の見るところ、意外と悪くないのが、テレビ東京。そして、この局の二枚看板のアナウンサーが、どちらもOさんなのです。
第1のOさんは、ひじょうに完成された印象の方。経済の番組が多く、ジルベスターコンサートの司会もなさいます。ブログを見るとファンの書き込みが殺到していて、当然ながら、当室とは大違いです。
もう一人のOさんは、触れなば落ちんという感じの方で(穏当を欠く形容でしょうか、ごめんなさい)、お二人ともすばらしい。この方が司会をしている「メデューサの瞳」(水曜日深夜)というのが、私が今、いちばん面白いと思っているテレビ番組です。
4人の女性のうち誰が本物かを当てる、というタイプの番組は、昔からありました(今週は、38歳で孫のいる人は誰か、という出題でした)。しかしこの番組では、「メデューサ」と称する人間目利きが2人登場して、観察と、推測を披露する。メデューサになるのはホテルマン、ホスト、銀座のママさん、人材派遣業その他、人を見る目に自信があるという方々です。そしてわれわれは、彼らが正しく当てられるかどうか、正解であればそれにどのように到達したかを見て、楽しむのです。
それがまた、じつに良く当たる。たいていは、思いも寄らないところに目を付けています。シャーロック・ホームズさながら。私など、「人間観察」などというカテゴリを作っていてもまったく人を見る目がありませんから、教えられるところ大です。
今年の初審査 ― 2008年01月20日 21時10分53秒
昨日、今日は、合唱コンクールの審査をしてきました。モノは埼玉ヴォーカル・アンサンブル・コンテストの中学校の部(土曜)と、ジュニア・ユース・レディ・一般の部。場所は所沢ミューズでした。
いつもはたいへんに辛く、罪に罪を重ねているように思えて、もうやめにしよう、と何度も考えた審査ですが、今回はスタッフや審査仲間にも助けられ、楽しささえ感じる充実感で、仕事をすることができました。その過程で、自分の音楽の聴き方というものが、かなりわかってきた。審査に一定の客観性を与えるためには、自分の聴き方、自分の判断の傾向というものを認識することが、とても重要です。
それがどういうものか、書いてもいいのですが、今書くとこうした価値観で採点した、と宣言するのと等しくなってしまいますので、機会を改めて書くことにします。いずれにしろ、自分なりに説明のできる採点が、良かれ悪しかれやっとできるようになってきたかな、と感じています。
埼玉県は全国的にも合唱レベルの高い県で、いい演奏がいくつもありました。ここでは全体の順位とは別に、私的に印象に残った団体をひとつだけ、一般の部から挙げておきます。それは「コーロ・ピアチェーレ」というさいたま市のアンサンブル。彼らはミリケンという現代作曲家(豪)の〈キリエ〉を歌ったのですが、現代のテクスチャーからグレゴリオ聖歌の雰囲気が立ち上るように演奏されたのには驚きました。見事な洞察力。カップリングの武満徹も、心のこもった演奏でした。これは、ほんの一例です。皆様、お疲れさまでした。
私のメール事情 ― 2008年01月21日 23時11分08秒
電話は嫌い、ファックスは面倒、手紙は書かない、という人間なので、Eメールへの依存度が超高くなっています。
基本となるメーラーは、Shuriken Pro4。最近はGmailにも転送されるようにしました。携帯からはリモートメールで見に行けるようにしています。携帯メールは家族からしか来ませんから、携帯でEメールを見に行くのが習慣になっている。私に連絡を取るためには、結局、Eメールを入れるのが一番速いですよ(携帯電話は、出ないとき/出られないときが多いです。)
しかしリモートメールには、迷惑メールも全部入ってくる。そこで、出勤途中に手動で削除するのが日課になっています。やらなくてもいいとは思うのですが、ついこれも習慣で、100通ぐらいやる。ごくまれに、それによって救われるメールが出てくるから困ります。返信は、急ぐものだけ。親指入力には、なかなか習熟できません。
メールの振り分けを、いろいろ試してみました。先に細かくフォルダを作って自動振り分けする方法は、新しい到着メールが分散してしまうので、結局中止。今は、受信箱に入ったメールを、返信等の作業後、いくつかのフォルダに保存するようにしています。過去メールは、「2005」「2006」というフォルダを作って収納。これは、検索の便を考えてのことです。各フォルダを横断検索できるソフトがあると便利でしょうね。Gmailの売りである「タグ」は、メールごとに設定するのが面倒で、使えていません。
こんなに便利なメールなのに、使わない方もおられます。マジで、メールをやらない人とは仕事ができない!、と思うぐらいです。メールをやらない人には、共通点がある。それは、ファックスを便利だと思っていることです。これには、天を仰いでしまいます。
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