ヨーロッパ通信2014(1)/着きました、アムステルダム ― 2014年04月09日 23時59分00秒
皆様、日本でお忙しいさなかに失礼します。不肖私、アムステルダムに到着いたしました。
万全を期して、前日は成田泊。ホテル(エクセル)の部屋に立派なマッサージチェアがあり、これが強力。もみ方が多種多様であるばかりか、指の入らない固いところもよくほぐしてくれて快適でした。ずいぶん進歩しているようですね。値段によっては、購入もありに思えました。
おかげで快適に眠れ、早めに空港へ。いつもネットがつながらないと大騒ぎをしますので、今回は事前に検討し、海外専用の携帯ルータを予約。それでつながったか、とおっしゃるんですか?つながらなかったら、あなたはこの文章を読んでいないはずです。スマホ、タブレットもつながり、日本の出来事も野球の結果も、知っております。1日1200円で借りられますから、ぜひお勧めします。
大枚を投じてビジネスクラスに搭乗した目的は、心理的なものです。座席の住み心地はとても良かったのですが、機内食がまことに期待を裏切るもので、あとで非ビジネスクラスの方に探りを入れてみても、どう違ったかはっきりしない。問題点はこのことと、ガイドブックを忘れてきたこと。ともあれ、無事にアムステルダムに着きました。オランダは30年ぶりで、ほとんど初めて同然です。
強風が吹き、空を雲が飛ぶ寒い日。天候がくるくる変わり、雹が降るかと思えば、陽が指します。これって、17世紀ロイスダールの描く風景と同じですね。いかにも風車が回りそう。早く着きましたので、「北の水の都」を散策しました。
ハイネッケンのビール、こちらで飲むと二倍おいしいですね。というわけで、まずまず順調に、旅行が始まりました。市立劇場(写真)の近くにホテルがあります。
北海道三日間~ひとり旅はむずかしい(5) ― 2013年09月07日 09時14分43秒
大自然の中に立つ「富良野演劇工場」は倉本聰さんの理想を実現した劇場だそうで、舞台と舞台裏にスペースを惜しみなく使い、しかしまことに簡素に建てられた木造建築です。ちょっと、バイロイト祝祭劇場を思わせる。そこで上演されたのは、矢代静一作の一人芝居『弥々』。いくつかの劇場のネットワークで行われる公演の第1回でした。
弥々というのは良寛の初恋の女性で、いったんは彼を拒否し、すさんだ生活を送りますが、その過程で、良寛への愛と尊敬を深めていく。マグダラのマリアのイメージが、背後にあるそうです。独演した毬谷友子さんの演技のすばらしさは、言葉もないほど。陰惨な場面もからりとした明るさで処理されるのがよく、女の一生が、スピーディーに綴られてゆきます。ベートーヴェン《悲愴ソナタ》の第2楽章が二度にわたって響き、深い慰安の効果を作り出していました。人生、愛、男女、理想、現実、あこがれ、真実--などなど、いろいろなことと向き合い続ける1時間半でした。
演劇はいいなあという思いが、人生のここに至って、加速しています。ただ、演劇を1つ観ることはコンサートを1つ聴かないということですから、音楽の世界における責任達成度が下がることも事実。しかし長いこと音楽音楽で費やしてきた人生が最後に他芸術に開かれて終わるというのも、個人的には悪くないなと思っています。また、芸術の本質を考えた場合、関係者がそれぞれのジャンルのことで手一杯という状況も、理想的ではないように思われます。
31日(金)。タクシーを頼んで十勝岳を周遊するというプランを考えましたが、雨模様であきらめ、小樽に海を見にいきました。地図で見ると留萌が近いし、1本で網走という可能性もなくはない。しかし乗り継ぎの便を考えて、小樽再訪を選びました(お寿司付き)。帰路札幌で降り、大通公園を往復。やはり大通公園にちょっとだけでも身を置かないと、北海道に来た気がしません。旭川からの飛行機夜の便で、羽田着。一気に気温が上がり、汗が噴き出してきました(完)。
弥々というのは良寛の初恋の女性で、いったんは彼を拒否し、すさんだ生活を送りますが、その過程で、良寛への愛と尊敬を深めていく。マグダラのマリアのイメージが、背後にあるそうです。独演した毬谷友子さんの演技のすばらしさは、言葉もないほど。陰惨な場面もからりとした明るさで処理されるのがよく、女の一生が、スピーディーに綴られてゆきます。ベートーヴェン《悲愴ソナタ》の第2楽章が二度にわたって響き、深い慰安の効果を作り出していました。人生、愛、男女、理想、現実、あこがれ、真実--などなど、いろいろなことと向き合い続ける1時間半でした。
演劇はいいなあという思いが、人生のここに至って、加速しています。ただ、演劇を1つ観ることはコンサートを1つ聴かないということですから、音楽の世界における責任達成度が下がることも事実。しかし長いこと音楽音楽で費やしてきた人生が最後に他芸術に開かれて終わるというのも、個人的には悪くないなと思っています。また、芸術の本質を考えた場合、関係者がそれぞれのジャンルのことで手一杯という状況も、理想的ではないように思われます。
31日(金)。タクシーを頼んで十勝岳を周遊するというプランを考えましたが、雨模様であきらめ、小樽に海を見にいきました。地図で見ると留萌が近いし、1本で網走という可能性もなくはない。しかし乗り継ぎの便を考えて、小樽再訪を選びました(お寿司付き)。帰路札幌で降り、大通公園を往復。やはり大通公園にちょっとだけでも身を置かないと、北海道に来た気がしません。旭川からの飛行機夜の便で、羽田着。一気に気温が上がり、汗が噴き出してきました(完)。
北海道三日間--ひとり旅はむずかしい(4) ― 2013年09月05日 16時15分00秒
旭川からのびやかな道央を列車で走り、富良野へ。もうラベンダーの季節ではないですが、楽しみなのはカレーです。富良野はカレーが名物で、いろいろなカレーが食べられるというのです。
駅からホテルへの途中でカレーを食べよう、と思って歩き始めました。お目当てのお店は意外な行列であきらめ、川をわたってスキー場地区へ。ところが本日休業、準備中などで、歩けども歩けども、カレーに到達しません。汗びっしょり、空腹をかかえて歩くうち、森林公園のようなところに入ってきました。そこに喫茶アトリエ「あかなら」というお店を発見。だいぶ時間も過ぎていましたから、カレーもビールもあきらめて、ここに入りました。
駅からホテルへの途中でカレーを食べよう、と思って歩き始めました。お目当てのお店は意外な行列であきらめ、川をわたってスキー場地区へ。ところが本日休業、準備中などで、歩けども歩けども、カレーに到達しません。汗びっしょり、空腹をかかえて歩くうち、森林公園のようなところに入ってきました。そこに喫茶アトリエ「あかなら」というお店を発見。だいぶ時間も過ぎていましたから、カレーもビールもあきらめて、ここに入りました。
山小屋風の造りの内部はしゃれていて、芸術性を感じさせる空間。とても温かく迎えられて、嬉しくなってしまいました。カウンター席では、品のいいママさん(?)を中心に、穏やかな会話が交わされています。どうやらイベントの相談がされているようで、「チェンバロ」という言葉も聞こえてくる。スパゲッティとウーロン茶の昼食は想定外でもありましたが、驚いたのは、なんとママさん(?)が、地元のスイカをサービスしてくださったことです。おいしさは比類がなく、「生涯最高のスイカ」という言葉で御礼申し上げました。
なごんだ気持ちでお店を出ると、ちょうどロープウェイ行きのバスが来る時間。ロープウェイに乗り、最終便を気にしつつ展望台に登ってみると、富良野の向こうに十勝岳連峰の望める、すばらしい展望が広がっていました。
なごんだ気持ちでお店を出ると、ちょうどロープウェイ行きのバスが来る時間。ロープウェイに乗り、最終便を気にしつつ展望台に登ってみると、富良野の向こうに十勝岳連峰の望める、すばらしい展望が広がっていました。
街へ戻り、ようやくカレーを食べ、タクシーで「富良野演劇工場」へ。コーヒーを飲みながら開演を待っていると、「さきほどの方ではありませんか?」という声がします。振り向くと、スイカをくださった妙齢の女性。名刺をいただいてみると、地域の文化活動を牽引しておられる方なのですね。そうか、行列も本日休業も富良野文化への道筋だったのだなあと思い、とても嬉しくなりました。(続く)
北海道三日間--ひとり旅はむずかしい(3) ― 2013年09月04日 08時28分50秒
ホテルに戻り、バーでワインを飲もうと思い立ちました。当然、カウンター席です(笑)。話し相手がいませんので、今計画中のカンタータのコンサートの構想でも練ろう、と思って出かけました。
席は6分ほど埋まっていたので、一番左にいる私と同年輩の女性からひとつ置いた席に腰を掛けました。この選択が、致命傷でした。
ひとりで来ているその女性、バーテンの男性とさかんに話しています。彼女と私、バーテンが正三角形の配置になっており、彼女の声もよく透るので、すべての話が克明に聞こえてくる。カンタータの構想どころか、その話を聞きながら飲む、という状況になってしまいました。
当然話の内容が問題になります。要するに自分の身の回りの話で、他人にはまったく興味がもてない。しかるに人のよさそうなバーテン氏は、じつにこまめに相槌を打つのですね。こういう仕事もたいへんだなあと思いながら、女性が帰るのを待ちました。
たまにバーテン氏が席を外すと、一瞬の静寂が訪れます。戻ってくると、待ってましたとばかりに、話の続き。ワインの2杯めに入り、かなり腹が立って来たころ、彼女もおかわりをして、話が続くことになりました。毎年この時期に来られる、常連客のようです。
私は、このあと自分が取った行動への深い反省のもとに、この時点でどうすべきであったか、考えます。もっとも穏当な選択肢は、ワインをあきらめて店を出る、というもの。でももう深夜ですから、他に行くところがありません。
次善の選択肢は、カウンターも空いてきていたので、もっとも離れたところに移る、というもの。そうすべきだったな、と思います。考えてみると、さらによい選択肢もあった。心の広い人、ダヴィデヒデさんのような方ならおできになるでしょうが、私にはとても取れない、ウルトラCの選択肢。それは、自分も話に加わってしまう、というものです。三方一両得の選択肢ですが、皆さん、お取りになれますか。
ワインが進むに連れ不寛容になった私は、2杯で終えようと決意しました。加速して飲み終えるちょうどそのタイミングで、「おかわりはいかがですか」と尋ねられ、手拍子で言ってしまった言葉は、「座る席を間違えた!」どいうものです(赤面)。
お勘定をしていると、カウンター席に、「ナニ、今の男!」という叫びが響くのが聞こえました。なだめるのがたいへんだったと思うので、お店には悪いことをしました。私のような一見の客より、常連さんの方が大切であることは間違いありませんから(合掌)。
このケースに当てはまるかどうかわかりませんが、常連客をお店が喜ばないケースも、よくあるように思います。過去のお店で見聞したいくつかの場面が、自然に心に浮かびました。
席は6分ほど埋まっていたので、一番左にいる私と同年輩の女性からひとつ置いた席に腰を掛けました。この選択が、致命傷でした。
ひとりで来ているその女性、バーテンの男性とさかんに話しています。彼女と私、バーテンが正三角形の配置になっており、彼女の声もよく透るので、すべての話が克明に聞こえてくる。カンタータの構想どころか、その話を聞きながら飲む、という状況になってしまいました。
当然話の内容が問題になります。要するに自分の身の回りの話で、他人にはまったく興味がもてない。しかるに人のよさそうなバーテン氏は、じつにこまめに相槌を打つのですね。こういう仕事もたいへんだなあと思いながら、女性が帰るのを待ちました。
たまにバーテン氏が席を外すと、一瞬の静寂が訪れます。戻ってくると、待ってましたとばかりに、話の続き。ワインの2杯めに入り、かなり腹が立って来たころ、彼女もおかわりをして、話が続くことになりました。毎年この時期に来られる、常連客のようです。
私は、このあと自分が取った行動への深い反省のもとに、この時点でどうすべきであったか、考えます。もっとも穏当な選択肢は、ワインをあきらめて店を出る、というもの。でももう深夜ですから、他に行くところがありません。
次善の選択肢は、カウンターも空いてきていたので、もっとも離れたところに移る、というもの。そうすべきだったな、と思います。考えてみると、さらによい選択肢もあった。心の広い人、ダヴィデヒデさんのような方ならおできになるでしょうが、私にはとても取れない、ウルトラCの選択肢。それは、自分も話に加わってしまう、というものです。三方一両得の選択肢ですが、皆さん、お取りになれますか。
ワインが進むに連れ不寛容になった私は、2杯で終えようと決意しました。加速して飲み終えるちょうどそのタイミングで、「おかわりはいかがですか」と尋ねられ、手拍子で言ってしまった言葉は、「座る席を間違えた!」どいうものです(赤面)。
お勘定をしていると、カウンター席に、「ナニ、今の男!」という叫びが響くのが聞こえました。なだめるのがたいへんだったと思うので、お店には悪いことをしました。私のような一見の客より、常連さんの方が大切であることは間違いありませんから(合掌)。
このケースに当てはまるかどうかわかりませんが、常連客をお店が喜ばないケースも、よくあるように思います。過去のお店で見聞したいくつかの場面が、自然に心に浮かびました。
北海道三日間~ひとり旅はむずかしい(2) ― 2013年09月03日 08時40分45秒
さて、夕食をどうするか。私はどこにでももぐりこむほど度胸がありませんので、情報収集したり、道路を歩いたり戻ったり、迷走しばらく。三度も通り過ぎた料亭風のお寿司屋に、結局入ることに決めました。
カウンターの中央に座り、お刺身のおいしいところを、とお願いすると、サンマがある、との答え。「いいですねえ」。さらに知らない貝の名前が挙がり、それも「いいですねえ」。ホタテがある、ともおっしゃるので、いや今はいいです、と答えたのですが、珍しいほどいいホタテだ、とのことで、結局、サンマ1匹の上にホタテを含むお刺身の並んだ大皿が出てきました。
相当あるなあ、と思って一生懸命食べていると、「お刺身の後はなにか召し上がりますか」との質問。まだ半分にも達していませんので、「食べ終わってから考えます」と返答しました。
わかってきたのは、このマスターが、かなりせっかちな方だということです。カウンターが司令塔になっていて、いろいろな方向に、指令が飛ばされる。「差し替えろ」「戻せ」という言葉が頻出するところからみると、お座敷のコース料理をどんどん回転させろ、と言っているようです。
しかし、呼びかけられた人たちから返事が聞こえないのですね。カウンターにやってきた女性に同じ指示が発せられたところ、「おっしゃる意味がわかりません」「いろいろ考えずにただやればいいんだ」という、仰天の対話が。進度に合わせて料理を出したい現場の人たちが、抵抗しているようなのです。
ようやく大皿のお刺身を食べ終わったタイミングで、年長の女性が、「お食事はどうされますか」と尋ねてきました。マスターは電話中でしたので、「食べたいのはやまやまなんですが、雰囲気が・・。マスターがいらいらしておられるじゃありませんか」と言うと、女性は「申し訳ありません」と、深くお辞儀。私も気の毒になり、にぎりを数品頼みました。
私がいいたいのはお店がどうこうということではなく、ひとりの食事ではお店選びがとてもむずかしい、ということです。お相手がいておしゃべりしていれば、以上のようなことも気にならなかったことでしょう。しかしカウンターの中央にひとりで陣取っていると、いろいろなことが手に取るようにわかり、おいしいものもおいしく食べられない、という状況が生まれます。気持ちよく飲み食いできる店、という条件がとても重要になるわけです。
しかし「飲む」段階で、もっと大きなトラブルが待っていました。あ、旭川のせいでは絶対ないですよ。個人の問題です。
カウンターの中央に座り、お刺身のおいしいところを、とお願いすると、サンマがある、との答え。「いいですねえ」。さらに知らない貝の名前が挙がり、それも「いいですねえ」。ホタテがある、ともおっしゃるので、いや今はいいです、と答えたのですが、珍しいほどいいホタテだ、とのことで、結局、サンマ1匹の上にホタテを含むお刺身の並んだ大皿が出てきました。
相当あるなあ、と思って一生懸命食べていると、「お刺身の後はなにか召し上がりますか」との質問。まだ半分にも達していませんので、「食べ終わってから考えます」と返答しました。
わかってきたのは、このマスターが、かなりせっかちな方だということです。カウンターが司令塔になっていて、いろいろな方向に、指令が飛ばされる。「差し替えろ」「戻せ」という言葉が頻出するところからみると、お座敷のコース料理をどんどん回転させろ、と言っているようです。
しかし、呼びかけられた人たちから返事が聞こえないのですね。カウンターにやってきた女性に同じ指示が発せられたところ、「おっしゃる意味がわかりません」「いろいろ考えずにただやればいいんだ」という、仰天の対話が。進度に合わせて料理を出したい現場の人たちが、抵抗しているようなのです。
ようやく大皿のお刺身を食べ終わったタイミングで、年長の女性が、「お食事はどうされますか」と尋ねてきました。マスターは電話中でしたので、「食べたいのはやまやまなんですが、雰囲気が・・。マスターがいらいらしておられるじゃありませんか」と言うと、女性は「申し訳ありません」と、深くお辞儀。私も気の毒になり、にぎりを数品頼みました。
私がいいたいのはお店がどうこうということではなく、ひとりの食事ではお店選びがとてもむずかしい、ということです。お相手がいておしゃべりしていれば、以上のようなことも気にならなかったことでしょう。しかしカウンターの中央にひとりで陣取っていると、いろいろなことが手に取るようにわかり、おいしいものもおいしく食べられない、という状況が生まれます。気持ちよく飲み食いできる店、という条件がとても重要になるわけです。
しかし「飲む」段階で、もっと大きなトラブルが待っていました。あ、旭川のせいでは絶対ないですよ。個人の問題です。
北海道3日間--ひとり旅行はむずかしい(1) ― 2013年09月02日 09時15分13秒
おひまな方、私の北海道旅行にお付き合いください。便宜上「外国滞在」のカテゴリに入れましたが、もちろん北海道は日本です。「旅行記枠」ということでお許しを。
8月28日(水)。大きな積乱雲の中を激しく揺れながら、ANA飛行機は旭川空港に着陸しました。地上には、雨上がりで空気の澄んだ、気持ちのよい北海道が広がっています。バスで駅まで出て、さっそく旭川ラーメンを試食。
この時点で認識したのは、旭川という北海道第2の都会にはじつに飲食店が多く、文字通り軒を連ねていることでした。にもかかわらず、マッサージ、リラクゼーションのお店が(少なくとも中心街には)まったくないのは驚き。ラーメンは第1日の昼、第2日の朝(!)、第3日の夕方と、計3回食べました。
初めて、旭川ラーメンと札幌ラーメンの違いを知りました。味噌ラーメンを売りとする札幌に対して、旭川は醤油が伝統なのですね。函館が塩だそうです。お店が林立しているので選択が困りますが、やはり、初期から創業している歴史のあるお店に入るのが、地域のラーメンの概念を知る意味でも正解だというのが結論。「青葉」「梅光軒」どちらもおいしかったですが、今ネットを調べてみると、人気ランキングの2位、1位ですね。私の世代には、こうした中華そば風の醤油味が、結局いちばんです。
夕食までの時間に、何を見るか。ガイドを見ると、ページ数のほとんどを費やしている、突出した見所があります。私も大勢に順応して、そこに行くことにしました。目的地は、旭山動物園です。
この歳になってひとりで動物園では、哀愁漂ってしまうのでははいかとよほど思ったのですが、行ってみると、家族連れに混じって高齢者も多く、命旦夕に迫った車椅子の方も。人間は動物園に回帰するのか、動物からありがたい元気をもらえるのか、両方かもしれません。
この動物園の売りは、ホッキョクグマ、アザラシ、ヒグマなどなど、北の動物たちなのですね。動物たちへの愛の感じられる気の利いたプレゼンテーションを、多くの人が楽しんでいます。どんな動物にも雄と雌がいるという当たり前の事実が、とりわけ味わい深く感じられました。
8月28日(水)。大きな積乱雲の中を激しく揺れながら、ANA飛行機は旭川空港に着陸しました。地上には、雨上がりで空気の澄んだ、気持ちのよい北海道が広がっています。バスで駅まで出て、さっそく旭川ラーメンを試食。
この時点で認識したのは、旭川という北海道第2の都会にはじつに飲食店が多く、文字通り軒を連ねていることでした。にもかかわらず、マッサージ、リラクゼーションのお店が(少なくとも中心街には)まったくないのは驚き。ラーメンは第1日の昼、第2日の朝(!)、第3日の夕方と、計3回食べました。
初めて、旭川ラーメンと札幌ラーメンの違いを知りました。味噌ラーメンを売りとする札幌に対して、旭川は醤油が伝統なのですね。函館が塩だそうです。お店が林立しているので選択が困りますが、やはり、初期から創業している歴史のあるお店に入るのが、地域のラーメンの概念を知る意味でも正解だというのが結論。「青葉」「梅光軒」どちらもおいしかったですが、今ネットを調べてみると、人気ランキングの2位、1位ですね。私の世代には、こうした中華そば風の醤油味が、結局いちばんです。
夕食までの時間に、何を見るか。ガイドを見ると、ページ数のほとんどを費やしている、突出した見所があります。私も大勢に順応して、そこに行くことにしました。目的地は、旭山動物園です。
この歳になってひとりで動物園では、哀愁漂ってしまうのでははいかとよほど思ったのですが、行ってみると、家族連れに混じって高齢者も多く、命旦夕に迫った車椅子の方も。人間は動物園に回帰するのか、動物からありがたい元気をもらえるのか、両方かもしれません。
この動物園の売りは、ホッキョクグマ、アザラシ、ヒグマなどなど、北の動物たちなのですね。動物たちへの愛の感じられる気の利いたプレゼンテーションを、多くの人が楽しんでいます。どんな動物にも雄と雌がいるという当たり前の事実が、とりわけ味わい深く感じられました。
旅行記補遺--ドイツの鉄道 ― 2013年07月11日 23時54分52秒
今回もずいぶん鉄道を利用しました。その感想です。
昨年はお仲間の方々とジャーマン・レイルパスを購入して便利をしましたが、今年は、予算を計上してあったにもかかわらず、購入しませんでした。それは、既述の通り、自動販売機が進化したためです。たくさんの項目を選択するようになっているので最初は面食らうと思いますが、目的地、等級、列車の選択など必要事項はわずかなので、慣れれば便利に使えます。窓口はたいてい行列になっていて、時間がかかります。
優さんから、カードを使ってトラブルが起こったという書き込みがありましたね。私はすべて現金を使い、問題ありませんでした(どの紙幣が使えるか、画面で指示されるので注意する必要あり)。チップに必要な小銭作りにも、自販機が役に立ちました。自販機は乗り継ぎも指示してくれますが、その場合は書き留めておかないと、あとでわからなくなる可能性があります。
かならず一等車がついていますから、余裕のある方には、利用をお勧めします。二等車が混んでいても、一等車はガラガラで、気兼ねせずに済むからです。ひとりで何人分もの席を占領している人など向こうではざらですから、割り込む勇気のない人は、一等車です(笑)。
一等車には、「静かな席」という区分があります。それは、ケータイ禁止のゾーンです。ということは、ケータイを許容しているということですね。しかし全員がケータイ/スマホとにらめっこ、という風景は、ドイツではお目にかかりませんでした。
最大の感想。それは、ドイツの列車は遅れる、ということです。ドイツ人はきちんとしているから遅れない、と思う方もいらっしゃるでしょうが、少なくとも旧東は、全部遅れると思ってください。マクデブルクからツェルプストに行ったときなどは、女性車掌がホームで話し込んでいて、5分後に悠然と発車する光景を目撃しました。
遅れるとどうなるか。出たとこ勝負で、発着ホームが変わるのです。ふと気がつくと、ホームで待っていた人が誰もいない。来るはずの列車が離れたホームに停まっている、ということが起こります。この臨機応変は、旅行者には大敵です。
ロストックからベルリンに戻るときには、自販機で買った切符の乗り継ぎを窓口で確認し、プリントアウトしてもらった時間割で、列車に乗りました。シュヴェリーンと、ルートヴィヒスルストで乗り換えることになっていました。ロストック~シュヴェリーン間でまず遅れが発生し、乗り継ぎ列車のホームが直前に変更されて、別のホームへと急ぐ羽目に。そうしたら、目前でドアが閉まってしまったのです。ショックを受けましたが、発車ではなかったので、開いて乗ることができました。
この列車からは、ルートヴィヒスルストで、ICEに乗り換えることになっていました。しかし時間割を見ると、乗り継ぎの時間が4分しかないのです。しかし列車は、10分以上遅れている。これはまずい、と焦り始めたときに、検札の女性車掌がやってきました。
私が乗り継ぎは大丈夫か、と尋ねると、ダメだ、この列車は遅れている、というのです。ICEが遅れている可能性もあるのではないか、と言うと、いや、それはない、というキッパリ返事。乗り継げるというから買った切符だ、それならルートヴィヒスルストで降りて次の列車に乗るべきか、この鈍行に乗り続けるべきか、と尋ねたところ、どこかに電話をかけ、「非現実的な乗り継ぎだ」云々と、強い口調でしゃべっています。結局、乗り継げる列車はないので、このまま鈍行でベルリンまで行くべし、という話になりました。夜の10時着が、11時になってしまう。一応「すみません」という言葉は出ましたが、実感はこもっていませんでした。
あきらめて、窓からルートヴィヒスルストのホームを眺めていました。乗り継ぎ時刻より、15分遅れています。するとホームがあわただしくなり、なんとICEが入ってきたのですね。もちろんあわてて荷物をまとめ、乗り換えました。このように、遅れるから困ることもあれば、遅れて助かることもあるのが、ドイツの鉄道です。
こういうところで過ごしましたので、戻ってきた日本が、別世界のようです。すべての列車が、事故のない限り正確に運行され、そのために、万全の配慮が払われている。秩序の維持も行き届いており、日本人はなんと優秀なのだろう、と心から思った次第です。
昨年はお仲間の方々とジャーマン・レイルパスを購入して便利をしましたが、今年は、予算を計上してあったにもかかわらず、購入しませんでした。それは、既述の通り、自動販売機が進化したためです。たくさんの項目を選択するようになっているので最初は面食らうと思いますが、目的地、等級、列車の選択など必要事項はわずかなので、慣れれば便利に使えます。窓口はたいてい行列になっていて、時間がかかります。
優さんから、カードを使ってトラブルが起こったという書き込みがありましたね。私はすべて現金を使い、問題ありませんでした(どの紙幣が使えるか、画面で指示されるので注意する必要あり)。チップに必要な小銭作りにも、自販機が役に立ちました。自販機は乗り継ぎも指示してくれますが、その場合は書き留めておかないと、あとでわからなくなる可能性があります。
かならず一等車がついていますから、余裕のある方には、利用をお勧めします。二等車が混んでいても、一等車はガラガラで、気兼ねせずに済むからです。ひとりで何人分もの席を占領している人など向こうではざらですから、割り込む勇気のない人は、一等車です(笑)。
一等車には、「静かな席」という区分があります。それは、ケータイ禁止のゾーンです。ということは、ケータイを許容しているということですね。しかし全員がケータイ/スマホとにらめっこ、という風景は、ドイツではお目にかかりませんでした。
最大の感想。それは、ドイツの列車は遅れる、ということです。ドイツ人はきちんとしているから遅れない、と思う方もいらっしゃるでしょうが、少なくとも旧東は、全部遅れると思ってください。マクデブルクからツェルプストに行ったときなどは、女性車掌がホームで話し込んでいて、5分後に悠然と発車する光景を目撃しました。
遅れるとどうなるか。出たとこ勝負で、発着ホームが変わるのです。ふと気がつくと、ホームで待っていた人が誰もいない。来るはずの列車が離れたホームに停まっている、ということが起こります。この臨機応変は、旅行者には大敵です。
ロストックからベルリンに戻るときには、自販機で買った切符の乗り継ぎを窓口で確認し、プリントアウトしてもらった時間割で、列車に乗りました。シュヴェリーンと、ルートヴィヒスルストで乗り換えることになっていました。ロストック~シュヴェリーン間でまず遅れが発生し、乗り継ぎ列車のホームが直前に変更されて、別のホームへと急ぐ羽目に。そうしたら、目前でドアが閉まってしまったのです。ショックを受けましたが、発車ではなかったので、開いて乗ることができました。
この列車からは、ルートヴィヒスルストで、ICEに乗り換えることになっていました。しかし時間割を見ると、乗り継ぎの時間が4分しかないのです。しかし列車は、10分以上遅れている。これはまずい、と焦り始めたときに、検札の女性車掌がやってきました。
私が乗り継ぎは大丈夫か、と尋ねると、ダメだ、この列車は遅れている、というのです。ICEが遅れている可能性もあるのではないか、と言うと、いや、それはない、というキッパリ返事。乗り継げるというから買った切符だ、それならルートヴィヒスルストで降りて次の列車に乗るべきか、この鈍行に乗り続けるべきか、と尋ねたところ、どこかに電話をかけ、「非現実的な乗り継ぎだ」云々と、強い口調でしゃべっています。結局、乗り継げる列車はないので、このまま鈍行でベルリンまで行くべし、という話になりました。夜の10時着が、11時になってしまう。一応「すみません」という言葉は出ましたが、実感はこもっていませんでした。
あきらめて、窓からルートヴィヒスルストのホームを眺めていました。乗り継ぎ時刻より、15分遅れています。するとホームがあわただしくなり、なんとICEが入ってきたのですね。もちろんあわてて荷物をまとめ、乗り換えました。このように、遅れるから困ることもあれば、遅れて助かることもあるのが、ドイツの鉄道です。
こういうところで過ごしましたので、戻ってきた日本が、別世界のようです。すべての列車が、事故のない限り正確に運行され、そのために、万全の配慮が払われている。秩序の維持も行き届いており、日本人はなんと優秀なのだろう、と心から思った次第です。
ドイツ滞在記2013(14)--最後の一山 ― 2013年07月04日 22時57分18秒
29日(土)。空港に早く着かなくてはならないので、緊張して起床しました。マクデブルクのホテルをチェックアウトする際、「昨日のパーティは何だったのですか」と聞くと、耳を疑うような答えが。ギムナジウムの修了記念パーティだ、というのです。え、あの豪華ドレスの女性たちが(男性もいましたが目に入らず)、ドイツ人?!普通の、そのへんの高校生?!とうてい信じられない私は、これまでなにか、大きな勘違いをして過ごしてきたのでしょうか。
列車は、駅に張り出されている一覧表で調べておきました。7時10分のローカル列車に乗ると、ケーテン、ハレと経由して、8時5分に空港に着きます(ライプツィヒはその先、終点)。コインロッカーから荷物を出し、詰め替えて出国審査をしても、ちょうどよさそうな目算です。そこでドイツ鉄道の新兵器、ナビゲーター機能をもつ自動販売機で、空港行きのチケットを買おうとしました。すると、到着時間が9時23分と表示される上、妙に値段が高いのですね。変だなあ、と思いましたが、時間が迫っていたのでとにかくチケットを買い、列車を待ちました。
すると放送が、今日はケーテンとハレがなんとか、と言っています。そのなんとかが聴きとれないうちに、ライプツィヒ行きの列車が到着。しかし鈍行ではなく、急行(IC)です。変だと思ったが、目的地は一緒だし、ハレのような主要駅は必ず停まるだろうからそこで乗り換えてもいいと思い、そのまま乗り込みました。
しばらくして、検札が来ました。念のため、「ハレで停まりますよね」と尋ねたところ、なんと、「停まりません、次は ラ イ プ ツ ィ ヒ です」というではありませんか!私は驚きのあまり、髪の毛が逆立ってしまいました。ドイツの鉄道は、遅れはしょっちゅう、直前のホーム変更はしょっちゅう。しかしハレや空港のような重要駅を「今日は」飛ばしてしまうような変更をするとは、あんまりです。そうか、自動販売機は、ライプツィヒから戻ってくることを想定して、高い値段と遅い到着時間を提示していたわけか。
しかしどこにも停まらないのでは、手の打ちようがありません。私も人様を喜ばせるために旅行をしているわけではないので、飛行機に遅れた旅行を飛行機に遅れて締めくくる、なんていうのはひどすぎです。ともあれ最善を尽くそうと、ライプツィヒ駅ではまなじりを決して走り、タクシーに駆け込んで、空港を指定しました。
空港着。しかしビルが2つあり、コインロッカーが見つからりません。2つのビルを走って往復し、ようやくロッカーを発見。しかし何日も滞納していますので、開かないという事態も考えられ、ダヴィデヒデさんの尊顔が、頭をよぎりました。だがここは無事に開いて、荷物の詰め替えを行いました。
私にとって(皆様ではなく)幸いだったのは、ライプツィヒの空港がローカルで人が少なく、手続きに時間がかからなかったことです。なんとかフランクフルト行きに間に合い、乗り継ぎにも成功して、日本に帰って参りました!全14回(←バッハの数)の連載にお付き合いくださった方々、ありがとうございました。
列車は、駅に張り出されている一覧表で調べておきました。7時10分のローカル列車に乗ると、ケーテン、ハレと経由して、8時5分に空港に着きます(ライプツィヒはその先、終点)。コインロッカーから荷物を出し、詰め替えて出国審査をしても、ちょうどよさそうな目算です。そこでドイツ鉄道の新兵器、ナビゲーター機能をもつ自動販売機で、空港行きのチケットを買おうとしました。すると、到着時間が9時23分と表示される上、妙に値段が高いのですね。変だなあ、と思いましたが、時間が迫っていたのでとにかくチケットを買い、列車を待ちました。
すると放送が、今日はケーテンとハレがなんとか、と言っています。そのなんとかが聴きとれないうちに、ライプツィヒ行きの列車が到着。しかし鈍行ではなく、急行(IC)です。変だと思ったが、目的地は一緒だし、ハレのような主要駅は必ず停まるだろうからそこで乗り換えてもいいと思い、そのまま乗り込みました。
しばらくして、検札が来ました。念のため、「ハレで停まりますよね」と尋ねたところ、なんと、「停まりません、次は ラ イ プ ツ ィ ヒ です」というではありませんか!私は驚きのあまり、髪の毛が逆立ってしまいました。ドイツの鉄道は、遅れはしょっちゅう、直前のホーム変更はしょっちゅう。しかしハレや空港のような重要駅を「今日は」飛ばしてしまうような変更をするとは、あんまりです。そうか、自動販売機は、ライプツィヒから戻ってくることを想定して、高い値段と遅い到着時間を提示していたわけか。
しかしどこにも停まらないのでは、手の打ちようがありません。私も人様を喜ばせるために旅行をしているわけではないので、飛行機に遅れた旅行を飛行機に遅れて締めくくる、なんていうのはひどすぎです。ともあれ最善を尽くそうと、ライプツィヒ駅ではまなじりを決して走り、タクシーに駆け込んで、空港を指定しました。
空港着。しかしビルが2つあり、コインロッカーが見つからりません。2つのビルを走って往復し、ようやくロッカーを発見。しかし何日も滞納していますので、開かないという事態も考えられ、ダヴィデヒデさんの尊顔が、頭をよぎりました。だがここは無事に開いて、荷物の詰め替えを行いました。
私にとって(皆様ではなく)幸いだったのは、ライプツィヒの空港がローカルで人が少なく、手続きに時間がかからなかったことです。なんとかフランクフルト行きに間に合い、乗り継ぎにも成功して、日本に帰って参りました!全14回(←バッハの数)の連載にお付き合いくださった方々、ありがとうございました。
ドイツ旅行記(13)--こ、この人たち、誰? ― 2013年07月03日 23時26分19秒
海外旅行をしていると、時間のめぐりがゆっくりになります。あまりに日が経たないので、帰国に備えて曜日を数え直すことも、しばしば。帰国便にだけは乗り遅れるわけにいきませんから、私もナーバスになっていました。
帰国便は、土曜日の午前、ライプツィヒから飛び立ちます。空港に8時に着くと、ちょうどよさそう。だとすると、残りの1泊をどこにするのがいいか、思案しました。ライプツィヒに戻るのももったいないし、離れた街もこわいので、選んだのはほどほどの距離にある、マクデブルク。今回、ハレ、ケーテン、ツァイツを訪れ、ザクセン=アンハルト州の土地勘を得ましたので、その州都、マクデブルクへの関心が増大していました。
ベルリンからいったんマクデブルクに着き、荷物をコインロッカーに預けて、ツェルプストを往復。ここも昔宮廷があり、バッハがかかわりをもっていた町です。町は整備されていましたが昔の建物はほとんどなく、夕立にも見舞われ、訪問は、はかばかしい成果なく終わりました。
マクデブルクに戻り、ネットから予約しておいた四つ星のホテル、マリティムへ。設備といい客扱いといい抜群のホテルで、皆様にもお勧めです。ここで、驚くべきことが。ロビーにパーティの準備がしつらえられ、ものすごく着飾った美女たちが、続々とやってくるではありませんか。まさに、有名映画祭そのままの雰囲気なのです。この人たちは何者だろう、このあたりの人とは思えないがどこの国から来ているのだろうか、と深刻な疑惑を抱きつつ、横目でちらちら見ながら、街の散策へと出発しました。
見どころが多い街ですね。たくさんの教会があり、大聖堂の壮大さは、北の諸都市に劣りません。
旧市街を歩くと、テレマンのプレートがありました。そう、ここはテレマンの生まれた街なのです。
マリティム・ホテルのディナーも良かったですよ。最後の夜も更け、徐々に緊張が高まってきました。汽車の時間を調べ、モーニングコールも頼んで、就寝。映画祭(?)パーティも、遅くまで盛り上がっていたようでした。
ドイツ旅行記(12)--ハンザ都市に驚く ― 2013年07月02日 23時58分21秒
個人旅行の方は、簡潔に報告させていただきます。「順調な旅行じゃないの。面白くないよ」とおっしゃるあなた。最後にもう一山ありますので、お待ちください。
26日(水)。夕方近く、図書館で一通りの目的を果たした私は、一路、ベルリンに向かいました。ベルリンは予定外でしたが、疲れてもきていたので、慣れた街で日本食でも食べよう、と思い立ちました。
ベルリン中央駅(ハウプトバーンホーフ)でICEを降りようと準備しましたが、ふと、疑念が。それは、ベルリンに中央駅なんてあったっけ、ということです。着いてみると、そこにあったのは、何層にも立体化された大きな駅。どうやら私が最後に訪れた後にできたらしく、私としたことが、どこに行ってどうしてよいやらまったくわからずに、しばらく呆然として、ウロウロしてしまいました。
やっとの思いで旧チャーリー・ポイント近くのホテルに入りましたが、ベルリンの中央部はいたるところ工事中で、殺風景。旧東地区が美しくなるには、まだ時間がかかりそうです。結局、西地区の玄関だったクーダムのあたりまで、夕食に出かけました。エッティンガー・ホテルの夕食は、良かったですよ。
今回の目的として新たに加わったのは、オルガンのある教会を見て回りたい、ということでした。放送で「何教会の何オルガン」という紹介をしますので、できるだけ実感をもちたい、と思ったからです。となると、北ドイツに行かなくてはなりません。そこで、ベルリンから比較的近い旧東のバルト海岸まで、行ってみることにしました。地図の右上、メクレンブルク=フォーアポメルン州に相当します。
鈍行で2時間半を費やし、世界遺産の都市、シュトラールズントに到着。先日のオルガン・シリーズで、聖マリア教会のオルガンを紹介したところです。駅からの最初の散策で見つけたのがこの教会ですが、大きいのなんの。ドーンと屹立するその偉容に、ハンザ同盟都市の繁栄は半端なものではなかったんだなあ、と実感しました。
内部のオルガンも、堂々たるもの。リューベックの製作者、シュテルヴァーゲンによる楽器です。
旧市街を一通り見たあとは港に出て、穏やかな海(←内海の、そのまた内海)を眺めながらお昼を食べました。ドイツにおいて、海の景観はやっぱり貴重です。
ベルリンに往復も惜しいので、西に向かい、このあたりの中心都市、ロストックへ。巨大な建物にかつての繁栄を伝えるという点では、ここもまったく同じでした。写真は聖マリア教会。中心教会がマリアの名を伝えるのは、いずこも同じ伝統のようです。
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