カウントダウン4--「上から」でなく2009年06月10日 22時10分56秒

リフキン先生のレッスンは、「くにたちiBACHコレギウム」に属する6人の歌い手に対して、各1つの(レチタティーヴォ+)アリアを指導する形で行われました。チェンバロ伴奏と通訳を大塚直哉さん、ヴァイオリンのオブリガートを大西律子さんに付けていただいて進めたのですが、大塚さんの英語通訳は完璧無比のすばらしいもので、私がやらなくてよかったと、胸をなでおろしました。さまざまの意味で、大塚さんのお力なくしては成立しえない、今回の企画です。

リフキン先生の指導は、指揮者にありがちな「こう歌え」という「上から」のものではなく、「下から」といいましょうか、演奏者の内側から、その人自身の温かい音楽を引き出すことを目指して行われました。こう書くと何でもないようですが、これは驚くべきことで、私見によれば、じつに感動的なことであると思います。

まず通して歌わせたあと、曲ごとの問題を投げかけて、歌手に考えさせる。どうすべきかの案が出されるとそれを実践させ、それに対する評価を、歌手自身に行わせる。そして、「いろいろ変えて歌ってみてください」と要求してその場でヴァリアントを試させ、どう歌うべきかの考えを、歌い手自身の内に育てていく。こうして、バッハと演奏者を接近させ、両者の間に、人間的な共感を作り出していくわけです。

最後に千葉祐也君が、〈来たれ、甘い十字架よ〉を歌いました。このアリアでは、峻厳な付点リズムを繰り返す器楽(ガンバ)と優美な歌のラインが、交わらすに進んでいきます。そこである小節を例にとり、「甘い」の言葉を2つのヴァリアントで実験しました。イエスに倣う意思を押し出したヴァリアント(千葉君が最初に提案したもの)と、音色をやわらげて「甘い」にこだわったヴァリアント(リフキン先生がサジェストしたもの)です。その結果、「甘い」を的確に表現することで、音楽がいかに効果的になるかが確認され、満場が納得。意欲と品格を備えた千葉君の歌も、いちだんとすばらしいものとなりました(彼は実演のユダです)。

時間を惜しまず、忍耐を惜しまず内なるものを育てようとするリフキン先生の姿勢に接するうち、私の心には、これほどの音楽家といっしょに音楽できる幸せがあふれてきました。そして、このような方向性が「リフキン方式」の本質とまったくひとつであることに、あらためて思い当たった次第です。