『ロ短調ミサ曲』翻訳します2010年08月19日 11時57分54秒

バッハの作品で多くの謎をはらみ、いま研究の焦点になっているのは、いうまでもなく、《ロ短調ミサ曲》です。同曲に関する新しい情報を満載し、バランスよく書かれたクリストフ・ヴォルフ著『ヨハン・ゼバスティアン・バッハ ミサ曲ロ短調』(ベーレンライター社)を、私が翻訳することになりました。

『魂のエヴァンゲリスト』を差し上げた返礼のような形でサイン入りのこの本を送ってくださったのが、つい先日。間接的に、日本語訳を出せないだろうか、という打診を先生からいただきました。それは絶対いいことなので、私が自分でやろうと思い、名著『バッハ 学識ある音楽家』を出している春秋社に、出版を持ちかけようと思い立ちました。

学術的な書籍の翻訳というのは、なかなか引き受けてくれるところがありません。しかも出版界の状況はいま最悪ですから、言えばすぐ出せる、というものではない。しかし春秋社は次々と硬派の学術書を出版していて、どうしたらこういうことが可能なのだろうと不思議に思うほどでしたので、名編集者の高梨公明さんを頼りに、ご相談してみました。

そうしましたら、なんと、この本を出したくて困っていた、やっていただけるならひじょうにありがたい、というお返事。簡単に話が決まってしまいました。もう毎日、少しずつやっています。私もそれなりに精通している内容ですから、むずかしくは全然ありません。なるべく読みやすいものにして、合唱の方々にも使っていただきたいと思います。ご期待ください。

8月下旬~9月のイベント2010年08月20日 11時04分41秒

8月も今日から下旬。これから予定が詰まっているので、休みはもう終わり、という寂しい気分です。始動は、21日(土)22日(日)29日(日)の、埼玉県合唱コンクールの審査から。

28日(土)には甲府の山梨県立県民ホールで、毎年恒例の同調会コンサート。「モーツァルトの美意識を探る」シリーズで、今年は「晩年の新境地」と題し、クラリネット五重奏曲(ソロ:堀川豊彦さん)と《魔笛》第2幕抜粋を演奏します。《魔笛》の木管アンサンブル版は国立音大のオリジナルとしてそろそろ浸透してきたかと思いますが、今回もソリストは澤畑恵美さん、経種康彦さん、小川哲生さんという豪華版です。15:00から、2千円。詳細は大学のホームページでどうぞ。

同じプログラムのコンサートを、9月4日(土)の15:00から岐阜のサラマンカ・ホールで行います。こちらには武田忠善先生(クラリネット)が出演されます。

9月11日(土)10:00からの「たのくら」例会は、ドイツ・リートの、当ブログでお話しした「3分の感動」をテーマとして行います。

25日(土)13:00からの朝日カルチャー横浜校のバッハ講座は、「《フーガの技法》~耳で聴く図形の魔術」です。ちょうど放送と重なりましたね。講座では「目」を活用したいと思います。

【付記】コメントが書き込めない、というお話を時々いただきます。じつは迷惑投稿を防ぐために、リンクを含んだ投稿ははじくように設定しています。ご理解の上、お書き込みいただければ幸いです。

年齢2010年08月23日 23時54分53秒

いずみホールに、フレンズというファンクラブがあるのをご存じでしょうか。年2000円の会費で、いろいろな特典があります(http://www.izumihall.co.jp/)。特筆すべきは、2ヶ月ごとに発売されている情報誌『ジュピター』の充実。著者の顔ぶれといい、企画の多彩さといい、なかなかのものだと感じます。私はそこに「巻頭言」を寄せているのですが、立場もありますので、内容は熟慮して、慎重を期しています。6月号には「年齢」というエッセイを載せました。これは反響もいただきましたので、ここに公開し、アーカイヴに収めたいと思います。そこに書いている最近の価値観は、週末の合唱コンクールの審査にも明らかにあらわれ、長所も短所もあるな、とあらためて考えているところです。

「年齢」

 この4月で、64歳になった。音楽に熱中し始めてから、ほぼ50年である。若い頃、自分が歳をとったら音楽の聴き方がどう変わるか、興味をもっていた。音楽が格段によくわかるようになるかもしれないという期待をもち、遠山一行先生にお尋ねしたことを覚えている。先生のお答えは、かえってわからなくなるかもしれないよ、というものであった。

 昔ほど熱狂的に聴くことは、さすがに少なくなった。だが音楽を大所高所から聴けるようになったことは、確かだと思う。昔は縁遠く思われた晩年の作品が、おしなべて、深い内容をもつように思われてきた。また作曲家の進境なり、円熟なりというものが、肯定的に実感できるようになった。演奏家と演奏についても、同じことが言える。

 内面的なもの、求道的なものに対する共感や尊敬が増した反面、外面的なもの、効果を狙うものに対しては、否定的な気持ちが生まれてきた。若い頃を思い起こすと、管弦楽の圧倒的なクライマックス、頭髪振り乱した指揮者の熱演、歌い手の超高音や声量、目にもとまらぬ鍵盤上の技巧といったものに、それなりの興奮をかき立てられていた。ところが最近は、そうしたもの価値をもっぱら作品の様式や音響空間などとの関係から判定するようになり、過剰に思ったり不必要に思ったりすることが多くなったのである。大事なのは音楽であり作品であって、個人としてのスターではないと、最近の私は感じる。

 私自身は、これを深化であるととらえている。しかし単なる変化だと思う方もおられようし、見方からすれば、老化と言えるかもしれない。現在の私は、内面的な音楽、求道的な音楽をこそ尊重したいと思うが、そう思うようになったのは外面的なものを聴き重ねてきたからだと考えれば、外面的な音楽も必要だということになる。そう考えて流行に譲るべきか、信念に基づいて価値観を主張するのが責任か、迷うことの多い昨今である。

夏田君のこと2010年08月25日 23時24分20秒

軽々しくは書けないことなので触れずにおこうかと思ったのですが、どなたもご存じのことですし、思い切って書かせていただくことにしました。同僚、夏田昌和君のことです。詳細の事情はまったくわからないのですが、容疑を認めているということなので、報道を前提とします。

覚醒剤の使用はけっして許されないことで、何ということをしたのか、という思いは、当然あります。また、多方面におかけしたに違いないご迷惑に関して、同僚として、心からお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。

しかしこれだけは書かせてください。夏田君は圧倒的な才能、力量の持ち主で、その作曲、指揮、ピアノ、指導、文章などを通じて、大学に、学生に、桁違いの貢献をしてきました。私はまもなく定年を迎えますが、彼がいればこの先大学は大丈夫だ、と思っていたほどです。身近に知る人柄も誠実かつ穏やかで、年齢はずっと下ですが、私にとって、心から尊敬できる友人でした。

そのことを忘れたくないのです。迷惑をかけたことがどれほど責任重大でも、こんなけしからんやつがいた、という結果には、絶対したくありません。罪の償いをして、必ず再起して欲しい。そのときには、みんなでそれを応援したい。私がこれだけ言うのはよくよくのことだと、皆さん思っていただけますでしょうか。

続・夏田君のこと2010年08月27日 11時17分00秒

思いがけずたくさんのコメントをいただき、多様なご意見から、多くを学ばせていただきました。ありがとうございます。

かつて愛読した三島由紀夫の『天人五衰』に、高名な老弁護士(主人公)が覗き中に公園でとらえられ、「八十歳の覗き屋」として週刊誌に書かれてしまう、という場面があります。それまで築き上げてきたすべてのものがこの一行に集約されてしまった、と、三島は書いています。しばらく前「一寸先は闇」という談話を書きましたが、失敗すれば結局そうした結果になる、という認識は、私も十分もっていました。陥穽に陥る可能性は、私を含め、どなたにもある。気をつけなくてはいけません。

それでも、失敗をする人は、出てきます。失敗をした人が、貢献も能力もすべて否定されるような形で去っていく姿を、遠くから、まれには近くで、見ることがありました。そんなとき私の思うことは、処罰がどんなに必要でも、その人が貢献してきたことは、それとは離れて認めてあげたい、ということでした。夏田君は、そうした貢献が、比類なく大きい人だったわけです。aranjuezさんのおっしゃることは、夏田君に個人的に触れた方の、共通の思いだと受け止めています。彼は本当に、学生に迷惑をかけました。だって彼の授業を、これから学生は受けられないのですから。

とはいえ、彼を知らない方にそれをわかっていただくことは、むずかしいですよね。私は彼をかばっているつもりはなく、厳罰のもとに償いをしてもらうことを前提に、彼の能力と貢献も知っていただきたい、という思いからあのように書いたわけですが、彼をご存じない方は、この時点で「こういう長所もある」と書くことは彼をかばうことにほかならない、と思われるようです。そこは、私も勉強させていただきたいと思うに至りました。いずれにしろ、再発防止には厳しい態度で、万全の配慮をもって臨む決意です。

甲府でモーツァルト2010年08月29日 07時06分08秒

28日(土)は、甲府で演奏会でした。ちょうど40周年を迎えた山梨県同調会(卒業生組織)と大学の共催で、モーツァルトのクラリネット五重奏曲と《魔笛》第2幕抜粋を演奏したのです。私の役割は企画、解説。内容を理解しつつ楽しく聴いていただくために、演奏者へのインタビューを織り込むのを最近のやり方としています。当初はアドリブでやっていたのですが、最近は台本を書くようになり、事実上、寸劇のようになってきました。ところが、記憶がたいへん(笑)。昨日も趣向をこらしすぎて手違いがあちこち生まれ、薄氷を踏む思いでした。

とはいえ、名花澤畑恵美さん以下、出演者のがんばりで雰囲気のいいコンサートとなりました。終了後、記念パーティへ。これがまた、同調会の方々の完璧なまでの心づくしで、打ち解けた、楽しい会でした。天才少女の演奏というのもありましたが、びっくりしましたね。

国立音大の特徴として皆さんがおっしゃるのは、温かさとか、和とかいうことです。それは本当にそうだなあと、最近実感しています。大事なのは演奏者ではなくて作品であるとか、音楽の神様を喜ばせることが目的だとか私は最近主張しているわけですが、それは国立音大に籍を置いて仕事をしているからこそ、育ってきた考えであるのかもしれません。次の土曜日には、岐阜に行きます。

前代未聞の激戦2010年08月30日 08時58分08秒

全日本合唱コンクール埼玉大会の審査を、3日間行いました。昨日の高校の部はとりわけハイレベルで、前代未聞の激戦となりました。

「前代未聞」という言葉を使うのには理由があります。審査結果が、完全に割れたからなのです。5人の審査員の1位が全部別、2位も全部別で、1位と2位の合計が、10校(重複なし!)。3位まで広げても、計12校。これほどばらばらになったのは、私の知るかぎり、初めてです。

結果発表には、全合唱団が3階席までをぎっしり埋め、かたずを飲む状況になりました。高校生は正直ですから、歓喜爆発のところ、下を向いてタオルに顔を埋めてしまうところ、明暗がくっきり分かれます。長い時間号泣していた生徒がいたのには驚きましたが、強豪校のまさかの落選、というケースだそうです。

33もの出場校が甲乙付けがたい状況で午前から夕方まで演奏し続けますと、同一の基準で聴き通し、きれいに順位を振り分けることは、至難の業です。私は今回、前回の反省をもとに、2つの基準を守ろうと努めました。それは、聴いた直後につけた点数をあとからの記憶で修正しないこと、互角だと思われたらかならず先に演奏した方を上位にすることです(時間差の影響はきわめて大きいので)。

それでもかなり、反省が残りました。審査員の心理として、自分の採点に同調してくれる人がいるか、いないかというのは、精神的な健康に影響します。ひとりでは、不安になるわけです。私はよくそれを経験しますが、今回は、第一級の顔ぶれの先生方が皆さんそれを経験されたようにお見受けしました。結局そのような形で一定のバランスを取るのが、審査というものだと思います。評価の観点はさまざまですからね。

いずれにしろ、高校の合唱活動がさかんなさまに接し、勇気づけられました。

8月のCD選2010年08月31日 09時23分39秒

毎月のCD/DVD選、新聞に載ってからこちらでご案内しようと思っているうちに、まぎれてしまうことがあります。久しぶりになってしまいましたが、8月分を。

ラトル指揮、ベルリン・フィルにいつも共感するわけではありません。でもチャイコフスキー《くるみ割り人形》はよかったですね。バレエ全曲版への挑戦は初めてだそうですが、うまさが先行しない、やさしく夢のあるアンサンブルになっていて感心しました。2枚組にDVDがついて3,200円というのは安いですね。売れるものの強みでしょうか。ともあれ、平素組曲で聴いている音楽も、全曲で聴くと、いろいろな発見があります。

ハーディング指揮、ミラノ・スカラ座によるシュトラウス《サロメ》(2007年のライヴ)のDVDも特筆ものです。頽廃しきったヘロデの宮殿に朗々と響くヨカナーン(シュトルックマン)の声、「聖」の侵入におびえる人々の中で、それを「性」に置き換えてわがものにしようとするサロメ・・。ボンディの演出による諸人物の対比的造形がみごとで、新星ミヒャエルが女豹のように魅惑的なサロメを演唱しています。こういう「観せる」路線に比べると、先日実況されたバイロイトの《ワルキューレ》は、(音楽はともかく)見た目に、ちょっと古めかしくなかったでしょうか。

3位は、エンリコ・オノフリの「バロック・ヴァイオリンの奥義」です。バッハの《トッカータとフーガ》の編曲から始めて、タルティーニ、テレマンなどを並べたプログラムを聴き進めると、無伴奏ヴァイオリンの可能性に驚かされること必定です。