生家探訪 ― 2013年04月08日 22時06分55秒
7日(日)、東京春祭の《ニュルンベルクのマイスタージンガー》。キャストの人選が完璧と言いたいほどみごとでしたが、私がつくづく感心したのは、ベックメッサーに扮したアドリアン・エレート。2幕のセレナードでこれほど感動したのは初めてです。詳しくは、新聞批評に書きます。
帰宅したら疲れていて何もできず、今朝は早起きをして、授業準備。聖心女子大の初授業でした。今年は音楽室を使わせてもらえることになり、収容力の関係で、学生は抽選。阿弥陀ではなかったですが、こういうときは、神様にまかせるに限ります。学生の把握も行き届き、本当にやりやすくなりました。今日はモーツァルトの誕生、天才神話の形成について講義しました。
午後2時から目黒区の大岡山で予定があり(あらためてご案内します)、1時間、空白が生まれました。大岡山は私鉄がクロスするところですが、大井町線に乗ると3つ目に、荏原町という駅があります。そこに行ってみようと思い立ちました。なぜなら私は、そこで生まれたからです。もう50年は行っていないので、その場所が見つかるかどうかわかりませんが、身体に染みついているかもしれない記憶に、賭けることにしました。あ、私は4歳までそこに住んでいたのです。少年時代に、あと数回訪れたと思います。
荏原町は、鈍行だけが停まる小さな駅。右(南東)の方向に行くという感覚はあったので、商店街をずっと進んでいきました。半信半疑のままかなり歩いたところで、環七との立体交差に遭遇。そこを降りる古びた石段に記憶がありました。、降りて右へ。
幼時の記憶では、家のそばで国道が下りになり、そこから登りに転じて、遙か彼方に続いていた。気がついてみると、少し進んだところが、まさに下りになっているのです。しかし下りも登りも短い間で、遙か彼方どころではない。すると右に妙に急な石段があり、引き入れられるように登ってみました。昔は石垣の間の道で、蛇が出たりしたものですが、今は整備されて、穏やかな住宅街になっています。
ここが正しければ、生家は左側にあるはず。少し進んだところで、母の旧姓と同じ家を発見。当然立て直されていますが、おそらく私の生家だと思います。門を叩くことはせず、大岡山に戻りました。父が転勤となり、一家で、長野県の上山田(現・千曲市)に移住したのです。以上、日記代わりに。
帰宅したら疲れていて何もできず、今朝は早起きをして、授業準備。聖心女子大の初授業でした。今年は音楽室を使わせてもらえることになり、収容力の関係で、学生は抽選。阿弥陀ではなかったですが、こういうときは、神様にまかせるに限ります。学生の把握も行き届き、本当にやりやすくなりました。今日はモーツァルトの誕生、天才神話の形成について講義しました。
午後2時から目黒区の大岡山で予定があり(あらためてご案内します)、1時間、空白が生まれました。大岡山は私鉄がクロスするところですが、大井町線に乗ると3つ目に、荏原町という駅があります。そこに行ってみようと思い立ちました。なぜなら私は、そこで生まれたからです。もう50年は行っていないので、その場所が見つかるかどうかわかりませんが、身体に染みついているかもしれない記憶に、賭けることにしました。あ、私は4歳までそこに住んでいたのです。少年時代に、あと数回訪れたと思います。
荏原町は、鈍行だけが停まる小さな駅。右(南東)の方向に行くという感覚はあったので、商店街をずっと進んでいきました。半信半疑のままかなり歩いたところで、環七との立体交差に遭遇。そこを降りる古びた石段に記憶がありました。、降りて右へ。
幼時の記憶では、家のそばで国道が下りになり、そこから登りに転じて、遙か彼方に続いていた。気がついてみると、少し進んだところが、まさに下りになっているのです。しかし下りも登りも短い間で、遙か彼方どころではない。すると右に妙に急な石段があり、引き入れられるように登ってみました。昔は石垣の間の道で、蛇が出たりしたものですが、今は整備されて、穏やかな住宅街になっています。
ここが正しければ、生家は左側にあるはず。少し進んだところで、母の旧姓と同じ家を発見。当然立て直されていますが、おそらく私の生家だと思います。門を叩くことはせず、大岡山に戻りました。父が転勤となり、一家で、長野県の上山田(現・千曲市)に移住したのです。以上、日記代わりに。
東奔西走一区切り ― 2013年03月27日 20時02分23秒
年が明けてから長距離移動する仕事が相次ぎ、楽しみを見出しながらがんばってきました。この3月に訪れた場所を思い出してみたら--「訪れる」の定義は、宿泊する、飲食する、イベントに参加する、のいずれかを満たすことで、東京都を除きます--、次のようになりました。
盛岡県:遠野(初)、釜石(初)
宮城県:加美(初)
栃木県:宇都宮
神奈川県:川崎、横浜
長野県:松本
静岡県:伊東
愛知県:名古屋、犬山
岐阜県:可児(初)
三重県:四日市(初)、桑名(初)
大阪府:大阪
兵庫県:神戸
宮崎県:宮崎
今月は中京地区に親しんだと言えそうです。写真その1は、「スーパーあずさ」の車中から撮った甲斐駒ヶ岳です(昔、登りました)。
写真その2は、桑名の九華公園。長良川河口の脇にある日本調の落ち着いた公園で、今は桜が満開でしょうね。
一番おいしかったもの。これは多分に偶然の結果ですが、伊東の「地あじ丼」を挙げたいと思います。
仕事は昨日・今日の会議で一段落。ほっとしましたがオーバーワークのきらいなしとせず、今日は全身の力が抜けるほど疲れてしまいました。明日はいいタイミングで、病院の検査です。
【付記】盛岡県などという件はない、というご指摘をいただきました(笑)。岩手県ですね、たいへん失礼しました。最近はこの調子です(汗)。
阿弥陀の効用 ― 2013年03月15日 23時58分31秒
飲み会のときって、どこに座るかで、悩まれませんか?複雑な心理が働いて、思うようにいかないことも多いですよね。それが、人間の心理というもの。神様にまかせれば、すべてが解決します。阿弥陀にすればよろしいのです。
というわけで、私の飲み会は、まず、阿弥陀くじを引くところから始まります。必ず、阿弥陀。以前も10人、20人というときはよくやりましたが、最近は、3人でもやる。私の目の前にAさん、その左にBさんがいるとして、そのままか、入れ替わるかにくじを引きます。人数が増えるにつれ、御利益は大きくなります。
もちろん結果は、希望(?)とは異なります。でも、とても気持ちがいい。いろいろな人とお話しする機会も増えて、神に感謝です。つい仲間同士で座りがちなコンパにも、ぜひ採用されるといいと思います。
というわけで、私の飲み会は、まず、阿弥陀くじを引くところから始まります。必ず、阿弥陀。以前も10人、20人というときはよくやりましたが、最近は、3人でもやる。私の目の前にAさん、その左にBさんがいるとして、そのままか、入れ替わるかにくじを引きます。人数が増えるにつれ、御利益は大きくなります。
もちろん結果は、希望(?)とは異なります。でも、とても気持ちがいい。いろいろな人とお話しする機会も増えて、神に感謝です。つい仲間同士で座りがちなコンパにも、ぜひ採用されるといいと思います。
川崎 ― 2013年02月24日 08時18分24秒
私の何かと立ち寄る町が、川崎です。南部線の谷保駅近くに住んでいますので、たとえば羽田に行くのは、川崎で京浜急行に乗り換える。それ以上によくあるのは、横浜で定期的にある仕事の前後に、川崎でお昼を食べることです。
23日(土)は早く起きましたが疲れていて仕事に集中できず、早めに出てゆっくり食事することにしました。仕事(朝日カルチャー横浜校)は1時から3時までですが、仕事前はあわただしい上にお店が混んでいるので、たいていは終わってからゆっくり食べます。しかし朝早く起きると、食べてから、と言う方が、調子がいいわけです。
いつもは当然東口を探索しますが、違うところにも行ってみるという最近の方針で、西口に出てみました。最近は川崎ミューザでたまにコンサートを聴く以外来たことがなく、いくつかお店があれば、というぐらいの気持ちで下車しました。
そうしたら、巨大な集客施設があるではありませんか。「ラゾーナ川崎」というそうです。広さも店舗数も目を見張るばかりで、人の流れがすごい。おいしそうなお店がたくさんありましたが、混んでもいたので結局見るだけで時間切れ。終了後再訪問して、お昼を食べました。ただし、レストラン選びは失敗でした。
川崎市は人口が140万以上あり、ミュンヘンより大きい。いままであまり人が多いという感じを受けませんでしたが、それは人の流れが東口から西口に移っているためだということがわかりました。「ラゾーナ川崎」のスケールの大きさに驚く一方で、商売の厳しさを実感。どこでも人口は減少しているわけですから、実態は、パイの奪い合いなのだと思います。
23日(土)は早く起きましたが疲れていて仕事に集中できず、早めに出てゆっくり食事することにしました。仕事(朝日カルチャー横浜校)は1時から3時までですが、仕事前はあわただしい上にお店が混んでいるので、たいていは終わってからゆっくり食べます。しかし朝早く起きると、食べてから、と言う方が、調子がいいわけです。
いつもは当然東口を探索しますが、違うところにも行ってみるという最近の方針で、西口に出てみました。最近は川崎ミューザでたまにコンサートを聴く以外来たことがなく、いくつかお店があれば、というぐらいの気持ちで下車しました。
そうしたら、巨大な集客施設があるではありませんか。「ラゾーナ川崎」というそうです。広さも店舗数も目を見張るばかりで、人の流れがすごい。おいしそうなお店がたくさんありましたが、混んでもいたので結局見るだけで時間切れ。終了後再訪問して、お昼を食べました。ただし、レストラン選びは失敗でした。
川崎市は人口が140万以上あり、ミュンヘンより大きい。いままであまり人が多いという感じを受けませんでしたが、それは人の流れが東口から西口に移っているためだということがわかりました。「ラゾーナ川崎」のスケールの大きさに驚く一方で、商売の厳しさを実感。どこでも人口は減少しているわけですから、実態は、パイの奪い合いなのだと思います。
現役宣言 ― 2013年02月23日 01時43分29秒
現役最後の頃、定年になられた先輩とお話しするとき、「現役時代よりも忙しい」とおっしゃった方が、複数おられました。そんなはずはないだろうとしか思えませんでしたが、最近、そのように感じるようになったことを否定できません。もちろん、時間のかなりを占めていた本務校の仕事がないわけですから、気のせいだとは思います。しかし、以前よりかえって仕事に広がりが出て、かなり無理をしている感じもするわけです。
《ローエングリン》のあと、バッハのモテット、《ヨハネ受難曲》、《マタイ受難曲》について講演しました。準備をしている間に多々発見があり、いろいろな方と出会う喜びがあります。去年4月の段階では、一線を離れて徐々に収束していく、というイメージもあったのですが、それはない、とはっきり思うに至りました。勉強を続け、発信を続けたいと思います。若い人たちにいつも言ってきた、ベストを尽くし、先につなげろ、という言葉を、自分にも言い聞かせている昨今です。
少なくとも、『マタイ受難曲』と一対になるような、『ヨハネ受難曲』の本を書きたいと思います。その『マタイ受難曲』も、出版して19年。その後気がついたことがいろいろありますから、改訂新版を、考えるべきかもしれません。無欲になかなかなりきれない自分に気がつきます。
《ローエングリン》のあと、バッハのモテット、《ヨハネ受難曲》、《マタイ受難曲》について講演しました。準備をしている間に多々発見があり、いろいろな方と出会う喜びがあります。去年4月の段階では、一線を離れて徐々に収束していく、というイメージもあったのですが、それはない、とはっきり思うに至りました。勉強を続け、発信を続けたいと思います。若い人たちにいつも言ってきた、ベストを尽くし、先につなげろ、という言葉を、自分にも言い聞かせている昨今です。
少なくとも、『マタイ受難曲』と一対になるような、『ヨハネ受難曲』の本を書きたいと思います。その『マタイ受難曲』も、出版して19年。その後気がついたことがいろいろありますから、改訂新版を、考えるべきかもしれません。無欲になかなかなりきれない自分に気がつきます。
この数日 ― 2013年02月08日 10時44分43秒
ちょっと間が空いてしまいました。この数日間を振り返っておきます。
2日(土)。バッハの世俗カンタータのクォリティを新宿の講座で確認したあと、走るように大阪へ移動。いずみシンフォニエッタの定期を聴きました。まもなく還暦を迎えられる音楽監督、西村朗さんをお祝いしての、オール西村プログラムです。宇宙的な思索を追求しつつも誰にもわかりやすく訴えてくる西村さんの作品はひとつの驚異だと思っていますが、西村作品を知悉したシンフォニエッタの高いクォリティにカール・ライスターの名人芸まで加わって、すばらしいコンサートになりました。雄弁なスコアを書いてきた西村さんの最新作(室内交響曲第4番)が、響きの間合いを重んじたものになってきたのは注目に値します。題して、《沈黙の声》。
1週間に3回も新幹線の往復をしたものですから、3日の日曜日は疲れてしまい、まったくやる気が出ませんでした。やっぱり過労はダメですね。4日(月)に仕事を再開。6日(水)の《マタイ》講座の準備をまず済ませ、資料を朝日カルチャーに送ったところ、担当者から、「こんなに早くいただいては、雪が降っちゃうじゃありませんか」との返信。関東に、大雪の危機が迫っていたのです。
5日(火)にマッサージ(新橋)と床屋(日本橋)を済ませて帰宅すると、朝日カルチャーから、大雪で休講になる場合は早朝に決定し、連絡する、という知らせが入りました。反射的に、しめた!という心の叫び。雪を楽しみにするのでは人様に迷惑ですが、子供の頃からよく陥った心理です。でも世の中、そう甘くはないですね。講座には皆さんしっかりおいでになり、盛り上がりました。
7日(木)は、「都市ミュンヘンとミュンヘン・フィル~その魅力を探る」という講演を、朝日新聞社で。場所が場所なので緊張しましたが、準備は十分にしましたので、責任は果たせたと思います。
ミュンヘン・フィルは1928年に市の楽団となってこの名称を得ましたが、それまでは「カイム管弦楽団」という個人所有のオーケストラで、1893年から活動していました。歴代の指揮者には、ワインガルトナーや作曲家プフィッツナーの名前があります。調べてみると、マーラーの第4、第8交響曲をマーラー自身の指揮で、《大地の歌》をワルターの指揮で初演したことになっています。
はて、カイム管弦楽団という名前を文献で見た記憶がないが、と思って手元の複数の資料を見たところ、どちらにも、「マーラー自身の指揮でミュンヘンで初演」「ワルターの指揮でミュンヘンで初演」という表現になっており、カイムという名前がありません。よく調べたわけではないですが、伝承の不備かもしれませんね。
終了後早々に抜け出し、オペラシティへ。サロネン指揮、フィルハーモニアのコンサートで、新聞批評の当番です。ルトスワフスキの第4交響曲はたいへんすばらしかったですが、ベートーヴェンには私として異論があり、どう書くべきか悩んでいるところ。批評の心理的負担から、なかなか抜け出すことができません。
2日(土)。バッハの世俗カンタータのクォリティを新宿の講座で確認したあと、走るように大阪へ移動。いずみシンフォニエッタの定期を聴きました。まもなく還暦を迎えられる音楽監督、西村朗さんをお祝いしての、オール西村プログラムです。宇宙的な思索を追求しつつも誰にもわかりやすく訴えてくる西村さんの作品はひとつの驚異だと思っていますが、西村作品を知悉したシンフォニエッタの高いクォリティにカール・ライスターの名人芸まで加わって、すばらしいコンサートになりました。雄弁なスコアを書いてきた西村さんの最新作(室内交響曲第4番)が、響きの間合いを重んじたものになってきたのは注目に値します。題して、《沈黙の声》。
1週間に3回も新幹線の往復をしたものですから、3日の日曜日は疲れてしまい、まったくやる気が出ませんでした。やっぱり過労はダメですね。4日(月)に仕事を再開。6日(水)の《マタイ》講座の準備をまず済ませ、資料を朝日カルチャーに送ったところ、担当者から、「こんなに早くいただいては、雪が降っちゃうじゃありませんか」との返信。関東に、大雪の危機が迫っていたのです。
5日(火)にマッサージ(新橋)と床屋(日本橋)を済ませて帰宅すると、朝日カルチャーから、大雪で休講になる場合は早朝に決定し、連絡する、という知らせが入りました。反射的に、しめた!という心の叫び。雪を楽しみにするのでは人様に迷惑ですが、子供の頃からよく陥った心理です。でも世の中、そう甘くはないですね。講座には皆さんしっかりおいでになり、盛り上がりました。
7日(木)は、「都市ミュンヘンとミュンヘン・フィル~その魅力を探る」という講演を、朝日新聞社で。場所が場所なので緊張しましたが、準備は十分にしましたので、責任は果たせたと思います。
ミュンヘン・フィルは1928年に市の楽団となってこの名称を得ましたが、それまでは「カイム管弦楽団」という個人所有のオーケストラで、1893年から活動していました。歴代の指揮者には、ワインガルトナーや作曲家プフィッツナーの名前があります。調べてみると、マーラーの第4、第8交響曲をマーラー自身の指揮で、《大地の歌》をワルターの指揮で初演したことになっています。
はて、カイム管弦楽団という名前を文献で見た記憶がないが、と思って手元の複数の資料を見たところ、どちらにも、「マーラー自身の指揮でミュンヘンで初演」「ワルターの指揮でミュンヘンで初演」という表現になっており、カイムという名前がありません。よく調べたわけではないですが、伝承の不備かもしれませんね。
終了後早々に抜け出し、オペラシティへ。サロネン指揮、フィルハーモニアのコンサートで、新聞批評の当番です。ルトスワフスキの第4交響曲はたいへんすばらしかったですが、ベートーヴェンには私として異論があり、どう書くべきか悩んでいるところ。批評の心理的負担から、なかなか抜け出すことができません。
これは老化なのだろうか ― 2013年01月25日 23時55分09秒
やらなければならない仕事、というのがあります。同業者感覚でいうと、採点。その前提となる出席のカウントで、今日は一日を費やしました。
162人が登録している授業なので、点呼はできませんから、感想だの質問だのを記したリアクションペーパーを、出席票代わりにしています。その累積が、二千枚以上。それを並び替え、登録し、回数を数えるのが、今日の仕事でした。おしゃべりする学生はいても、欠席する学生はほとんどいませんので、大量にあります。
みんなよく出席していた、ということを確認し、多少の濃淡を記録して仕事を終了。相当な労働でした。でも皆さん、どうしておられるのでしょうね。この仕事をたいへんにしない方法はただひとつ。毎週、授業の後に整理を行うことです。そういう当然のことをできている先生が、どのぐらいおられるのでしょうか。
私は「自分を追い込み、焦りにより能率を上げる」という方法でやってきましたので、締め切りより1週間も早くこの作業をしていることに、われながら驚いています。そういうことをすること自体が、私の老いなのではないだろうか。
老化現象を大いに警戒している私ですが、先週、4時台に目が覚めてしまう日が、3日ありました。さしもの超夜型もいよいよこうなったか、と受け止める心境でした。でも今週は、普通の夜更かしに戻っています。かく行きつ戻りつして、老化は進行するのでしょうかね。
162人が登録している授業なので、点呼はできませんから、感想だの質問だのを記したリアクションペーパーを、出席票代わりにしています。その累積が、二千枚以上。それを並び替え、登録し、回数を数えるのが、今日の仕事でした。おしゃべりする学生はいても、欠席する学生はほとんどいませんので、大量にあります。
みんなよく出席していた、ということを確認し、多少の濃淡を記録して仕事を終了。相当な労働でした。でも皆さん、どうしておられるのでしょうね。この仕事をたいへんにしない方法はただひとつ。毎週、授業の後に整理を行うことです。そういう当然のことをできている先生が、どのぐらいおられるのでしょうか。
私は「自分を追い込み、焦りにより能率を上げる」という方法でやってきましたので、締め切りより1週間も早くこの作業をしていることに、われながら驚いています。そういうことをすること自体が、私の老いなのではないだろうか。
老化現象を大いに警戒している私ですが、先週、4時台に目が覚めてしまう日が、3日ありました。さしもの超夜型もいよいよこうなったか、と受け止める心境でした。でも今週は、普通の夜更かしに戻っています。かく行きつ戻りつして、老化は進行するのでしょうかね。
探検への夢 ― 2013年01月22日 11時13分46秒
芸能人が集まってワイワイ、という番組になじめない昨今、BSをかけておくことが多くなりました。惹かれるのは、世界各地の映像を紀行風に流したり、鉄道をともに地域を歩いたりする番組。子供の頃、地理が好きだったからかもしれません。
最近すばらしいなあと思ったのは、BS朝日で20:00からやっている「BBC地球伝説」、とくにそのナイル探検でした。子供の頃は探検ものが好きで、本を読みあさり、無人島で暮らしたい、と本気で思っていたほど。そうした行動にもっとも不向きな人間が自分であることをある段階で理解しましたが、探検に対するロマン自体は、消しがたく残っているようです。
19世紀の探検家たちがナイルの源流を求めて奥地に入る日々の過酷さは、想像を絶するものなのですね。密集した熱帯雨林、種々の猛獣や害虫、なにより熱病。無理に無理を重ねた行軍の末に、大きな湖の広がる景観を発見した感激は、さぞかしでしょう。アフリカはすごい!アマゾンの源流探検も見ましたが、よほど平易に感じました(それはそれでたいへんに違いないですが)。
以後地図を調べたりするうち、アフリカの北の方の国の並びは、頭に入りました。現代ではまた別の危険があり、たいへんですね。若いうちに一度行ってみたかったな、と思います。宇宙旅行にも子供の頃はぜひ行きたかったですが、科学の発展がもたらす情報は、かつてのような夢を許してくれません。時代は変わった、と思うことの1つです。
最近すばらしいなあと思ったのは、BS朝日で20:00からやっている「BBC地球伝説」、とくにそのナイル探検でした。子供の頃は探検ものが好きで、本を読みあさり、無人島で暮らしたい、と本気で思っていたほど。そうした行動にもっとも不向きな人間が自分であることをある段階で理解しましたが、探検に対するロマン自体は、消しがたく残っているようです。
19世紀の探検家たちがナイルの源流を求めて奥地に入る日々の過酷さは、想像を絶するものなのですね。密集した熱帯雨林、種々の猛獣や害虫、なにより熱病。無理に無理を重ねた行軍の末に、大きな湖の広がる景観を発見した感激は、さぞかしでしょう。アフリカはすごい!アマゾンの源流探検も見ましたが、よほど平易に感じました(それはそれでたいへんに違いないですが)。
以後地図を調べたりするうち、アフリカの北の方の国の並びは、頭に入りました。現代ではまた別の危険があり、たいへんですね。若いうちに一度行ってみたかったな、と思います。宇宙旅行にも子供の頃はぜひ行きたかったですが、科学の発展がもたらす情報は、かつてのような夢を許してくれません。時代は変わった、と思うことの1つです。
感動した映画 ― 2013年01月19日 07時03分22秒
しばらく前、久しぶりに映画を見て感動したが、その映画の名前はまだ公開できない、と申し上げました。昨日の報道で、その映画が「第67回毎日映画コンクール」の大賞を受賞したことを確認しましたので申し上げます。周防正行監督の『終の信託』です。これから広く見られると思うと、嬉しいです。
安楽死の問題を深く掘り下げて、映画的な効果も随所に盛り込んで作られた映画ですが(主演は草刈民代さん、役所広司さん)、私が素人ながら述べたいのは一点、音楽の使い方のすばらしさです。とくに、プッチーニのアリア〈私のお父さん〉が独創的な解釈で、忘れられないエピソードとして使われていたのが印象的でした。映画への信頼性が、これでぐっと高くなりました。
安楽死の問題を深く掘り下げて、映画的な効果も随所に盛り込んで作られた映画ですが(主演は草刈民代さん、役所広司さん)、私が素人ながら述べたいのは一点、音楽の使い方のすばらしさです。とくに、プッチーニのアリア〈私のお父さん〉が独創的な解釈で、忘れられないエピソードとして使われていたのが印象的でした。映画への信頼性が、これでぐっと高くなりました。
最後の委員会 ― 2013年01月06日 23時35分19秒
日本音楽学会には、常任委員会という制度があります。そこに5人の委員の先生方と職員・幹事のスタッフがいて、学会の中枢業務を取り仕切っている。会長の職務というのは、事実上この委員会を率いる形で進められてゆきます。実務を担当して多忙なのは、職員・幹事の方々です。
学会の雑務というのは、やって面白いものではないと思う。みな、ある段階(たとえば後期博士課程)で引き受ける責任として、勉強しながら取り組んでくれるわけです。それにしても、6年間、委員・職員・幹事の方々が、本当によくやってくれました。とくに最後の2年間は、終了後飲食という習慣が根付いたこともあり、強い一体感が生まれていたといっても、勘違いではないと思います。というわけで、最後の委員会の終了後に撮った写真をご覧いただきます。スマホの自動シャッターで、結構よく撮れるものですね。
会場の芸大を出、ちょうど半数の方々と、上野の絶好のお店で飲食(「飲」は当然ワインです)。和気あいあいで楽しく、これまでありがたかったなあと思い、またこういう機会がもうなくて残念、と思いました。2月に「全国委員会」というイベントがあって、すべて終了です。
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