ピティナ訪問2012年07月18日 23時35分51秒

今日はピティナ(全日本ピアノ指導者協会)でワークショップ。ネット上でたいへん存在感のある団体で、知人のピアニストも、かなりかかわっておいでです。

本部のある巣鴨には早めに着きました。しかし南口に接しているはずのビルが、どうしても見つかりません。電話してわかったことはわかったのですが、人の集まるところだというのに、看板も案内も、外に出ていないのです。皆さん、どうやってたどり着いておられるのでしょうか。

受講生は熱心でチームワークもよく、気持よくお話することができました。小原孝さんが全回参加しておられるのを知り、びっくり。勉強家なんですね。「バッハ演奏の最新事情」などという誇大なタイトルをつけてしまいましたが、実際には、ピアノでバッハを弾く上で遭遇するであろう問題点を、多くの実例をもとに論じる形にしました。人前でお話をすると、本当に気合が入ります。スタッフの実方さん、小原さんと3人で、インドカレーの昼食。

それにしても今日は、暑かったですね。ここしばらくのオーバーワークもあり、正直参りました。節電、容易ではありません。

今月のCD選2012年07月19日 23時54分37秒

6月のCD選はドイツ旅行が入ったため事前に少ない候補から選定せざるを得ず、ここでも採り上げないままになりました。7月はボーナス期の新譜が来て、選択肢は豊富です。それでも3選ですから、少ない月は有利、ということですね。

庄司紗矢香さんがウラル・フィルとの共演で弾いたショスタコーヴィチ のヴァイオリン協奏曲第1番、第2番(MIRARE)を、1位にしました。この演奏、たいへんな密度で進められますが、ショスタコーヴィチにふつう連想する冷たい触感とか、シニカルなユーモアとかとはかけ離れています。それをどう評価するべきかかなり考えたのですが、「熱を帯びつつも慰めに満ちた」ソロに耳を傾けるうち、これは閉鎖的な風土で呻吟するショスタコーヴィチを救済する天からの音楽ではないか、と思うに至りました。たいしたものです。

2位にしたのは、この時期恒例の「アルゲリッチ&フレンズ ルガーノ・フェスティヴァル・ライヴ2011」です(EMI)。今年はアルゲリッチの出番が多く、ラヴェルのコンチェルトのソロのみならず、ザレンプスキの五重奏のような知られざる佳作にも力量を発揮しています。後光のようなオーラがだんだん出てきましたね。これは3人全員の推薦でした。

デノンが出しているOpusArte系のオペラのDVDを、数点見ました。良かったのが、パッパーノが英国ロイヤル・オペラを指揮したヴェルディ《マクベス》 の2011年ライヴ。パパゲーノで有名なキーンリーサイドがヴェルディの主役を立派に、内面を掘り下げつつ歌うことにも感心しましたが、対峙するマクベス夫人に扮したウクライナの新進ソプラノ、モナスティルスカの美声と表現力には驚嘆。大器の出現です。

宮崎のキャサリン妃2012年07月22日 23時44分51秒

宮崎と鈴鹿で仕事をする2日間。かなりの強行日程です。飛行機は羽田発10時だったのですが(ソラシド航空)、あやうく乗り遅れるところで冷や汗をかきました。それは、谷保→川崎→京浜川崎のコースでアプローチしながら、京浜蒲田での乗り換えをうっかりし、品川まで行ってしまったからです。これで40分もロス。でもこのように始まる日の仕事は概してうまくいくというのが、私の理論です。

リサイタルを開かれるシムウェル(大薗)英華さんは、仲間内では有名な方で、ファンが大勢おられます。近況を知りたい方も多かろうと思いますので、少し詳しくレポートしますね。

コンサートは、宮崎市の市庁舎に接した市民プラザの、オルブライト・ホールで行われました。500席の、使いやすいホールです。備え付けのスタインウェイのピアノは最初とても気になりましたが、弾き込むにつれてよくなり、最終的には調律師の方の調整で、十分に効果を発揮しました。あ、リハーサル中に計画停電があったのには驚きました。

個人リサイタルでトークをするのは、むずかしい面があります。下手をすると、とってつけたようになってしまう。聴衆はほとんど初対面の方々ですから、最初のトークで、できるだけの一体感を作る必要があります。いらしているのはシムウェルさんのファンの方々なので、彼女に対するキャッチフレーズを献上するところから始めたいと思いました。そこで考えたのが、タイトルにつけた「宮崎のキャサリン妃」というものです。いかがでしょう。なにしろ、ご主人がイギリス人。たいへん美しく気品がある方という点でも共通です(似てはいません)。うまく考えたつもりですが、だめでしょうか(笑)。

学生の頃とまったく変わっておられないのは信じられないことですが、華麗なテクニックが健在で、音楽的に相当の進歩が感じられたことには、もっと驚きました。恩師の先生も進歩を認めておられたので、私だけの印象ではないと思います。ご家族の世話をし、4歳のお嬢さん(←お人形そのもの)を育て、2つの学校で教え、という多忙な日常を知っていましたので、どうしてこういうことがありうるのか、考えこんでしまいました。(続く)

続・宮崎のキャサリン妃2012年07月23日 23時56分26秒

プログラムは《月光》ソナタ、バッハ=ブラームスの《シャコンヌ》、《展覧会の絵》というものでした。《シャコンヌ》は、最初のリサイタルで採り上げて以来、シムウェルさんのレパートリーになっています。今回、ブゾーニ編曲に挑戦しようかと思ったが、ブラームスの方がずっといいのでブラームスにした、とのお話。同感です。

《シャコンヌ》の原曲は、無伴奏ヴァイオリンです。すなわち、本来は不可能な手段で、オルガン顔負けのポリフォニーを構築しているのがこの曲。聴き手の想像力に訴える分だけ、深いわけです。これに対しブゾーニの編曲は、グランドピアノを駆使して、ヴァイオリンのできないところを全部顕在化しようとしている。華々しいが、奥行きがありません。一方ブラームスは、左手に限定しているためにヴァイオリンの譜面からあまり離れておらず、手段の制約、想像力に訴えるという本質的な部分を残しています。はるかに、バッハを聴いた気持ちがするわけです。

あまり聴く機会のないブラームス編曲ですが、よく弾き込まれていて、起伏と盛り上がりのある、見事な演奏でした。後半、《展覧会の絵》の演奏も、修士論文で取り組まれただけあって、曲想をよくとらえた、絢爛たるもの。ほっそりしたお姿からは考えられないほど思い切りがよく、めりはりが利いているのです。度胸、という言葉を使いたくなりましたが、どちらもリハーサルに比べて格段にテンポが速かったことからしますと、超ハイ・テンションであられたのかもしれません。

というわけですっかり感心し、どうしてこうしたことが可能であるのかを思い巡らせました。想像するに、次のようなことではないかなあ、と。女性は家庭を持つと時間も労力も大幅に割かれ、音楽に集中できない場合が現実には多いと思います。それは音楽にとってマイナスとしか普通には思われないのですが、その安定感がプラスとなって、音楽的に成長するということがあるのではないか。もちろんいつもそううまくはいかないでしょうが、家庭は単なるマイナスではない、という実例が、ここにあるのではないか。恩師の先生(女性)にそう申し上げたところ、自分もそう思う、とおっしゃいました。世の女性を勇気づけることではないか、と思った次第です。

宮崎から鈴鹿へ2012年07月25日 02時00分35秒

前話に写真を公開しましたのでご覧ください。コンサート終了後は、打ち上げ。印象的だったのは、大薗家の方々の名望とまとまり、支える周囲の方々の温かさでした。ご親族には、国音卒の声楽家もいらっしゃいます。お父様の音頭で市内まで繰り出すことになり、恩師の一人、篠井寧子先生とご一緒にお伴しました。4歳のお嬢さんも最後まで元気いっぱいでしたが、将来、どうなられますやら。

翌日(土曜)はそのツケが回り、疲労困憊。早朝の飛行機に乗っての宮崎→名古屋中部空港→名古屋→白子(鈴鹿)の移動はヘロヘロでした。会場となった鈴鹿国際大学に向かう間に気づいたのですが、鈴鹿市には「磯山」という地域があるのですね。磯山4丁目、磯山2丁目、という感じで。語源は何なのでしょうか。

準備もあわただしく、13:00から講演開始。しかし、研究者の私でも最近やっとわかるようになった《ロ短調ミサ曲》について、一般の短大生に話すことは適切でなかったと反省しています。ご承知の通り、背景からテキストから成立事情から、たいへん複雑な作品だからです。学生さんにはその意味で申し訳なかったですが、合唱団から聴きに来てくださった方が何人かあったのはありがたかったです。

終了後、学長の佐治晴夫先生、お世話いただいた十津守宏さんと、あなご料理で会食。佐治先生は高名な物理学者ですが、音楽にも専門的な素養をお持ちで、音楽、宇宙、時間、存在といった事柄について、突っ込んだ識見を披露してくださいます。理系の大先生は交友範囲にいませんので、一言も聞き漏らすまいと耳を澄ますのが、毎度のこと。3冊も本をいただいて来ましたので、そのうち読書コーナーで紹介しましす。疲れましたが、実りある2日間でした。

格段の進歩2012年07月26日 16時28分26秒

不肖私、スマホを変えました。これまでは、初代のエリクソン。これからは、GALAXY SⅢです。

いやあ、いいですね。しのぎを削る業界における二年間の大きさを痛感します。今こうして書いている文章も、はるかに書きやすくなっているのです。

嬉しいのは、「礒山」がデフォルトで変換できること。今までは、礒と山を別々に変換していました。もちろん「雅」もデフォルトです。

よくメールを下さる方に、「いそやま」とひらがなで打ってくる方がおられます。尋ねてみると、単漢字でも変換できないとか。古い機種を使っておられるんだなあと、同情に堪えません。

欠点と言いますと、あまりに画面が広い結果、サイズが薄いながらも大きくなり、ポロシャツのポケットからはみ出してしまう。これだと最新機種を使っていることがわかる人にはわかりますから、自慢しているように思われてしまう。そんな気持ちは少しもないにかかわらず、です。

今日はNHKの録音後、東北新幹線に飛び乗りました。米沢、会津若松、横浜と周ります。電池はまだまだ持ちそうなので、環境作りに励みます。

親友2012年07月28日 08時25分22秒

26日の訪問先は、米沢。大学時代からの親友が、ここに住んでいるのです。オーケストラで知り合いました(彼はファゴット)。専攻は中国史です。

深い思索の士で熱烈な芸術愛好家であるこの方(山根秀樹さん)からは、絶大な影響を受けました。私の書いたものを感動をもって読んだと言って下さる方が時々おられますが、まさにそういうところに、彼からの影響はあると思います。私の著作をすべて克明に読んで下さっている山根さんですが、あちこちで自分に出会われていることでしょう。

高校の教壇を去られた今は、毎日4時に起きて読書し、晴耕雨読の日を送っておられるとか。また私塾を開き、論語と平家物語を講じておられるそうです。勤勉で端正なたたずまいはまったく昔と同じで、不思議の感に打たれました。

芸術を、人生を語り合った翌日に彼が案内してくれたのは、自然の中に立つ庵。そこには農耕具一式が備えられ、辺りには、丹精された植物がいっぱいです。

彼にはもともと遁世の気があり、その意味では、見事な自己実現です。でもこれだけ優秀な方はなかなかいませんので、私はやはり、全国区の発信をしていただきたいと思う。「三顧の礼」の故事が、心に浮かびます。

念願の喜多方へ2012年07月29日 23時33分49秒

27日(金)は山根さんが車を出してくれることになり、彼の庵を後にして、喜多方へ。列車で行くとなると米沢→福島→郡山→会津若松→喜多方とたいへん遠回りになりますが、車だとまっすぐ南に下るだけで着きます。一度行ってみたかったところ。目的は、もちろんラーメンです。

駅でラーメン情報満載の地図をもらい、車を駅の側に置いて、市内に向かいました。歩くにつれて、ラーメン屋が増えてきます。この広さにこれだけあるのは壮観。中心地には、夜開く飲み屋やバーも、たくさんあるのですね。つい余計な心配をしてしまうのは、これだけあって、営業が成り立つのか、ということ。なぜなら、道を歩いている人がほとんどいないからです。金曜日の昼間ではありますが。

お店の選択が、大きな問題。なにぶん決断力のない私なので、根拠のない方針を、3つ立てました。1、東京に出店している店は避ける。2、メニューの多い専門店ではなく、普通の食堂に入る。3、先客のいそうなお店にする。結果として選んだのは「あべ食堂」というお店です。

ごく普通の食堂。丼ものなどの並ぶメニューの中に、単に「中華そば」という項目がある。しかし結構いる先客は、みな「中華そば」を食べています。もちろん、われわれも注文。

おいしかったですね。すばらしかった。最近のラーメンは人工的などぎつい味のものが多いと感じるのですが、ここのラーメンは昔ながらの古典的な作りで、やさしくやわらかな味わい。これ1杯食べに来ても正解だな、と思いました。

ここで友と別れ、磐越西線で20分。2時に、会津若松に到着しました。

酷暑の会津若松2012年07月31日 23時34分04秒

会津若松には午後2時に到着しましたが、ホテルのチェックインは4時です。そこで、荷物をコインロッカーに預け、市内を散策することにしました。この令名高い都市を訪れるのは初めてです。

汗が吹き出すほとの暑さ。それでも歩き回ろうと思うのは、かつて夏山をやっていたからでしょう。しかし熱中症で死亡ということになってもみっともありませんから、水分の補給は心がけました。かつては下山のおりなど、ビールをおいしくしようと、水分を採らずに歩き続けたものなのですが。

風格のある大きな町。でも喜多方と違って、見所や飲食店が散らばっています。そこで、片道40分ほどかけて鶴ケ城を往復する間に、夕食のお店を偵察しました。これだと思ったメニューは、ソースカツ丼。会津は、独自のソースカツ丼の発祥地らしいのです。候補のお店を3つ、頭に入れました。

そもそもなぜ会津若松にいるか。地元の宝、白虎隊に取材したオペラ《白虎》が、地元の総力を挙げて、今日(27日)、初演されるのです。作曲家も台本作者も、また出演者のほとんども、私の親しい人たち。ソースカツ丼で腹ごしらえをして鑑賞しようと、早めにホテルを出ました。

ところが、当たりを付けていた3つの店が、全部閉まっている。結局食べられないまま、会場の「會津風雅堂」に着いてしまいました。喫茶コーナーに行き、クリームソーダを注文。暑さと空腹に迫られての、おそらく20年ぶりの注文です。

クリームソーダはおいしかったのですが、入れすぎてこぼれてしまったというので、ボランティアの方が平謝り。その様子がいかにも善意に溢れていて、心温まりました。こうした公演ならではの光景です。小さい女の子が務める案内役も、かわいかったですね。