歳に気づく時2012年10月10日 09時29分13秒

どんな時に自分の年齢を痛感するかと問われたら、皆さん、どうお答えになりますか。大学の先生だったら、私の答えに賛同する方がある程度おられるのではないでしょうか。

聖心女子大の授業の後、ひとりの学生さんがやってきて、先生は松本の出身だそうですが(注:厳密には「出身」ではなく「育ち」)、母も松本なのです、と言われました。尋ねてみると、私の知っている地域。親しみを覚えた私は、きっと同世代だろうな、と思い、丘の上にある自分の高校や、丘の麓にある当時の女子校を思い浮かべました。

そこで「お母さんお幾つ?」と尋ねてみたところ、「46です」と言うではありませんか。私より20歳下!昔は出産が若かったので、「祖母と同じ」ということもありそうな年齢差です。

なぜこういうことが起こるかというと。教員として出発するときは学生との年齢差が小さいですから、ご両親は、はるかに年長です。当然、うやうやしく対応します。これが基礎を作りますので、親は年長、というイメージが、根付いてしまう。大学教員というのは、そうそう親御さんに出会う機会がありませんから、イメージを修正できないまま、日を過ごしてゆきます。

やがてほぼ同世代、という状況が生まれ、いつしか、親が自分より若くなる。しかし、「学生の親は自分より若いものだ」という認識は、なかなか定着しないのです。結果として、愕然として「歳に気づく」という体験が生まれるわけです。

地下鉄でイランの方(多分)に、席を譲られました。ありがとう。

コメント

_ 釈千手と申します ― 2012年10月10日 11時28分12秒

私も大学で非常勤講師をしています。いつまでも若い気でいますが、私の娘が大学生・・・ということは、教えている子どもたちの親は当然私の同世代ということになりますねぇ!

_ 青春20きっぷ ― 2012年10月11日 20時47分42秒

ありふれた話ですが、四日前、終日立ち仕事の帰りの電車で、はじめて、生まれて初めて席を譲られました。乗ったときでなく、一駅過ぎた時でした。左目の前の、自分の年齢のおそらく三分の二位のご婦人でした。瞬間的に、イエイエと胸の前で手を振り、スルーしました。その時、自分がどんな顔になったのか想像できません。疲れた表情をしていた自覚はありで、次の駅で真ん前の席が空き、即座にさっと座りました。
朝、顔を洗って鏡を覗いた時、歳をとったなぁ、と思い始めたのは、春を過ぎたころでしたので、まぁそういう歳にさしかかったことを思い知らされました。気持ちだけは老けたくありませんが。
青春20きっぷ、でした。

_ I招聘教授 ― 2012年10月12日 01時45分54秒

青春20きっぷさん、私が思うに、それは座られた方がよかったのではないですか。譲るのは勇気のいることだし、断るとその人の立場がない、ということはないでしょうか。

_ 青春20きっぷ ― 2012年10月26日 00時01分23秒

イエイエと胸の前で手を振った途端に、その方はニコッとされて、正面に立っていた連れの方とお喋りを直ぐに再開しました。その間、その方の表情は曇りがちにはならなかったと記憶しています。
私が一瞬考えてから断わる仕草をしたとしたら、きっと、お互いに気まり悪いことになったように思います。断わる仕草が何故か間髪いれずに出来たことで、お互いの気持ちの流れに淀みがなく・・・まあ、その方も気まずい思いはされなかったのでは、と思っています。

若い時、あることがあって、譲る時の心得は、迷わないことと、周りを気にしないこと悟りました。迷うと周りが気になり、周りが気になると迷うという悪循環に陥り、どうも譲る気持ちが後退してしまい、きっとそれが相手にも伝わり、相手にも迷いを起こさせてしまうのでしょう。すると、受け入れられても断わられても、お互いに気持ちが定まらず、何だか居心地が悪い気分が訪れてしまうように思えるのです。

譲る時に悟ったことは、どうも、譲られる時にも通用しそに思えます。これから譲られる機会が増えるので、逆の立場になっても迷わないことを自分に言い聞かせることにしたいと思います。

_ I招聘教授 ― 2012年10月26日 10時45分44秒

含蓄の深いお答えですね。迷いを振り切ることのが必要な局面はたくさんあって、努力すべきことのように思えます。

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