等身大が好き ― 2009年07月06日 21時42分52秒
昨夜は、深夜までウィンブルドンの決勝を見てしまいました。まったく互角の延長戦、すばらしい見物ではありました。私のテレビ視聴時間は、学生たち(←テレビを見ない、という人も結構いる)に比べて、長いようです。スポーツ観戦を除けば、種々のニュースや報道番組、そしてミステリーといったあたりです。
ニュースをハシゴするので、同じ発言を何度も耳にします。たとえばどこかの知事さんの、「総裁候補にしてください」「私が出馬すれば党は負けません」「後継は傀儡にします」という類の発言。まともに取れば理解できないというか、思い上がった発言だと思いますが、これがそれなりのインパクトで受け止められているのは、元お笑い芸人というキャラクターのなせるわざかもしれませんね。しかし人を煙に巻く発言、大言壮語やはったりは、政治の場では面白がるわけにはいかないと思うのです。やはり、言葉をそのまんま信頼できる人に、上に立って欲しいと思います。
私は自分を大きく見せようとする人は嫌いですが、ことさら小さく見せようとすることも好きではないし、そんな必要はないという考え方です。見栄、謙遜、言い訳などからなるべく離れ、等身大で堂々としていたいなあと思いつつ(もちろん完全には実践できませんが)、日々を過ごしています。
(付記)タイトル、誤解された方はおられないでしょうね??
真意はどちら? ― 2009年05月04日 22時21分41秒
皆様のおかげで、笠原潔君の思い出を新たにしました。本当に、もう少しお付き合いをしておくのでした。でも、そうな風に亡き人を思うことって、多いですよね。
昨日の朝刊のコラムに「肥満差別と戦う」という記事が出ていました。ちょうど、太った人から高い航空運賃を徴収するという話が話題になっていたあとですから、興味を惹かれ、読んでみました。
アメリカの30代の女性が企業の人事担当者に文書を送るなどして活動している、という話です。このことがコラムになるのは、種々の差別との戦いを、ジャーナリズムが基本的に支援するスタンスをとっているためでしょう。それはいいのですが、最後の1文を読んで考え込んでしまいました。その締めは次のようなものでした。
「(彼女は)『私は博士号もあり、幸せに結婚している。美と知性を認められて当然な一人の人間なの』と訴えた。」
本当にこう言っているのだとすれば、この人は「内なる差別心」を認識するところから始めるべきではないか、と言いたくなってしまいます。ま、そういう人はじっさいにいますから、当人の自由ということにするとしても、私が知りたいのは、このコラムを書いた記者はどういう意図でこう書いたのだろうか、ということです。単純に応援しているのか、むしろそうではないのか。どちらにも読める話です。
明日はラ・フォル・ジュルネで、《マタイ受難曲》はまず自分自身の罪に目覚めることを人に勧める音楽だ、という話をします。その逆だなあと思い、気になりました。
名を連ねる ― 2009年04月23日 22時20分00秒
隠居老人さん、いいお話をありがとうございました。効率を求めて苦闘した日々があるからこそ、スローライフにも味が出るということですね。もって範としたいと思います。
がむしゃらに仕事をしていた若い頃にも、仕事を減らしたいとは、常に思っていました。いや、正確には、仕事を減らし、大切なことをもっとていねいにやるべきではないか、という思いがたえず去来していたのです。でも結局うまくいかなかった。引き受けられるものはほとんど引き受け、その日その日を切り抜けて、今日まで来ました。
その点については、後悔していません。たとえば私の音楽史の勉強は、事実上、レコードの解説を書くことで積み重ねられていったからです。もう1回若いときに戻っても、同じ道をたどると思います。
ただ昔と違うのは、「一員として名を連ねる」といった仕事や何かを統括するといった仕事が私に期待されるようになった、ということです。どちらも、私にはまったく向かない仕事です。私は自分に管理能力が欠けていることを熟知していますが、なぜ欠けているかを考えると、それは管理というものにそもそも関心がないからです。(謙遜ではありません。たとえば統率力なら、必要な場合に発揮するぐらいはあると思います。)
人間は建前では生きていけないなあと、つくづく思います。さしさわりがあったら申し訳ないですが、ひとつだけ例を挙げましょう。私は自治体のもつある財団の評議員をしています。そこでは文化的な活動の報告が行われたり、予算決算の数字が示されたりします。自治体の文化活動はとても大切なことですし、それをしっかり見届けて、支援しフォローすることが、評議員に求められています。
でもそれは建前。それはわかっているのです。一方で、配られるエクセルの表に私はまったく関心がもてない、という、厳然たる事実があります。かくして私は、もっと興味のある仕事に時間を使いたい、という本音をかかえながら、建前を遂行できない自分に遺憾の目を向けて座っているわけです。(もちろんこうした仕事は辞退して、別の熱心な方におまかせするべきだと思います。しかしそんな私に対してもう一期ぜひとのご指名があり、結局、建前と本音の相克から抜け出すことができずにいるのです。前述した「一員として名を連ねる」仕事の典型です。)
悲観主義 ― 2009年04月15日 23時40分49秒
「ツキの理論」などを述べているせいか、私の「悲観主義」を指摘なさる方が多くなりました。たしかに、冗談を言うときなど、私の心にはとっさに、悲観主義の回路が働きます。概して、悪い結果に備えようとする傾向があるようです。
私が大学生の頃に三島由紀夫に心酔していたことと、それは関係があるのかもしれません。私の心酔は、政治思想とか薔薇の花関係とかいうことではなく、三島の中にあるニヒリズムの傾向に向かっていました。真の文学とは、この世には何もないということをこれでもかこれでもかと教えてくれるものだ、と、彼の著書にあったことを覚えています。
今から振り返ると、こうしたことに象徴される「懐疑の洗礼」とでも言うべきものが、当時の私を襲っていたようです。今の私はニヒリズム信奉者では全然ないですが、「この世には何もない」と思った時期があることによって、「しかしある」もののありがたさを、深く感ずるようになったと思います。何かを信じるためには、徹底して疑う段階が、どうしても必要です。疑うだけで終わっては、もちろんだめなのですけれど。
夢のタイプ ― 2009年04月13日 22時11分47秒

日曜日は須坂へ。うらうらと暖かく、桜が満開、にもかかわらず周囲の山が終日すっきり見えている、という最高の環境のもと、講演会を開きました。2ヶ月に1回の会ですから、次回の6月は《マタイ受難曲》の本公演。私もそれを意識し、前半を《マタイ》における「ペトロの否認」場面の解説、後半を《ヨハネ受難曲》における同場面との比較、最後をリフキン方式の長所や狙い、といった形で構成しました。熱心な会員に支えられて、とても気持ちの良い会に。夕食のあとは、善光寺で桜を見物しました。ずいぶん、ツキを使いましたね・・・。
講演の前にはいつも、「すざかバッハの会」会長、大峡喜久代さんの挨拶があります。大峡さん以下、スタッフは今《マタイ受難曲》の準備に奔走しておられるのですが、その一環として、2階席を解放し、学校の生徒たちを招待する企画が用意されているそうです。
大峡さんは、その2階席が少年少女たちで一杯になっている夢を見たと、生き生きと話されました。正夢になれば、すばらしいですね。
このお話を伺った時、私はじつは、少なからぬ違和感を抱きました。なぜなら、こういういい夢、お金が欲しいときに宝船がやってくるといったタイプの夢を、私は一度も見たことがないからです。私が見るのは、宝箱を空けようとしたらどうしても鍵が見つからないとか、やっと開いたら中は髑髏で一杯だった、というタイプの夢ばかりで、夢というのはそういうものだと思っていました。
同行したまさお君は、私の夢は悲観主義のなせるわざだといいます。宝船タイプの夢を見られる方も、世に一定数おられるのでしょうか。にわかには信じがたいのですが、皆さん、いかがでしょう。
逆人格改造(2) ― 2009年04月05日 22時28分29秒

7時半に立川を出発したバスは、守谷のドライブインを経て、茨城県桜川市の真壁街に到着。ここで古い町並みを鑑賞し、昼食をとりました。真壁の町おこしはボランティアを動員して工夫の跡が偲ばれましたが、あいにく私は、生活への興味が乏しい人間です。昔の住居や、家具や生活跡を見ても、ほとんど感慨を覚えません。興味の尽きない方もいらっしゃるのでしょうが・・。
次の目的地は、雨引き観音。これは存外に立派なお寺で、関東平野の見晴らしを楽しみました。生活より自然が好き、というのが私です。次いで、益子イチゴ狩り団地へ。これについてはすでに書きました。
食べたあと直売場に行きました。こういうとき、おみやげを絶対買わないのが、私です(きっぱり)。いい悪いではない。買わない主義で、この年まで過ごしてきました。軽装で行き、軽装で帰ってくるのが、私の旅行です。
ところが、新鮮な野菜が安い値段でたくさん並べられているのを見ているうちに、私が今までの人生で感じたことのない感情が動いてしまったのですね。それは、このおいしそうな野菜を買って帰ろう、という感情です。
産地を調べながら買い始めてみると、これが案外面白い(笑)。あれもこれも買おうということになり、結局、誰よりも大きな包みを下げることになりました。
「益子」はもちろん、益子焼の本場です。当然「益子参考館」で焼き物の現場と陳列を見学したのですが、コースはそのまま、売店へと続いているではありませんか。そこで経験したことのない感情がふたたび湧き、茶碗など2点を購入。そのあとに寄った「外池酒造」では、利き酒を楽しんだあと、焼酎を購入しました。荷物が多くなってもなんとかなるのが、バス旅行のいいところです。
それでわかったのは、「いい人」の計画には見学と買い物を絶妙に織り交ぜられていること、土地の名品を楽しみながら購入できるよう、考え抜かれていることでした。でも、生活にも買い物にも興味のない私が大きな荷物を提げて立川に帰ってきたということは、すなわち、私の方が人格改造されてしまったということですよね。
逆人格改造をくらってはいけません。野球で広島カープを応援するなどして、本来の人格を取り戻そうとしている私です。
逆人格改造(1) ― 2009年04月02日 21時38分25秒
知人に指摘されて思い出したことがあります。私がいつぞや入院し、手術後穏健な療養生活を送っていた頃、さる卒業生が、「大変だ、先生がいい人になっちゃう」と言っていた、というのです。ムッとしましたね、私は。自分がいい人ではない、というのはもちろん完全に認識していますが、それでもというかそれだけにというか、よそ様からは「いい人」と言われたい、と願っているのです。
そういう私を不安に陥れる存在は、どこから見ても「いい人」としか思えない人がじっさいにいる、ということです。「いい人」であることだけが取り柄、というのなら別にいいのですが、堂々たる社会人で風采も立派、という人が「いい人」でもあるということになると、性悪説を唱えて渡ってきたこの人生は何だったのか、となってしまいます。そして、まさにそのような人が、「楽しいクラシックの会」の親睦係として、季節の旅行に、采配を振るっておられるのです。
この方は、持ち前のサービス精神から、バスの中でクイズを出されます。すると、その設問は素直である上にわかりやすいヒントを含んでいて、自然に正解できるようになっている。これは、私の信念に反します(きっぱり)。私は、クイズの問題は精緻なひっかけを含むべきで、人を誤答へと導くものでなくてはならない、と思っているからです。
業を煮やした私は、会の先生である権威を笠に着て、その方に「人格改造」を命じました。しかしいっこうにあらたまらぬまま、その方のお世話により、茨城~栃木への、今年のバス旅行が始まったのでした。(続く)
なくなる夢 ― 2009年03月16日 23時50分34秒
テレビ・ニュースによりますと、宇宙飛行士はカルシウムがどんどん減って、骨粗鬆症になるそうですね。そういうことが、次々にわかってきます。味気ないかぎり。いま普及しつつあることも、長い目でみると、有害であることが立証されるかもしれませんね。たとえば近視の手術なんて、どうなんでしょうか。戦後杉をたくさん植えたことも、いま、多くの人の害になっているわけですよね。
昔は宇宙少年、天文少年でした。宇宙には夢を持っていて、宇宙旅行をしたかったし、その種のSF小説をたくさん読みました。昔の人の夢は、もっと、限りなく大きかったことでしょう。「竹取物語」の生まれるゆえんです。そう考えると、いまが夢のない時代と言われるのも当然で、夢をどこに求めたらいいのか、困ってしまいます。
ガッツポーズ ― 2009年02月01日 16時43分21秒
朝青龍のガッツポーズが賛否両論、話題を呼んでいます。皆さんはどう思われますか。結論を先に言いますと、私は土俵でのガッツポーズは絶対にいけない、白鵬の負けて舌を出すのもよくない、という意見で、「品格」を主張する人々に賛成です。ただし、最初からそう思っていたのではなく、一連のプロセスを経て、そう思うようになりました。そのことを説明します。
近年、日本のスポーツ選手は、ものすごく喜怒哀楽を表面に出すようになりました。1つ決まるごとにハイタッチを繰り返すバレーボールや、ゴールのたびに喜びを爆発させるサッカーが、おそらく双璧でしょう。これは明らかに、外国の影響です。観戦のさいにそれで盛り上がりが倍加することは、確かだと思います。
しかし勝負事なのに、喜怒哀楽をまったく出さない分野もある。私の好きな将棋はその典型で、激闘のあとでもお互いなにもなかったかのように、感想戦をやります。新聞に笑顔が載るのは、たくさんのショットから、ごく少数の笑顔を選び出しているわけです。いつぞや中原16世名人に「もう少し顔に出してもいいのでは?」とお尋ねしたところ、「相手がいますからね」とのお答えでした。
聞くところによると、剣道も、ガッツポーズは厳禁だそうですね。概して、日本の伝統を長くひきずっている「~道」と言われるような武術、勝負事は、勝って誇らぬことを礼としているように思われます。
昔、近鉄にオグリビーというメジャーでホームラン王も取った選手がいました。彼は喜怒哀楽を表に出さないタイプで、強打の割に、地味な印象を与える人でした。そのオグリビーがあるときホームランを打って、拳を振り回しながら躍り上がるようにしてベースを一周したのです。珍しいこともあるものだと思いました。そうしたら翌日の新聞に、相手の投手に悪いことをした、という謝罪のコメントが載っていたのですね。こうした選手が昔の大リーグにどのぐらいいたのかはわかりませんが、日本古来の価値観に共通するものを感じて、いたく感心したことを覚えています。
アンチ巨人で、巨人敗戦の翌日には新聞を巨人ファンの方にお届けするような性格である私としては、平素、ガッツポーズには何の違和感も感じません。ではなぜ冒頭のようなことを言うのか。それについては、稿をあらためます。
シャレの衰退 ― 2009年01月21日 22時51分33秒
洒落を飛ばす若い人って、いますか?私の知っている何人かの洒落好きは、みなかなりのオジサンです。CMで西田敏行のやっているのは、「オヤジギャグ」と分類されているようです。もちろん、ダジャレという概念はつねに存在します。
ふと思い当たったのですが、昔は洒落は高級な言葉遊びとしてそれなりに尊重されていたが、最近は、そうではなくなってきたのではないでしょうか。若い人は、ダジャレが出たとたんに、「寒い」と反応してしまうように観察しています。
じつは私も、そうなのです。サービス精神でけっこう優秀なシャレが飛び出しても、シャレだとわかったとたんに固まってしまう。笑ってあげる人って、偉いと思います(くれぐれも付言しますが、シャレを飛ばす方を貶めているのではなく、笑いに対する世相の変化と、自分の反応を考察しております)。皆さんは、いかがでしょう。ちなみに、先日の飲み会でその話が出たとき、すぐれたツッコミ(←やさしい人)の存在が重要だ、ということになりました。
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