卒業式昨今 ― 2009年03月19日 23時54分38秒
今日は、勤務先の卒業式でした。私も一応、ステージの来賓席に並びます。不況の時代ですが、気のせいか、華やかさは例年以上。音大ですから、演奏もあります。ステージ狭しと並んだブラス・オーケストラの《タンホイザー行進曲》は迫力充分でした。
よく、今の学生は昔と違うでしょう、と尋ねられます。いつもはあまり感じないのですが、こういうイベントをやってみると、違いに気づきます。われわれの式では、卒業生は全員名前を呼ばれ、返事をして起立、着席するのですが、その「ひと声」にみんな自分を出そうと、工夫をこらしている。大声、小声、イントネーション、声音、長短、等々。それはほとんど座を沸かせる狙いをもっていますから、式はゲラゲラクスクス、笑い声が折り重なるような形で進行していきます。授賞式でも、場内爆笑のパフォーマンスがありました。
昔は、こうじゃなかったですよね。昔あったが今はないものは、何より「厳粛さ」です。昔、大学の卒業式には、身の引き締まるような厳かさがあったと思う。昭和初期、大正、明治とさかのぼればさかのぼるほど、厳かさは重く、大きかったのだろうと思います。それは、学問の場に対する敬意や、先生に対する尊敬とひとつになっていた。もちろん、無意味な権威主義は有害ですが、重量感のまるでない楽しく愉快な式というのも、どうなのでしょうか。いい悪いは別として、時代の違いを感じさせられることではあります。
費用を考えないと ― 2009年03月11日 23時18分34秒
東京中央郵便局を残す残さないでもめている話が報道されました。私は現場を知らないので直接の判断はできませんが、強く思うのは、費用の問題を併せて報道して欲しい、ということです。なぜなら、一等地に大きな建物を文化財のような形で残すにはたいへんお金がかかり、高額の維持費が毎月かかってゆくことは間違いないからです。それを承知した上でどうするか、という話をしないと、あとがたいへんです。
私の済んでいる国立市にも、古い駅舎を保存するかどうかの問題が尾をひいています。また大分前ですが、どこかの大学で貴重な校舎を残すか否かの問題が起こり、そのことを訴えた文書をいただいた記憶があります。あちこちで起こっている問題でしょう。
昔の大切な思い出があるものは残してもらいたい、というのは人情です。歴史を保存することにも、もちろん意義があります。しかし、たとえば経済的に潤沢ではない自治体なり、大学なりがそれをやることは、現在と将来の教育のために使うお金のかなりを、それに割くことになります。しかもそれは、たいていの場合、驚くほど高額です。その負担に耐えていくか否かは、数字を知って、ケースバイケースでシビアに考えていくべきことではないでしょうか。「トキ」へのなぞらえも、乱暴なことだと思えてなりません。。
一寸先は闇 ― 2009年02月24日 22時09分07秒
人生の勝負は終わりのほうで決まる、という考えを抱くようになっていましたが、どうやら「一寸先は闇」ということわざは、どこまでも追いかけてくるようですね。そう思うのは、期待され胸ふくらませて発足した麻生内閣が、短い間に坂を転がり落ちるように支持を失っているから。これは誰も、予想できなかったのではないでしょうか。「(趣味などが同じで)親しみやすいから支持する」というのはダメだということがわかりますね。
バチカンの話はあまりにもひどいので、私も放置できず、報道を追い掛けています。国際的な舞台で仕事するのは多大の緊張を要しますから、多少の飲酒なら大丈夫。よほど責任感を欠いていないと、あのようにはなりません。それでロシアの要人と会談ですか・・・。私も今回初めて、「任命責任」という言葉の意味がわかりました。そういう人を重要なポストに任命し、事後は「オレが守る」と言っていたわけですから。
ただ私が思うのは、飲酒を認め、いさぎよく謝罪して辞任していたら、世間の風当たりはよほど違ったのではないか、ということです。嘘やごまかしという要因が加わると、感じは格段に悪くなる。たくさん一緒に食事をしたが酒を飲んだことはない(首相談)、なんて、信じられるわけないじゃないですか。以前の談話で書いた「言葉の信頼性」という価値を、ゴミ箱から救い出したいような気持ちです。
よく言ってくれました ― 2009年02月12日 22時31分28秒
麻生首相の発言のことを書いたばかりのところへ、小泉元首相の発言が報道されました。個人的には、よく言った、本当にそうだと思い、ほとんど感動しています(笑)。
この発言に関してもいろいろなことが言われるのでしょうが、ひとつあると思うのは、組織に属している人間が組織に不利になることを言っていいのか、という問題です。守秘義務、箝口令、といった言葉が併せて浮かんできます。こういう方向で考える人も多いですが、私は率直な発言を潔しとする、という価値観で、どうしても物事を考えてしまいます。組織も変わってゆくものですから、組織を壊すようなに思える発言が長い目で見ると組織を蘇生させる、ということもあるのではないでしょうか。
政界、面白くなってきましたね。
言葉は大切 ― 2009年02月11日 22時21分29秒
いつぞや、首相の読み間違いをきっかけにした一文を書きました。間違いはたしかにみっともないが、鬼の首を取ったように嘲笑するのはどんなものだろうか、誰でも間違いはしているのだから、という気持ちを込めた一文でした。私はマスコミのいわゆる言葉狩りにも批判的で、多少の失言をしたからと言って、その人を追及しようと思ったことはありません。
そんな私でも、郵政民営化をめぐる首相の一連の発言には、首をかしげてしまいます。郵政民営化の是非について私は本当のところはよくわかりませんし、結局は一長一短、運営の問題なのではないかと想像もしています。しかし、首相の発言にとかく感じられる「言葉を大切にしない」傾向に、強い抵抗を覚えるのです。
本音を言えない場合、逃げざるを得ない場合、やむなく嘘をつく場合。それらは日常にもありますから、政治の世界ともなれば、必須の技術かもしれません。しかし、人間同士の絆が言葉の信頼性に立脚していることは、そうした状況を前提にしてさえ、言えるのではないかと思います。私はものを書き、話すことが仕事ですから、言葉の信頼性には自分なりに気持ちを込めていますし、他の方々との交際でも、信頼できる言葉を交換できる関係をめざしています。伝えられる支持率の低下とこのことは、密接に関係していると思うのですがいかがでしょう。三島由紀夫の「男の価値は発言の一貫性である」という言葉までは持ち出さないとしても、です。
深夜のコマーシャル ― 2009年02月05日 22時22分48秒
コマーシャルというのは本当に千差万別ですね。専門の会社が依頼されて腕を競っているわけですから、商品の実態を反映していない場合も多いことでしょう。私が最近のコマーシャルで傑作だと思うのは、greeの携帯ゲームを扱うものです。
映るのは、グリークラブ(グリー違いだけど)が《アイネ・クライネ》を歌っている情景。歌詞はゲームの宣伝です。居並ぶ若者たちはみな素朴な3枚目で、いかにも人がよさそう。その彼らが大きな口を開け、一生懸命に、楽しそうに歌っている。そこに男声合唱特有の、ほのぼのとしたぬくもりが感じられるのです。
これって、どこかのグリーなんでしょうか。それとも、上記のイメージに合う若者を、いろいろな合唱団から集めたのでしょうか。興味があります。
このコマーシャル、夜が更けるにつれて増え、深夜には、じつに多くなります。一度ご覧ください(笑)。
土俵の神 ― 2009年02月02日 21時46分20秒
長年大相撲中継をしてこられた杉山邦博さんという方が、「土俵には神様がいるのだから、相撲には礼の心が必要なのだ」という趣旨のことをおっしゃっていますね。これを聞いて、何を言っているんだ、神様なんかいるはずないじゃないか、と思う人は多いだろうと思います。とくに、若い人に。しかし私は、杉山さんの意見に心から賛同します。次のような体験が、それを裏付けました。
土曜日(1月31日)にいずみホールで、今藤政太郎プロデュース「和の音を紡ぐ」というコンサートがありました。プログラムの2番目に、昔同僚としてお世話になった竹内道敬さんの台本、今藤さんの作曲による《天の鼓》という曲が演奏されたのですが、私はこれにたいへん感動してしまったのです。父と子(故人)が地と天で鼓を打ち合う、という内容の、能を下敷きにした幽玄な作品です。聴いていて、この世とあの世の霊的交流がいま舞台上に作り出されているという感にとらわれ、まこと、芸術はひとつの神事なのだなあという実感を抱きました。
そういうスタンスを得て聴いた後半の《勧進帳》は、人間国宝、東音宮田哲男さんの至芸をからめて、圧巻の迫力。今日初めて、自分は邦楽を本当に理解できたのかな、と思いました。僭越かもしれませんが、掛け値なしの実感です。
地と天で鼓を打ち合うなどということがあるはずはないじゃないか、と考えたら、幽玄の境地は理解できません。人間の境涯を超えて霊的存在をとらえたいという願いが、こうした芸術には宿っている。神がそこに下る、と昔の人が考えたのももっともで、達人の域にある人たちは、みんなそうした確信を抱いて、芸に取り組んでいるのではないだろうか。そしてそれは、邦楽でも洋楽でも同じではないだろうか・・・。
まさにそういう精神が、いま音楽から、また音楽の研究から、失われつつあるのではないでしょうか。それを失わないためにも、このような公演が続いていかなくてはいけないと思います。人間が人間のためにやるものだと考えたのでは、音楽のすばらしさはとらえられない。その先への、尊敬の心が必要なのです。
話を戻しましょう。相撲も、土俵に神が宿るということを信じる人たちが努力を積み重ねて、いうところの「文化」を形成してきたわけです。単なる格闘技と考えたのでは、髷だの四股だの手刀だの、さまざまな様式が無意味になってしまう。今回のことは、そうしたことをあらためて思い返すチャンスだったのかもしれません。そのあたりはテレビ観戦では伝わりにくく、どうしても、勝った負けたの話になってしまいます。
再開発 ― 2008年09月07日 17時10分00秒
金沢でのコンサートを終え、新潟にやってきました。そこで認識したのは、金沢と新潟はとても遠い、ということです。東京にいると、つい「北陸」として、ひとくくりにしてしまいます。しかし、両都市をつなぐ列車はきわめて少なく、富山、直江津、柏崎、長岡と経由して、たいへん時間がかかる。したがって6日は、純移動日となりました。
金沢駅周辺を歩いてみました。再開発が終わり、どちらの側も、整然としています。広い道路、巨大なビル群。しかしお店は全部ビルの中に入っていて、商店を連ねた駅前通りというものがありません。風土の香りをかごうと思って外に出ても、広がっているのは道路とビルの景観です。それなりの利点もあるのでしょうが、行きずりの者としては、都市の顔が見えないようで、ちょっと残念に思いました。再開発をすると、どこもこうなるのでしょうか。新潟は、南口がそうなっていますね。
二度と聴けないパパゲーナ? ― 2008年09月04日 23時44分17秒
今日は大学で、金沢/新潟のコンサートのリハーサル。私の大学のプリマドンナ、澤畑恵美さんの気品ある歌唱にはいつもながらほれぼれしますが、今回はパミーナのアリアと二重唱に加えて、パパゲーナの二重唱も歌ってくださいます。初めてだそうで、とても楽しそうに歌われていました。唯一無二の機会になるかもしれませんから、北陸の方々、楽しみになさってください。
アメリカの大統領選挙がまたにぎやかになってきましたね。私はずっとそれ関連の記事を追いかけているのですが、gooニュースに加藤祐子さんの書かれている「大手町から見る米大統領選2008」という連載がお勧めです。私の存じ上げない方ですが、よく勉強されていて情報量が多い上に、奔放な筆遣いが面白く、楽しみに読んでいます。どの世界にも、輝いている女性はいるものですね。
オリンピックの感想--感動篇 ― 2008年08月26日 22時35分30秒
オリンピックが終わりました。目一杯やっていたテレビ中継が急になくなったので、何となく空虚感があります。家にいる日が多かったので、結構見ることができました。その範囲で、感動篇、声援篇、拒絶篇、という3つの感想を書きたいと思います。
直接見た競技の内でもっとも感動したのは、男子の400メートルリレーです。銅メダルではありますが、金の価値がありますよね。金メダルもさまざまで、競技人口やライバルが少なくて結構取りやすいものと、本当に困難なものの差は大きいとか。世界中から足の速い人が集まってくる陸上短距離なんていうのは、もっとも至難なもののうちの一つでしょう。4人が1秒も無駄にせず最善を尽くした銅メダルは、本当にすばらいい快挙でした。
そして、後のコメントがまた良かった。諸先輩の業績や伝統に敬意を表し、自分たちはその上で走らせてもらっただけだ、という発言がありましたが、けっしてリップサービスではなく、心からそう思っている様子が伝わってきて、爽やか。これこそスポーツマンですね。こういう精神に出会えるのが、オリンピックの醍醐味です。
メダルは一人では取れない、というのは真実です。それを照明したのが、マイケル・フェルプス。2つ目の金メダルは400メートルリレーでしたが、第1泳者で泳いだフェルプスは、世界新を出した豪のサリヴァンに負けていました。アンカーにつなぐ時点でもアメリカはフランスに相当差を付けられ、しかも仏のアンカーは、100メートル金メダリストのベルナールでした。
ところが、米のアンカー、レザクがものすごいスパートでかなりあった差を抜き返し、1位でゴールしたのです。レザクは100メートル3位ですから、ほとんど奇跡的な力泳。これがあってフェルプスの8冠が成立したのですから、陰の功労者はレザクだと思います。これもまた、印象的なシーンでした。
最近のコメント