カウントダウン17--今月のCD/DVD選 ― 2009年05月28日 23時02分02秒
今日は新聞の取材を1件いただきました。ありがとうございます。
今月は、いつも以上に迷う、ベスト3の選考でした。そういうときにはなるべく日本人のいい演奏に目を向けたいと思うものですから、1位には、佐藤俊介のパガニーニ《24のカプリース》を選びました。これだけ精緻、端麗に演奏されると、パガニーニの無伴奏曲も、シンフォニーのように情報豊かです。ガット弦、歴史弓を使う探求心にも感心しました。
2位はハーディング指揮のモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》。2002年エクス音楽祭のライヴで、歌手がとても良く揃っています。日本でも紹介された簡素な舞台ですが、本質はよく抑えられていますし、ハーディングのハイ・テンポの指揮は爽快そのものです。
第3位は、佐渡裕がベルリン・ドイツ交響楽団と録音した《新世界》としました。みずみずしい感情があふれ、また思いの外しっかりと演奏もされていて、感動をもって耳を傾けました。見送ったもののなかにも、いいものがたくさんありました。メシアンのオペラ《アッシジの聖フランチェスコ》(DVD)も良かったのですが、むずかしい曲だけに、字幕があればと残念です。
カウントダウン16--ある精神との出会い ― 2009年05月29日 22時46分07秒
金曜日、午後1の授業は、音楽学の1年生が相手。いまやっているのは、自分が一番感動した本を重要箇所抜き書きの形で報告しろ、という課題です。前回「涙もろい」の項でお話ししたエトヴィン・フィッシャーは、この授業で登場したのでした(彼の著作を私が模範紹介したおり)。
今日はTAの戸澤史子さんの番でした。彼女が紹介したのが、「片山敏彦著作集・第六巻『青空の眼 — 芸術論集』」(みすず書房)というもの。皆さん、片山敏彦(1898-1961)ってご存じですか?独文・仏文学者、詩人で、ロマン=ロランやヘッセの翻訳をした人。全10巻の『著作集』があるほどですから、かつては大きな存在であったはずです。
こう書いている私が、じつはまったく知らなかったのです。芸術、絵画、音楽、美をめぐる思索のエッセンスが戸澤さんによって紹介されていったのですが、えっ誰?という当惑が驚きと感嘆に変わるのに、時間はかかりませんでした。畏敬をもって芸術と向かい合い、選び抜かれた言葉で本質に迫るこのような書き手が、さほど遠くない環境に存在したとは・・・。とにかく1つだけ、美に関する文章をご紹介しましょう。
「美は仕事の中の無限の重さであり、休息の中の無限の軽さである 。それはバッハの厳密さをみちびくとともに、ドフトイエフスキーに伴って地下の闇へ降りる。美は後悔の思いをなだめ、祝祭を秩序づける。それは可能性の空間に反響する鐘の音であり、事実の中から湧く岩清水である」(「美の感想」と題する章より)。
アルフォンソさん、ご存じでしたか。モーツァルト論もすごいですよ。1930年にヨーロッパでモーツァルト体験をしたが、「その後戦後の空襲時に、モーツァルトの音楽が生と死とのあいだに架かる虹の橋だと感じられたときの一種特別な透明な感銘、文学の中ではノヴァ—リスが感じさせるのに似た感銘を今も忘れることができない。」とあります。
引用箇所だけでは、文学的、美文調、という印象を受けるかも知れませんが、すべての考察が、豊富な原典講読を通じて裏付けをもっていることが見て取れます。こういう本を古本屋から買ってきて愛読している私の弟子もたいしたものだと、思っているところです。
カウントダウン15--学会講演のあらまし ― 2009年05月30日 23時14分12秒
今日はまとめて時間が取れましたので、リフキン先生が学会でされる講演「バッハの苦闘、私の苦闘--《ロ短調ミサ曲》校訂記」の翻訳を作りました。その過程で、ブライトコプフの新校訂版とファクシミリ版の比較などもしてみましたが、先生のお仕事の専門性の高さと詳細さに、ほとほと感嘆しています。
講演はまず、美術評論家ロバート・ヒューズの引用から始まります。超越的な存在として畏敬の対象となっているバッハと《ロ短調ミサ曲》も、知られざる弱さを克服しての苦闘を通じて生み出された、との趣旨です。
第1章では、1733年の前半部と1748-50年の後半部の筆跡が比較され、バッハの陥っていた身体疾患について新しい見解が示されます。バッハがすでに統御能力を失いはじめていた兆候があることも、指摘されます。
第2章では、筆写や転用によって《ロ短調ミサ曲》が完成されていくプロセスが追究されます。〈サンクトゥス〉の筆写にも興味深い仮説が示され、強い意志で貫かれた記念碑が、傷跡もなまなましくできあがってゆくさまが語られます。
第3章は、エマーヌエルが父の〈ニケーア信経〉に対して行った修正や書き込みの詳論です。これはまさに、昨年10月の学会シンポジウムで議論された問題と重なり合っています。これには、校訂出版の歴史が続きます。
第4章は、自らの校訂の苦心談です。有名な1981年のレコーディングの時点ですでに新版の基礎はできており、それがその後の作業によって大きく変化していったことがわかります。
訳していて、本当に勉強になりました。ぜひ、聞きにおいでください。5日金曜日18時から、芸大です。
カウントダウン14--天使のピアノ ― 2009年05月31日 23時28分13秒
国立音大の最優秀卒業生のひとりで仲間のような形で交流させていただいている三好優美子さんが、CDを出されました。「天使のピアノ」というタイトルで、天使の装飾のある、古めかしいアップライト・ピアノが写真になっています。これ、滝之川学園という、日本最古の障害者施設に保存されている明治時代の、日本最古級のピアノなのだそうですね。修復して礼拝に使われているそうですが、同じ国立市に住んでいながら、あまり関心をもたずに来ました。
このピアノを使って、おなじみの小曲がたくさん収録されているというと、このピアノに思い入れのある人のための記録であるように、一見思えます。でもこの楽器、いい音がするのですね。物理的に考えると不思議なことですが、そのやわらかく心に染みいるような響きを聴いていると、どこか、この世のものとは思えない気持ちになります。
讃美歌から初めて、さまざまな小品の連なりを聴いていくうちに、このピアノを中心とした学園の愛の歴史が響いてくるような気がして、ある種の感動を覚えました。《乙女の祈り》なんて自分からは絶対に聴かない曲ですが、こういう曲が愛されてきたことが、自然に納得できるのです。見事な選曲であることが、聴いてみてわかりました。
三好さんは音楽的洞察力にすぐれた、基礎のしっかりした演奏家です。私は、いつも信頼しています。なお、カメラータから同じタイトルで、青柳いづみこさんが録音されたCDもリリースされています。言うまでもなく、こちらもすばらしい演奏の1枚です。
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