頭のいい人 ― 2009年08月18日 22時38分03秒
覚醒剤の話が一段落して、テレビに選挙の話が戻ってきました。私は非政治的なのですが選挙は好きで、開票速報をいつも楽しみにしています。今年はその日が須坂なので、温泉でビールを飲みながら眺めることになりそうです。
で、いまテレビに自民党の細田幹事長が出演していたのですが、たいへんな頭脳の持ち主ですね。古舘伊知郎を子供扱いです。すっかり感心してしまいました。
一見おっとりと見え、カリスマ性を感じないのですが--だから幹事長に登用されたとき、もっと違う人いないの、と思ったわけですが--頭の回転の速さといい弁論術といい、ずば抜けています。そしてそれが目立たないというのが、まことに、一筋縄でいかないわけです。世の中にだいぶそのことが認知されたとみえ、女子大生の人気が急上昇とか。私も一票です(あ、選挙の票という意味ではなく)。
私は、権力者の目というのを知っているつもりなのですが、細田さんはやさしい目ですね。でも時が時なら、こわくもなるのでしょうか。
余命 ― 2009年08月12日 22時49分44秒
自分の死の時は、あらかじめわかったほうがいいでしょうか、わからないほうがいいでしょうか。
ほとんどの方が間髪を入れず、「わからない方がいい」とお答えになると思います。わからないからこそ、死を脳裏から遠くに追いやって、安穏と生きていられる。私もそうです。
そうしたら最近、ガンで亡くなった方(たしか有名人)の闘病をたどるドキュメント番組で、余命1年の患者さんが「わかったらどんなにいいか」と発言しておられたので驚きました。大きな不安に取り憑かれる状況では、わからないことのほうがずっと恐ろしい、ということのようです。これには、考え込んでしまいました。
相手が「死」でなかったらどうでしょう。夏休みが終わるのを恐れている毎日ですが、いつ終わるかわからないほうがいいか、わかっているほうがいいか。遠からず定年を迎えますが、いつ定年になるかわかっているほうがいいか、わからないほうがいいか。どう考えても、わかっているほうがいいですよね。計画を立てて、有効に対処できますから。
でもそう考えると、相手が死でも本当は同じことなのではないか、という疑念が湧いてきています。
新しい気持ちで ― 2009年08月11日 23時37分35秒
ちょっとぎくしゃくしたところをお見せしてしまいました。すべて私の責任です。私のブログは本当に読み手に恵まれていて、いままでいただいたコメントに心ないものがひとつもないのは、驚くべきことだと思っています。ダヴィデヒデさんにも、つねづね感謝しております。
超若い女性さんがおっしゃるように「皆さんの人間らしい生き生きした会話」ができる場でありたいと私も念願するのですが、それができるのは、それを「楽しんでいる」とおっしゃってくださる方々が支えてくださるからです。その信頼感というか、一種の寛容さに甘えさせていただいて、建前でないトークを楽しむ、というのが、本来一番いい形ですよね。
この先の部分、どうも話が深刻になってきてしまったので、ブログの楽しさを取り戻した後、頃合いをみて掲載することにします。説明不足で申し訳ありませんが、とりあえず、気持ちの切り替えを優先させてください。
お騒がせしました ― 2009年08月10日 23時34分02秒
書き込み、ありがとうございます。しかし、「差別」という言葉が出ては、もう続けられませんね。本来なら、隠居老人さんの7条件を吟味し、2つほど修正して、今風の案を提示しようと思っていました。あ、言葉を使われた方に悪気がないことは、よくわかっております。
〔付記〕遠慮なく書き込んでくださいと言いながら矛盾した反応になり、申し訳ありません。次の更新でお詫びかたがた、ご説明させていただきます。
「清純派」7つの条件 ― 2009年08月09日 23時44分40秒
昨日は失礼しました。嬉しい書き込みをたくさんいただきながら、話題への環境作りをしたいという気持ちが裏目に出て(←この言葉好き)、コワモテの反応になってしまいました。ぜひぜひ、気軽な書き込みをお願いいたします。
「清純」と「清純派」は違う、というのは卓見ですね。「清純派」というのはイメージですから、中味はどうかを問わないわけです。でも、性別は関係なくないんじゃないですか、N市のNさん!私は、美しい女性に対する分類のひとつ、と理解しています。ただ、昔ほど今は言われない価値で、言われたとしても、多分、内容がかなり変わっている。その意味で、隠居老人さんの定義には、昔懐かしい思いがしました。そこで、隠居老人さんの定義を吟味してみます。
隠居老人さんのコメントが挙げている条件は7つあります。必須なのは4つで、「清潔感」、「細面」、「色白」、「控えめな雰囲気」。加えて、「爽やかさ」、「地味な身なり」、「静かさ」の3つ。う~ん、考え抜かれていますね。古きよき時代の邦画を見るようです(笑)。
私が矢内理絵子さんを連想したのは、このうち6つがぴったり当てはまる、と思ったから。ふっくら顔なので第2条件が異なりますが、吉永小百合だってふっくら顔でしょ?私の周囲には、細面の人、少ないですよ。幅があった方が、いい声が出やすいのです。あとの6つは、矢内さん、ぴったりです。(続く)
レス急増に当惑 ― 2009年08月08日 23時04分02秒
逮捕報道に見入ってしまい、時間を浪費しました。マネージメントとの関係とか、まだ話題が続きそうです。
「このような話題になると俄然レスが急増」(隠居老人さん)したわけですが、ありがたい反面、当惑しております。なぜなら、こうした話題は私、概して避けるようにしておりまして、いつぞやの「叱ってくれる人」という発言が出たおりにも、私は興味深く耳を傾けるのみで、自分からは口を閉ざしていたからです。いろいろなタイプの女性が周囲におられるため、発言は慎重にしているのです。
一度、今は亡き「ドルチェ」で、うっかり清純派の話題に踏み込んでしまったことがあります。周囲の反応は冷たく、しかも翌日には、その話が広く回っていました。少なくともこの件をリセットしないと、新たに論じられないのですね(笑)。
皆様の意見はたいへん興味深く、また含蓄が深いものです。ですから充分に整理してから態度表明したいと思いますが、とりあえず具体例の出ているものに対して、いくつか。
エマ・カークビーですか。気がつきませんでしたが、どんぴしゃりですね。声、人品ともに。マーガレット・オブライエンというのは『若草物語」の四女をやった人ですよね?中学生の頃見て、魅惑されたのを憶えています。ジュディ・ガーランドというのは、映画の冒頭で〈虹の彼方に〉を歌っている人でしょうか。あれは感動的です。
中三トリオについては、たいへん失礼ながら、タイプと美しさの両面でハードルを設けるとすると、該当者なしではないでしょうか。タイプの方はおられますが。
隠居老人さんの定義はじつに的確で、すでに考えておられたのではないか、と思うほどです。一点を除き、同感します。隠居老人さんの定義で脳裏に浮かんだのは、将棋の矢内理絵子女王(前女流名人)なのですが、いかがでしょう。
自分の傍らにいる歌い手さんを判定せよ、と強要(?)する方がおられます。有資格者と認めざるを得ませんが、隠居老人さんの定義とは、若干反するところがあります。このあたりが議論のポイントになるかも・・・。
私としたことが、取り乱して散漫な文章になりました。書きにくいんですよ(笑)。
〔付記〕この文章を読むと、困るから書き込まないでくれ、と言っているように見えますか。そうではないですよ。興味深い話題なので、どんどん書き込んでいただければ、私も、書きにくさと乗り越えて参加します、という趣旨です。遠慮なくどうぞ。
古橋さんを悼む ― 2009年08月05日 22時52分02秒
私は仕事上のつながりから、住友生命健康財団の理事をやらせていただいています。毎年3月に帝国ホテルで理事会があるのですが、会議のあとの昼食がいつも楽しみです。というのは、各界の一流の方々が集まるので、普段聞けない面白いお話を、その道の名士の方から直接伺えるからです。
ローマで亡くなられた古橋広之進さんも、そうした名士のお一人でした。スポーツマンらしい素朴さとカリスマ的な人間的魅力を兼ね備えておられ、斯界における人望のほどが偲ばれました。そして、水泳にまつわる四方山話が豊富にあって、とても面白いのです。そういうお話がもう伺えないのは、とても残念です。
でも水泳競技の現場で亡くなるというのは、失礼な推測を許していただければ、本望だったのではないでしょうか。周囲がたいへん、という面もあるかとは思いますが、できれば自分の最後はこのように、とおっしゃる方によく出会いますから。ご人徳を偲びつつ、ご冥福を祈りたいと思います。
別館では、バッハとリュートの話題が出ております。http://groups.google.co.jp/group/alt-prof-i
理想の人 ― 2009年08月04日 22時33分50秒
「人格者」という言葉で、皆さんは誰を思い浮かべられますか。もちろん、私を思い浮かべる人が皆無であろうことは承知しております。でもこれから述べる人であれば、どなたも異論がないのではないでしょうか。
平素見ることのない「徹子の部屋」を見ました。ゲストは、王貞治さん。王さんの思いやりのある人格を物語るエピソードはいろいろに聞き知っていましたが(ここだけアンチ巨人を返上します)、本当に高貴な方で、涙が出ますね。
あれだけの方なのに自分優先のところがなく、まず、人のことを考える。周囲に求める前に、自分がもっとできたのではないか、と反省する。自分がいい時に、置いていってしまった人のことを思いやる。誰もまねができないほどの成果を挙げているのに、誇るより前に、もっとできたのではないか、と考える・・・。
こんな人もいるんだなあと思いつつ見ているうちにふと気がついたのは、バッハの《マタイ受難曲》が求めている内省的な人間像というのはこういうものではないかということです。バッハを天国から呼び出して紹介してあげられたらいいのに、と思いました。
今どきの異性観 ― 2009年07月30日 00時15分14秒
火曜日の飲み会。合コンさながらの展開になったエピソード部分のさわりをご紹介します。
男子側から女子側に、デートのさい、次のどちらの方が好ましいかを尋ねました。①連れて行きたい場所を考えておき、「いいところだから、~に行こうよ」と働きかける。②「どこに行きたい?」と女性の意向を訊く。
これは、4名の全員が①と答えました。なるほど。次に、「どういう男の人に惹かれますか」という、月並みかつ定番の問いかけ。どんな返事が出てくるか、私も興味深く耳を傾けました。
「自分のやりたいことがはっきりしている人」「自分の世界をもっている人」という答が複数。代表的な返答かもしれませんね。でも現代は、自分の世界に入り込んでしまっている人、というのが案外多いようなので、そこからしっかり出てきてくれる人、という条件付けが必要なのではないか、と思ったり。やっぱりオタクでない方がいいでしょ?
おひとり、「叱ってくれる人」とおっしゃった方があり、これにはのけぞってしまいました。でもよく考えてみると、これって、なかなかの名答ですよね。それだけの内容と蓄積のある男性を求めているわけなので、高いハードルを設定していることになります。別の見方をすれば、それだけの高い目標を目指してがんばれば、待っていてくれる女性がいる、ということです。ともあれ、伝統的な価値観の方がまだたくさんいらっしゃることがわかり、少しうれしい気持ちになりました。
そこで私は、ある若々しく爽やかに見える芸能界の男性を思い浮かべ、「J.I.さんなどいかがでしょうか」と尋ねたところ、4人とも、そこはご遠慮したい、とのお答えでした。
こんなことを書いている拙宅にも、今回、別館ができることになりました。本宅とは別に、自由に話題を交換していただけるスペースです。ぜひご活用ください。http://groups.google.co.jp/group/alt-prof-i
「同じ」話 ― 2009年07月22日 22時40分57秒
麻生首相のぶら下がりインタビューを見ていると、ほとんどのコメントに「いつも申し上げているとおりです」という言葉が付きます。「ブレる」と言われるのがよほどおいやなんだなあ、と思って聞いてきました。
そのうち思い始めたのは、首相は同じ話をするのを気にしない方なんだなあ、ということです。都議選の応援に奔走していたとき、スピーチを必ず「生麻生のツラみたことある人?」という言葉で始めたと報道されていますが、じつに剛胆だなあと思わざるを得ません。私にはとうていできないことです。
両院議員懇談会で初めて謝罪され、多くの人がそれを肯定的に受け止めた様子が、テレビに映っていました。お詫びということが人間関係にとっていかに重要か、再認識した瞬間でした。ところがそのスピーチとまったく同じことを記者会見で述べたというので、コメンテーターがさかんに批判。普通なら、「さっきはこう言ったから、今度はこう言おう」と思うんじゃないでしょうか。
私がこういうことを気にするのは、昔教授から、「同じ授業を2度やってはいけない、(たとえ学生が入れ替わっても)必ず新しいことをやらなくてはいけない」という趣旨のことを、さかんに言われたからです。とうてい守れない教えですが、一応インプットされているので、同じネタを使う場合でも、つねに考え直しながらやってはいるつもりです。その結果として、雑談のネタも、一度使うと二度目には使いにくいというメンタリティになってしまいました。--学生諸君、同じ発表やレポートを、複数の授業に使ってはいけませんよ。
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