「すざかバッハの会」の底力2009年06月20日 21時56分24秒

最終日、須坂公演の日。須坂には「すざかバッハの会」が存在し、私が1ヶ月おきにレクチャーをしに通っています。ですから、《マタイ受難曲》公演の受け皿としては最適のはず。しかし市の規模、音楽愛好家の人数、経済的キャパシティからすれば、東京や大阪のようなわけにいかないことも明白で、私は公演計画が実現しるか否か、かなりの不安を抱いていました。須坂公演をどうしたら成立させられるかを第一に考える時期が、長くありました。

しかし会を中心に万全の体制が敷かれ、最終的には諸条件が整ったことが判明。そこで当日を迎えたわけですが、14時の開演に先立って12時半から行われた私のプレレクチャーに、小ホール満員のお客様がいらっしゃいました。開演前の大ホールにも、どこから湧いてきたのか(←ある方の表現の引用)、人があふれています。

結果的に900人という、地方都市としては信じがたいほどのお客様が、座席を埋めてくださいました。こうなると、演奏者も盛り上がらないはずはありません。まさに地域ぐるみのコンサートの実現で、私は、足かけ7年続いてきた「すざかバッハの会」の培った底力をまざまざと感じる思いがしました。会長の大峡さん、献身的に働いてくださった会員の皆さん、何度も足を運んでくださり、打ち上げでもご挨拶をくださった三木市長さん、ありがとうございました。

ウルリーケさんが二階席から歌うのでご注目、とアナウンスしていましたが、メセナ大ホールには適切な二階席がないことが判明(笑)。ウルリーケさんは舞台の中央、前に出て歌いました。これが、観客の耳目を《マタイ受難曲》の象徴でもあるコラールに集める結果となり、これはこれで、大成功でした。

コンサート終了後の盛り上がりについては、次項で。