秋の海景色 ― 2012年11月16日 08時04分17秒
14日(火)は、名古屋で起床。大阪のコンサートは19:00からですから、時間があります。紀伊半島を一周しようかと思って南紀のガイドブックを買っておきましたが、一番の特急を逃がしてしまい、方針を変更して、鳥羽に行くことにしました。
伊勢志摩は訪れたことがなく、車中、スマホを駆使してにわか勉強。鳥羽駅で降りるとさっそく目に入る海景色に、心を癒されます。裏山、日和山山頂からの眺めはとくによく、いくつもの島が折り重なるように展開しているさまに、しばし見入りました。日本はいいなあ、というのが実感。知らないところがたくさんありますので、機会をとらえて訪れてみたいと思います。
海の幸豊富な土地柄で、食堂のメニューは全部食べてしまいたいと思うほど。迷った末、「アワビ丼」と地ビールを注文しました。満足したあとは伊勢神宮の外宮(げくう)を見て、大阪に移動しました。
「ウィーン音楽祭」6つ目は、ウィーン弦楽四重奏団です。これまでずいぶん貢献してくれた団体でファンも多く、客席の盛り上がりもなかなかでしたが、メンバーの高齢化による影響が演奏に出ていたことも見逃せません。今後の世代交代、どうなるでしょうか。
伊勢志摩は訪れたことがなく、車中、スマホを駆使してにわか勉強。鳥羽駅で降りるとさっそく目に入る海景色に、心を癒されます。裏山、日和山山頂からの眺めはとくによく、いくつもの島が折り重なるように展開しているさまに、しばし見入りました。日本はいいなあ、というのが実感。知らないところがたくさんありますので、機会をとらえて訪れてみたいと思います。
海の幸豊富な土地柄で、食堂のメニューは全部食べてしまいたいと思うほど。迷った末、「アワビ丼」と地ビールを注文しました。満足したあとは伊勢神宮の外宮(げくう)を見て、大阪に移動しました。
「ウィーン音楽祭」6つ目は、ウィーン弦楽四重奏団です。これまでずいぶん貢献してくれた団体でファンも多く、客席の盛り上がりもなかなかでしたが、メンバーの高齢化による影響が演奏に出ていたことも見逃せません。今後の世代交代、どうなるでしょうか。
偉大なり!藤村実穂子 ― 2012年11月12日 09時24分11秒
いずみホールの「ウィーン音楽祭 in Osaka」、10日のマーラー《大地の歌》(+ピアノ四重奏曲)で、全7公演のうちの5つが終わりました。芸術監督である私が良かった良かったというのも立場上どうか、とつねに思いながら、間近で接する体験のご報告という形で書かせていただいています。それにしても、この《大地の歌》は良かった。レジテントの室内オケ(いずみシンフォニエッタ)を起用した国産企画だけに、感銘もひとしお。偉大なる藤村実穂子さんの絶唱に酔いました。
〈告別〉の章を歌い終え、しばしの静寂のあとに湧き上がった盛大な拍手に応える藤村さんの挙措に、私は格別な「熱さ」を直感しました。ご本人にとっても、この日は会心の演奏だったのではないか。そう思った私は、さっそく楽屋へ伺いました。
「永遠に、永遠にewig, ewig」ですでに涙の出ていた私は、藤村さんが「客席を見ると涙が出そうだったのでずっと楽譜を見ていた」とおっしゃるのを聞き、もはや、涙止まらず。シェーンベルク=リーム編の精緻なスコアをみごとにまとめられた指揮者、金聖響さんも、涙を抑えるのに困った、と言っておられます(自分を誇らずに藤村さんへの感動を一貫して表明された金さん、芸術家ですね)。客席を包んだ尋常ならざる高まりを、演奏者が完全に共有していたことがわかりました。
藤村さんの演奏については皆様もよくご存じでしょうが、強大なブレスに基づく揺るぎない技術的基盤に立ち、ありあまるマテリアルを作品を深奥に向けて注ぎ込む歌い手です。マーラーの寂寥感が、余情や感傷でなく、音へと純粋に結晶した表現として歌い出されるのです。藤村さんから、このホールが大好きであること、シェーンベルク版を演奏できてよかったこと、大阪のお客様が温かいことを伺い、そのお言葉を心に刻みました。いつかまた、再演したいです。
〈告別〉の章を歌い終え、しばしの静寂のあとに湧き上がった盛大な拍手に応える藤村さんの挙措に、私は格別な「熱さ」を直感しました。ご本人にとっても、この日は会心の演奏だったのではないか。そう思った私は、さっそく楽屋へ伺いました。
「永遠に、永遠にewig, ewig」ですでに涙の出ていた私は、藤村さんが「客席を見ると涙が出そうだったのでずっと楽譜を見ていた」とおっしゃるのを聞き、もはや、涙止まらず。シェーンベルク=リーム編の精緻なスコアをみごとにまとめられた指揮者、金聖響さんも、涙を抑えるのに困った、と言っておられます(自分を誇らずに藤村さんへの感動を一貫して表明された金さん、芸術家ですね)。客席を包んだ尋常ならざる高まりを、演奏者が完全に共有していたことがわかりました。
藤村さんの演奏については皆様もよくご存じでしょうが、強大なブレスに基づく揺るぎない技術的基盤に立ち、ありあまるマテリアルを作品を深奥に向けて注ぎ込む歌い手です。マーラーの寂寥感が、余情や感傷でなく、音へと純粋に結晶した表現として歌い出されるのです。藤村さんから、このホールが大好きであること、シェーンベルク版を演奏できてよかったこと、大阪のお客様が温かいことを伺い、そのお言葉を心に刻みました。いつかまた、再演したいです。
ルプー、入神のシューベルト ― 2012年11月07日 10時31分09秒
最近痛感するのは、ホールもひとつの楽器だということ。楽器が多種多様であるように、ホールも大きさや形態、音響条件によってさまざまです。ですから、演奏家がその違いに対応してホールを鳴らしてくれると、コンサートの価値はずっと高くなる。その逆もまた、真です。そんな思いを強めていたタイミングで、ラドゥ・ルプーのシューベルト・アーベントに巡りあいました(6日)。
ウィーン音楽祭4つ目のコンサートですが、3つ目の完売。演奏者と聴衆の皆様から大きな波をホールがいただいているような、ありがたい気持ちです。いつもより暗い舞台照明で、コンサートは淡々と始まりました。しかしその音の美しさには、満場驚愕といっても、過言ではないでしょう。まろやかで潤いのある音が、清水のような爽やかさで湧きだしてくる。その響きがホールとよくなじんで、客席をすみずみまで満たしていくのです。
タッチや脱力など、技術的な要因も大きいでしょうが、色合いが無限に変化するその奥行きに引き込まれると、演奏者の耳、とりわけ絶妙な和声感がそれを支えていることに、気づかないわけにはいきません。和声の天才、シューベルトの楽譜から、常人では気づかないような何倍もの情報が、引き出されているのです。天国的な長さ、あくなき反復といった特徴も、このように演奏されると、心ゆくまで味わいを楽しむ枠組みとなります。即興曲、最後のソナタには、年輪を重ねたルプーがシューベルトを慰めているように感じられるところもありました。
静かな演奏なのに、客席の盛り上がりは熱烈。高揚した表情で私に声をかけてくださる方も、いつになく多かったです。ご本人は包容力のある素朴なお人柄で、サインの長い列に、上機嫌で対応しておられました。
ウィーン音楽祭4つ目のコンサートですが、3つ目の完売。演奏者と聴衆の皆様から大きな波をホールがいただいているような、ありがたい気持ちです。いつもより暗い舞台照明で、コンサートは淡々と始まりました。しかしその音の美しさには、満場驚愕といっても、過言ではないでしょう。まろやかで潤いのある音が、清水のような爽やかさで湧きだしてくる。その響きがホールとよくなじんで、客席をすみずみまで満たしていくのです。
タッチや脱力など、技術的な要因も大きいでしょうが、色合いが無限に変化するその奥行きに引き込まれると、演奏者の耳、とりわけ絶妙な和声感がそれを支えていることに、気づかないわけにはいきません。和声の天才、シューベルトの楽譜から、常人では気づかないような何倍もの情報が、引き出されているのです。天国的な長さ、あくなき反復といった特徴も、このように演奏されると、心ゆくまで味わいを楽しむ枠組みとなります。即興曲、最後のソナタには、年輪を重ねたルプーがシューベルトを慰めているように感じられるところもありました。
静かな演奏なのに、客席の盛り上がりは熱烈。高揚した表情で私に声をかけてくださる方も、いつになく多かったです。ご本人は包容力のある素朴なお人柄で、サインの長い列に、上機嫌で対応しておられました。
第3コンサート:庄司紗矢香 ― 2012年11月04日 17時25分51秒
11月3日(土)は、庄司紗矢香+ジャンルカ・カシオーリのコンサート。期待通りすばらしいものでした。私的には、とくにドビュッシー、ヤナーチェクです。庄司さんの純粋をきわめた響き、高貴な美意識に貫かれた繊細な表現を楽しむには、いずみホールの大きさ、音響は絶好であるように思います。またしても完売。ツキがかさんでゆきます。
先日ご報告したオルガン伴奏によるウィーン楽友協会合唱団のコンサート、日経新聞のデジタル版に、佐々木宇蘭記者が感動的な記事を書いてくださいました。私としてありがたいというだけでなく、1つのコンサートに関してこれだけの記事というのはたいしたものだと感服しましたので、リンクを張らせていただきます。http://www.nikkei.com/article/DGXBZO47857800Q2A031C1000001/ いまキャンペーン中で、しばらくはタダで読めるのだそうです。私も加入考慮中です。
先日ご報告したオルガン伴奏によるウィーン楽友協会合唱団のコンサート、日経新聞のデジタル版に、佐々木宇蘭記者が感動的な記事を書いてくださいました。私としてありがたいというだけでなく、1つのコンサートに関してこれだけの記事というのはたいしたものだと感服しましたので、リンクを張らせていただきます。http://www.nikkei.com/article/DGXBZO47857800Q2A031C1000001/ いまキャンペーン中で、しばらくはタダで読めるのだそうです。私も加入考慮中です。
ウィーン音楽祭11月 ― 2012年10月31日 22時01分13秒
「ウィーン音楽祭 in Osaka」、あと5公演あります。
11月3日(土)は、スーパースターの庄司紗矢香さんが、ジャンルカ・カシオーリのピアノで、ベートーヴェンの《スプリング》、ヤナーチェクとドビュッシーのソナタ、シューベルトの幻想曲を演奏されます。チケット、残りわずかと聞いています。土曜日は普通16時からですが、この日は祭日なので14時からとなっています。お間違いなく。
6日(火)は、ラドゥ・ルプーのオール・シューベルト・プログラム(19:00から)。ルプーはアンギャンさんの一番好きなピアニストの1人だそうで、ウィーンでのリサイタルもすばらしかった、とおっしゃっていました。これも残りわずかだそうです。めったに聴けないという意味でも、お薦めのコンサートです。
10日(土)は、マーラーの《大地の歌》+ピアノ四重奏曲。ソロは藤村実穂子さん、福井敬さんという豪華版です。シェーンベルク/リームの室内オーケストラ用編曲版というのにひっかかる方もおられるかと思いますが、この編曲はすばらしいもので、大事な音は全部聞こえてきますし、声楽がよく生かされて、いずみホール程度の規模で演奏するには最適。クオリティの高いいずみシンフォニエッタが、金聖響さんの指揮で演奏します。あ、これは16時からです。
14日(水)は、ウィーンの味わいをよく伝えるウィーン弦楽四重奏団のコンサートです(19:00から)。ハイドンの《鳥》、ベートーヴェンの第16番、シューベルトの《死と乙女》というプログラム。25日(日)14:00からのラスト・コンサートは、ユベール・スダーン指揮の大阪フィルで、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と、シューベルトのグレート・シンフォニー。ソリストは若手のインゴルフ・ヴンダーです。《グレート》による締めくくりは、楽友協会200年にふさわしいと思います。
最後の日が学会と重なっているほかは、私も足を運ぶつもりです。会場でお目にかかりますので、どうぞ声をおかけください。
11月3日(土)は、スーパースターの庄司紗矢香さんが、ジャンルカ・カシオーリのピアノで、ベートーヴェンの《スプリング》、ヤナーチェクとドビュッシーのソナタ、シューベルトの幻想曲を演奏されます。チケット、残りわずかと聞いています。土曜日は普通16時からですが、この日は祭日なので14時からとなっています。お間違いなく。
6日(火)は、ラドゥ・ルプーのオール・シューベルト・プログラム(19:00から)。ルプーはアンギャンさんの一番好きなピアニストの1人だそうで、ウィーンでのリサイタルもすばらしかった、とおっしゃっていました。これも残りわずかだそうです。めったに聴けないという意味でも、お薦めのコンサートです。
10日(土)は、マーラーの《大地の歌》+ピアノ四重奏曲。ソロは藤村実穂子さん、福井敬さんという豪華版です。シェーンベルク/リームの室内オーケストラ用編曲版というのにひっかかる方もおられるかと思いますが、この編曲はすばらしいもので、大事な音は全部聞こえてきますし、声楽がよく生かされて、いずみホール程度の規模で演奏するには最適。クオリティの高いいずみシンフォニエッタが、金聖響さんの指揮で演奏します。あ、これは16時からです。
14日(水)は、ウィーンの味わいをよく伝えるウィーン弦楽四重奏団のコンサートです(19:00から)。ハイドンの《鳥》、ベートーヴェンの第16番、シューベルトの《死と乙女》というプログラム。25日(日)14:00からのラスト・コンサートは、ユベール・スダーン指揮の大阪フィルで、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と、シューベルトのグレート・シンフォニー。ソリストは若手のインゴルフ・ヴンダーです。《グレート》による締めくくりは、楽友協会200年にふさわしいと思います。
最後の日が学会と重なっているほかは、私も足を運ぶつもりです。会場でお目にかかりますので、どうぞ声をおかけください。
白熱の《ミサ・ソレムニス》 ― 2012年10月29日 13時18分10秒
4日間大阪に滞在したあと、日曜日は須坂を往復。疲れの出ているこの月曜日です。
27日(土)の、ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》。この曲に接したのは大学生の頃だったと思いますが(クレンペラーのレコード)、とりつく島がないようなむずかしさを感じました。雑誌で宇野功芳先生の「わからなくてもいいから、宝としてとにかく聴くべし」というお考えに接し、なるほどと実践していたのがその頃でした。
しかし、《ロ短調ミサ曲》を身近に思える年代に達した今、《ミサ・ソレムニス》のすばらしさには、目を見張る思いがします。この曲をさまざまな指揮者のもとで歌い込み、つい十日前にウィーン交響楽団とやってきたという楽友協会合唱団が歌っただけに、なおさらです。後陣に屏風のように並んで確然とした歌声を発する合唱団を、アルミンクさんが意欲満々で指揮。響きはときに怒濤のようで、メリハリも十分でした。
先発のソリスト、櫻田亮さんの「キリエ」第一声に鳥肌。櫻田さんも、それから加納悦子さんも、いずみホール初登場だったのですね。正確な技術と楽譜の深い読みに支えられた加納さんの歌唱は芸術的な色香さえ漂って、まさに神品の趣。その〈アグヌス・デイ〉を聴きながら、1月の《ロ短調ミサ曲》の感動を、まざまざと思い起こしました。その他、語り尽くせませんが、熱演してくださった皆様、そしてお客様、ありがとうございました。
打ち上げもありませんので、白熱の盛り上がりで沸き立ったホールから、皆さん、どんどん散っていかれます。これが音楽家の日常なのですね。ウィーンとのパイプは、やはり大事にしていくつもりです。
27日(土)の、ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》。この曲に接したのは大学生の頃だったと思いますが(クレンペラーのレコード)、とりつく島がないようなむずかしさを感じました。雑誌で宇野功芳先生の「わからなくてもいいから、宝としてとにかく聴くべし」というお考えに接し、なるほどと実践していたのがその頃でした。
しかし、《ロ短調ミサ曲》を身近に思える年代に達した今、《ミサ・ソレムニス》のすばらしさには、目を見張る思いがします。この曲をさまざまな指揮者のもとで歌い込み、つい十日前にウィーン交響楽団とやってきたという楽友協会合唱団が歌っただけに、なおさらです。後陣に屏風のように並んで確然とした歌声を発する合唱団を、アルミンクさんが意欲満々で指揮。響きはときに怒濤のようで、メリハリも十分でした。
先発のソリスト、櫻田亮さんの「キリエ」第一声に鳥肌。櫻田さんも、それから加納悦子さんも、いずみホール初登場だったのですね。正確な技術と楽譜の深い読みに支えられた加納さんの歌唱は芸術的な色香さえ漂って、まさに神品の趣。その〈アグヌス・デイ〉を聴きながら、1月の《ロ短調ミサ曲》の感動を、まざまざと思い起こしました。その他、語り尽くせませんが、熱演してくださった皆様、そしてお客様、ありがとうございました。
打ち上げもありませんので、白熱の盛り上がりで沸き立ったホールから、皆さん、どんどん散っていかれます。これが音楽家の日常なのですね。ウィーンとのパイプは、やはり大事にしていくつもりです。
アンギャン博士講演会 ― 2012年10月27日 10時41分50秒
「ウィーン音楽祭 in Osaka」関連の企画、26日(金)は、トーマス・アンギャン博士の講演会でした。題して「ウィーン楽友協会の200年」。通訳は岡本和子さんにお願いしました。
楽友協会のトップとして世界中を飛び回るアンギャンさんですが、音楽祭の際には多忙なスケジュールを割いて必ず数日大阪に滞在され、講演やシンポジウムにも対応してくださいます。堂々たる体格、貴族的な風貌、卓越した指導力と人当たりの良さを兼ね備えた類まれな方で、この方を芸術監督に得たことがこれまでのウィーン音楽祭にはじつに大きな力だったと、実感しています。
よく響くバスの声で行われた講演は、楽友協会の成り立ちから現状に及ぶものでしたが、年間の主催公演が4つの新ホールと合わせて(計6つ)480から500、多い時は土日だけで15、というお話に、まず圧倒されてしまいました。世界のオーケストラを招聘するが、ウィーンにしばらく住んでもらい、チクルスの形でコンサートを開くのが、相互にメリットがあるとか。この6月にはバレンボイムとベルリン・シュターツカペレが11日間をかけ、ブルックナーの交響曲全曲とモーツァルトのピアノ協奏曲5曲を演奏したのが、その一例とのことでした。う~ん、目の回るようなお話ですね。
もうひとつ興味深かったのは、未来の聴衆を育てるために、子供たちのための特別コンサートを年間150回も開いている、ということ。世代を分け、それによって内容を変えるなど、さまざまな工夫をこらしているそうです。どんなプログラムを提供しているのか興味がありましたが、たとえばモーツァルトやチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を1つの楽章だけ、というやり方をするそうで、名曲への啓蒙がポリシーとなっている、と受け止めました。
イベント的性格をもつ大衆的なプログラムも提供しているが、娯楽的なプログラムとシリアスなプログラムの違いはお客様がよくわかっていることで、前者に傾きすぎないようにバランスに注意している、というお話にも共感しました。
公演後は客席からたくさんの質問が出て、時間の区切りに苦労するほど。講演者への、何よりのはなむけです。今日は4時から、期待の《ミサ・ソレムニス》。この音楽祭を継続したい気持ちが日毎に強まり、困っています。
楽友協会のトップとして世界中を飛び回るアンギャンさんですが、音楽祭の際には多忙なスケジュールを割いて必ず数日大阪に滞在され、講演やシンポジウムにも対応してくださいます。堂々たる体格、貴族的な風貌、卓越した指導力と人当たりの良さを兼ね備えた類まれな方で、この方を芸術監督に得たことがこれまでのウィーン音楽祭にはじつに大きな力だったと、実感しています。
よく響くバスの声で行われた講演は、楽友協会の成り立ちから現状に及ぶものでしたが、年間の主催公演が4つの新ホールと合わせて(計6つ)480から500、多い時は土日だけで15、というお話に、まず圧倒されてしまいました。世界のオーケストラを招聘するが、ウィーンにしばらく住んでもらい、チクルスの形でコンサートを開くのが、相互にメリットがあるとか。この6月にはバレンボイムとベルリン・シュターツカペレが11日間をかけ、ブルックナーの交響曲全曲とモーツァルトのピアノ協奏曲5曲を演奏したのが、その一例とのことでした。う~ん、目の回るようなお話ですね。
もうひとつ興味深かったのは、未来の聴衆を育てるために、子供たちのための特別コンサートを年間150回も開いている、ということ。世代を分け、それによって内容を変えるなど、さまざまな工夫をこらしているそうです。どんなプログラムを提供しているのか興味がありましたが、たとえばモーツァルトやチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を1つの楽章だけ、というやり方をするそうで、名曲への啓蒙がポリシーとなっている、と受け止めました。
イベント的性格をもつ大衆的なプログラムも提供しているが、娯楽的なプログラムとシリアスなプログラムの違いはお客様がよくわかっていることで、前者に傾きすぎないようにバランスに注意している、というお話にも共感しました。
公演後は客席からたくさんの質問が出て、時間の区切りに苦労するほど。講演者への、何よりのはなむけです。今日は4時から、期待の《ミサ・ソレムニス》。この音楽祭を継続したい気持ちが日毎に強まり、困っています。
ウィーン音楽祭開幕! ― 2012年10月25日 12時22分36秒
24 日、「ウィーン音楽祭 in Osaka」が開幕。今回は新幹線で向かう段階で不思議なほどの気持ちの高ぶりを覚えていたのですが、満員のお客様の拍手が鳴り止まない、すばらしいスタートになりました。おかげさまです。
再招聘したウィーン楽友協会合唱団。メインの曲目はベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》と決め、もう一つ、コンサートを作りたいと思いました。しかしこの合唱団は、ムジークフェラインのステージで、ウィーン・フィルなどのオーケストラの後ろで名曲を担当するのが役割ですから、合唱曲ばかり集めたいかにも合唱団というコンサートは、なじまないのです。逆に合唱団の方から、モーツァルトの《レクイエム》とシューベルトの《ミサ曲第2番》をオルガン版で、という提案をいただき、オルガンを使えるのはありがたいということで、オルガニスト(ロベルト・コヴァーチュさん)の同行をお願いしました。
オルガン版でどこまでアピールできるものか、じつは自信がなかったのですが、意外にも注目が集まり、NHKの映像収録まで入ることに。チケット完売一番乗りという状況でコンサートを迎えることができました。
皆さんアマチュアなのに、ステージに勢揃いしたときの存在感は大したもの。シューベルトが始まって耳を打ったのは、熟成したやわらかい響きと、流れるような音楽性でした。あたかもウィーンという街そのものが歌っているかのようで、一朝一夕には作りようのない響きです。伝統の一部をなすのは、ウィーンがカトリックの風土だということですね。ミサ曲やレクイエムのテキストが、身体の一部になり切っているのです。
この合唱に、日本のソリストたち(半田美和子、井坂恵、望月哲也、若林勉)がすっかり溶け込んでいたのには驚き、また安堵しました。指揮者、アロイス・グラスナーさんの絶妙のご指導があったと伺いました。
大阪城の見えるレストランで歌い手の方々とワインを飲むひとときは楽しいものでしたが、ツキを使いすぎたのではないかと心配です。土曜日の《ミサ・ソレムニス》、まだチケットありますので、どうぞよろしく。
再招聘したウィーン楽友協会合唱団。メインの曲目はベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》と決め、もう一つ、コンサートを作りたいと思いました。しかしこの合唱団は、ムジークフェラインのステージで、ウィーン・フィルなどのオーケストラの後ろで名曲を担当するのが役割ですから、合唱曲ばかり集めたいかにも合唱団というコンサートは、なじまないのです。逆に合唱団の方から、モーツァルトの《レクイエム》とシューベルトの《ミサ曲第2番》をオルガン版で、という提案をいただき、オルガンを使えるのはありがたいということで、オルガニスト(ロベルト・コヴァーチュさん)の同行をお願いしました。
オルガン版でどこまでアピールできるものか、じつは自信がなかったのですが、意外にも注目が集まり、NHKの映像収録まで入ることに。チケット完売一番乗りという状況でコンサートを迎えることができました。
皆さんアマチュアなのに、ステージに勢揃いしたときの存在感は大したもの。シューベルトが始まって耳を打ったのは、熟成したやわらかい響きと、流れるような音楽性でした。あたかもウィーンという街そのものが歌っているかのようで、一朝一夕には作りようのない響きです。伝統の一部をなすのは、ウィーンがカトリックの風土だということですね。ミサ曲やレクイエムのテキストが、身体の一部になり切っているのです。
この合唱に、日本のソリストたち(半田美和子、井坂恵、望月哲也、若林勉)がすっかり溶け込んでいたのには驚き、また安堵しました。指揮者、アロイス・グラスナーさんの絶妙のご指導があったと伺いました。
大阪城の見えるレストランで歌い手の方々とワインを飲むひとときは楽しいものでしたが、ツキを使いすぎたのではないかと心配です。土曜日の《ミサ・ソレムニス》、まだチケットありますので、どうぞよろしく。
最後のウィーン音楽祭 ― 2012年10月02日 23時28分28秒
1993年以来、ほぼ3年ごとにいずみホールで「ウィーン音楽祭 in Osaka」を催してきました。いずみホールはムジークフェラインのホールを模した作りで、ウィーンとの接点がありましたので、楽友協会との正式のパイプを構築し、そのご指導をいただきながら開催してきました。しかし20年を経過して一定の役割を果たしたと判断し、今回を一区切りとします。
最終回は、主催者側から見ても、濃密でバランスのよいプログラミングになったと思います。全容はホールのホームページをご覧いただくとして、ここではとりあえず、10月の公演をご紹介しましょう。といっても主体は11月ですので、最初の2公演だけですが。
前回のハイライトは、楽友協会合唱団の招聘でした。カラヤンがベルリンの公演においても使い、巨匠たちと輝かしい共演の実績を残してきた、この合唱団。その実力が健在であることが前回のハイドン、ブラームスで立証されましたので、今回もう一度招聘し、モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンを歌ってもらうことにしました。合唱プロパーの曲よりも、大曲、名曲のステージで真価を発揮する合唱団です。
メイン・ステージは、27日(土)16:00からのベートーヴェン《ミサ・ソレニムス》です。指揮は「ウィーンが洋服を着ているような指揮者」クリスティアン・アルミンク、オケは日本センチュリー交響楽団で、ソリストには、小泉惠子(S)、加納悦子(A)、櫻田亮(T)、三原剛(B)と、望みうる最高の顔ぶれを揃えました。
これに先だって、シューベルトのミサ曲第2番とモーツァルトの《レクイエム》を、アロイス・グラスナーの指揮、ロベルト・コヴァチのオルガン伴奏で取り上げるコンサートがあります。追加希望によって実現した公演です。合唱団の意向により、彼らがよく使うという、オルガン伴奏版を用いることになりました。ソリストには、半田美和子(S)、井坂恵(A)、望月哲也(T)、若林勉(B)という新鮮な顔ぶれを揃えています。24日(木)19:00からのこの公演をもって、ウィーン音楽祭最終回が始まります。
11月の5公演と合わせて、チケットがばらつきなく売れているのも、今回の特徴です。早めに予定していただけると幸いです。
最終回は、主催者側から見ても、濃密でバランスのよいプログラミングになったと思います。全容はホールのホームページをご覧いただくとして、ここではとりあえず、10月の公演をご紹介しましょう。といっても主体は11月ですので、最初の2公演だけですが。
前回のハイライトは、楽友協会合唱団の招聘でした。カラヤンがベルリンの公演においても使い、巨匠たちと輝かしい共演の実績を残してきた、この合唱団。その実力が健在であることが前回のハイドン、ブラームスで立証されましたので、今回もう一度招聘し、モーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンを歌ってもらうことにしました。合唱プロパーの曲よりも、大曲、名曲のステージで真価を発揮する合唱団です。
メイン・ステージは、27日(土)16:00からのベートーヴェン《ミサ・ソレニムス》です。指揮は「ウィーンが洋服を着ているような指揮者」クリスティアン・アルミンク、オケは日本センチュリー交響楽団で、ソリストには、小泉惠子(S)、加納悦子(A)、櫻田亮(T)、三原剛(B)と、望みうる最高の顔ぶれを揃えました。
これに先だって、シューベルトのミサ曲第2番とモーツァルトの《レクイエム》を、アロイス・グラスナーの指揮、ロベルト・コヴァチのオルガン伴奏で取り上げるコンサートがあります。追加希望によって実現した公演です。合唱団の意向により、彼らがよく使うという、オルガン伴奏版を用いることになりました。ソリストには、半田美和子(S)、井坂恵(A)、望月哲也(T)、若林勉(B)という新鮮な顔ぶれを揃えています。24日(木)19:00からのこの公演をもって、ウィーン音楽祭最終回が始まります。
11月の5公演と合わせて、チケットがばらつきなく売れているのも、今回の特徴です。早めに予定していただけると幸いです。
えびす顔 ― 2012年08月06日 12時42分22秒
3日(金)の朝起きてみると、ノドが痛く、かすれたドラ声が出るだけ。今日は大事なトークなのに、とがっかりしました。でも私の理論からすれば、これは吉兆です。暑さでは格上の大阪に入り、ホールに到着してみると、スタッフ全員がえびす顔。今日のコンサートは全席売り切れで、大入り袋が出るというのです。
いずみホールは、821席の中規模ホールです。中規模ホールというのは、意外に満席にしにくいのですよ。小規模ホールに比べてたくさんのチケットを売らなければならず、大規模ホールに比べて、イベント性のある華やかな公演がやりにくいからです。
再説しますと、この日のコンサートはバッハ・オルガン作品全曲演奏会(全14回)の、第1回。プログラムは、ドリア調トッカータとフーガ、小フーガ、エルンスト公子のコンチェルト編曲、ニ長調のトッカータとフーガに、種々のコラールを交えたもの。出演はゲアハルト・ヴァインベルガー(64)で、ミュンヘン音大、デットモルト音大の教授を歴任し、新バッハ協会理事をつとめている重鎮です。オルガン作品全曲録音を、偽作もことごとく含めて成し遂げておいでです。
ぎっしり埋まった客席から注目のまなざしが降り注いでいることに驚いたのは、私以上に、初来日のヴァインベルガーさん。今ではドイツでもオルガンを聴く人は少ないのに、とおっしゃり、ほとんど興奮状態です。恒例のインタビューでも次第に口がなめらかになり、よく話されましたが、幸いにも私がドイツ語絶好調(笑)。6月の旅行が良かったのでしょうかね。
演奏様式は正統派で、テクニシャンではないが、構成力がしっかりしています。加うるに、ストップの選び方、音色の作り方がとてもお上手です。後半に大きくノリが出たのはtaiseiさんのコメント通りですが、中でも最後の3曲が良かったのではないでしょうか。
《イエスよ、わが喜び》BWV713の後半「ドルチェ」の部分で天上から声が降り注ぐようなやわらかい音色が用いられたことに、耳をそばだてられた方も多かったようです。次の辞世コラール《汝の御座の前にいまぞわれ進み出で》BWV668では、コラール旋律がなんとも冴え冴えとした響きでクローズアップされました(この曲は口述筆記の逸話により有名ですが、ただ弾くだけではなんとなく過ぎてしまいます)。そしてそれを受けたニ長調のプレリュードとフーガが、よみがえった青春のような活力をみなぎらせて、コンサートを締めくくりました。選曲に死から復活への流れが想定されていることを、洞察してくださっていたのだと思います。
終了後の拍手は、いつになく熱く、長いものでした。じつに晴れ晴れした表情で演奏を終えたヴァインベルガーさん、快活な奥様と、日本をじっくり旅行して帰られるそうです。
オルガン作品といういわば好事家向けの分野で全曲コンサートを企画できるということ自体、容易にはあり得ないことだと思います。それが、日本にはなじみの薄い演奏家の出演にもかかわらず満員のお客様に支えられてスタートできたということは本当にありがたく、しみじみ幸せを感じた1日でした。ライプツィヒとの提携、ヴォルフ先生の支援、過去の出演者たちの貢献、広報の努力とマスコミのご協力など、幅広い力が結集されてここまで出来上がったものではあることはもちろんですが、なにより励みになるのは、こうした本格的なコンサートを待っていてくださるお客様が大勢おられるということを実感できたことです。がんばらなくては。
土曜日は6時半の新幹線で戻り、朝日カルチャー新宿校に駆けつけて、世俗カンタータの講義。BWV201にはすばらしい新録音がありますので、あらためてご紹介します。講義の後半に風邪は歴然と悪化し、青息吐息。週末は休養を余儀なくされました。しかしこの程度の代償で済むのであれば、安いものです。
いずみホールは、821席の中規模ホールです。中規模ホールというのは、意外に満席にしにくいのですよ。小規模ホールに比べてたくさんのチケットを売らなければならず、大規模ホールに比べて、イベント性のある華やかな公演がやりにくいからです。
再説しますと、この日のコンサートはバッハ・オルガン作品全曲演奏会(全14回)の、第1回。プログラムは、ドリア調トッカータとフーガ、小フーガ、エルンスト公子のコンチェルト編曲、ニ長調のトッカータとフーガに、種々のコラールを交えたもの。出演はゲアハルト・ヴァインベルガー(64)で、ミュンヘン音大、デットモルト音大の教授を歴任し、新バッハ協会理事をつとめている重鎮です。オルガン作品全曲録音を、偽作もことごとく含めて成し遂げておいでです。
ぎっしり埋まった客席から注目のまなざしが降り注いでいることに驚いたのは、私以上に、初来日のヴァインベルガーさん。今ではドイツでもオルガンを聴く人は少ないのに、とおっしゃり、ほとんど興奮状態です。恒例のインタビューでも次第に口がなめらかになり、よく話されましたが、幸いにも私がドイツ語絶好調(笑)。6月の旅行が良かったのでしょうかね。
演奏様式は正統派で、テクニシャンではないが、構成力がしっかりしています。加うるに、ストップの選び方、音色の作り方がとてもお上手です。後半に大きくノリが出たのはtaiseiさんのコメント通りですが、中でも最後の3曲が良かったのではないでしょうか。
《イエスよ、わが喜び》BWV713の後半「ドルチェ」の部分で天上から声が降り注ぐようなやわらかい音色が用いられたことに、耳をそばだてられた方も多かったようです。次の辞世コラール《汝の御座の前にいまぞわれ進み出で》BWV668では、コラール旋律がなんとも冴え冴えとした響きでクローズアップされました(この曲は口述筆記の逸話により有名ですが、ただ弾くだけではなんとなく過ぎてしまいます)。そしてそれを受けたニ長調のプレリュードとフーガが、よみがえった青春のような活力をみなぎらせて、コンサートを締めくくりました。選曲に死から復活への流れが想定されていることを、洞察してくださっていたのだと思います。
終了後の拍手は、いつになく熱く、長いものでした。じつに晴れ晴れした表情で演奏を終えたヴァインベルガーさん、快活な奥様と、日本をじっくり旅行して帰られるそうです。
オルガン作品といういわば好事家向けの分野で全曲コンサートを企画できるということ自体、容易にはあり得ないことだと思います。それが、日本にはなじみの薄い演奏家の出演にもかかわらず満員のお客様に支えられてスタートできたということは本当にありがたく、しみじみ幸せを感じた1日でした。ライプツィヒとの提携、ヴォルフ先生の支援、過去の出演者たちの貢献、広報の努力とマスコミのご協力など、幅広い力が結集されてここまで出来上がったものではあることはもちろんですが、なにより励みになるのは、こうした本格的なコンサートを待っていてくださるお客様が大勢おられるということを実感できたことです。がんばらなくては。
土曜日は6時半の新幹線で戻り、朝日カルチャー新宿校に駆けつけて、世俗カンタータの講義。BWV201にはすばらしい新録音がありますので、あらためてご紹介します。講義の後半に風邪は歴然と悪化し、青息吐息。週末は休養を余儀なくされました。しかしこの程度の代償で済むのであれば、安いものです。
最近のコメント