《マタイ》公演総括(1)2009年06月23日 23時57分51秒

吹き抜けた嵐か、見果てぬ夢か--という2週間が終わって、そろそろ、公演を総括すべき段階にたどり着きました。私の立場から、総括を試みたいと思います。

多くの方の尽力をいただいて実現した、この公演。発端は、相模大野グリーンホールにおける「バッハの宇宙」シリーズの初めに遡ります。レクチャーの世話役になった相模原市民文化財団の後藤さんとおっしゃる職員の方が、最後に《マタイ受難曲》を上演したい、という希望をもらされました。私はもちろん、いいですね、やりたいですね、と申し上げましたが、その時点では、本当に実現しようとは、まったく思っていませんでした。

市の財団ですから、職員の方は、当然代わられます。それで潰えた企画の話も、よく聞きます。しかし相模原市民文化財団は、「バッハの宇宙」を6年間支えてくださったのみならず、都合4代にわたって、《マタイ》への夢を受け継いでくださったのです。すべては、この情熱に起因します。

今回の《マタイ》が「バッハの宇宙・最終回」と銘打たれていたのは、このためです。「バッハの宇宙」では種々マニアックなコンサートを積み重ねてきましたが、それを楽しみにしてくださる方々の輪が広がり、杜のホールはしもとの聴衆の骨格を作ったのだと思います。この機会に、ご出演いただいたすべての演奏家、ご来場いただいたすべての聴衆の方々に、御礼申し上げます。その延長線上にあったからこそ、2回のプレ・セミナー、2回の本番への盛り上がりが作り出されたのにちがいありません。(続く)

《マタイ》公演総括(2)2009年06月24日 22時55分48秒

打ち上げの席でどなたかが、今回の企画を「ジョシュアとタダシの友情から生まれたもの」と形容されました。それはその通りですが、初めからそうであったわけではありません。私の心にあったのは、既成の団体にお願いするのではなく、新しい《マタイ》のプロダクションを作ろう、ということでした。そこで、「リフキンあり」「リフキンなし」の選択肢を提示したところ、相模原から、「リフキンあり」のゴーサインをいただいたのです。結果的にはそれが、すべての出発点になりました。

リフキンを指揮者に据える以上は、リフキン方式による、日本初の《マタイ》となります。そしてメールを交わすうちに、日米の競演というアイデアが成長してきました。私も彼も、惚れ込んだアイデアでした。

しかし経費を計算してみると、とても実現できないような数字になりました。そこから、どうやって経費を切り詰めるかの知恵を絞り、合理化に合理化を重ねて、これ以上は減らせない、という額にたどりつきました。その過程で「学生を含む若い人たちによる《マタイ》」という案が固まってきましたが、これは正解であったと思っています。若い人たちの学習欲が並々でなく、それがリフキンの教育者としての能力と結びついて、力の結集が生み出されたからです。ベテランを自由に使える状況であったとすれば、かえって今回の成果はなかったのではないか、と感じています。

そんな厳しい経済条件の中でしたが、意気に感じて手を挙げてくれる演奏家がたくさんおられ、プロダクションが形をなしてきました。企画の意義に注目してくださる人も増え、公の補助金もいただけることになりました。

このように回顧してみると、どんなに多くの方に助けていただき、働いていただいたかが、あらためて痛感されます。それに比べれば私のやったことなど限られています。だいいち、ひとつも音を出していないのです。それなのに私の名前が取り上げられることがなにかと多く、申し訳なく思っています。謙遜ではなく、心からの感情です。

《マタイ》公演総括(3)2009年06月25日 22時25分17秒

各パートひとり、オリジナル・パート譜の割り振りを遵守、という「リフキン方式」によって、音楽の印象は、ずいぶん変わりました。次のような説明ができるかもしれません。

合唱団の《マタイ受難曲》公演に、私がソプラノ歌手として呼ばれるとします。すると私は、「3つのアリア+2つのレチタティーヴォ」として作品を思い浮かべ、この5曲を入念に準備して、会場に出かけると思います。他の63曲は、一通り聴いておこう、ぐらいのところで、あらかた、人まかせにすることになりそうです。

そんな私に、合唱団から、「群衆などの合唱もいっしょに歌って欲しい」というオファーが来たとします。すると私は、そういう負担は勘弁して欲しい、アリアという重要な役割があるのだから、と答えそうです。かくして、合唱とソロの役割は分離し、固定されます。

リフキン方式ならばどうか。2グループのソプラノは、自分のパート譜を歌ってゆくわけですが、そこにはアリアのみならず、群衆の合唱も、コラールも書いてあります。したがって私はどちらも分け隔てなく歌い通すことになります。要するに、弟子や聖職者の合唱、群衆の合唱を身をもって体験し、それらに精通した人がアリアを歌うことになるわけで、結果として合唱はアリアのレベルで歌われ、アリアは合唱と同一次元で歌われる。今回の公演で聖書場面の合唱が大きく、印象的に目に映じてきたのは、こうした取り組みの結果であるに違いありません。

小島芙美子、坂上賀奈子、中嶋克彦、小藤洋平の第2グループ歌手4人が合唱パートにも精魂込めて取り組んでくれたことは、本当にありがたいことでした。歌い手が出来事の展開全体に責任を負うことの充実感に、皆が日々引き込まれていくように見受けられました。

梅津時比古さんが毎日新聞の「コンサートを読む」欄に寄せてくださった「背後の人々の気配を感じたのは初めてのことだった」というありがたいお言葉は、上記のことと無関係ではないと思います。

《マタイ》公演総括(4)2009年06月27日 10時05分08秒

ようやく疲労が抜け、新しい気力が芽生えつつあります。総括も、そろそろ終わりにしなくてはなりません。

今回アメリカからは、ケンブリッジ・コンツェントゥスという、ボストンのひじょうに若いアンサンブルが来日しました。リフキン先生が顧問を務める団体ですが、驚いたことにリフキン先生の指揮で演奏するのは初めてとか。《マタイ》の演奏も初めてという人がたくさんいて、演奏に荒削りな面があったことは否めないと思います。それだけに、公演ごとに作品になじんでくる様子が伝わってきたことも事実です。

反面声楽は、テノール(ジェイソン・マクストゥーツ)、バス(サムナー・トンプソン)、ソプラノ(クララ・ロットソーク)の3パートに大物を揃えており、聖書場面の負担の大きい第1グループを、立派に支えてくれました。カンタータはともかく、受難曲でリフキン方式となりますと、キャパシティの大きな歌手がどうしても必要になります(とくにテノール)。人間的には、声楽、器楽を問わず、気持ちのいい、感受性に富んだ人たちばかりで嬉しかったです。女性の皆さんが揃ってきれいにしているのには、ちょっとびっくりしました。

解釈はリフキン先生におまかせしていましたが、演奏者が私の本を読んでいてくれたらずいぶん違うのになあ、と思ったこともあります。たとえば、アルトのレチタティーヴォ〈ああ、ゴルゴタ〉とアリア〈ご覧なさい〉が重要な転換点をなすという私の持論からすると、ここはもっと突っ込んで演奏して欲しいと思い、英語のレジュメを作りました。しかし唐突かなとも思われて、深追いはしませんでした。内幕の一端です。

というわけで、課題はたくさん残ったと承知しています。しかしリフキン先生の音楽のすばらしさと、リフキン方式の豊かな可能性(かならずソロ編成というのではなく、小編成の合唱にも応用可能だと思います)については確信をもちましたので、なんとか今回の成果を先につなげていきたいと考えています。長い目のご支援を、ぜひよろしくお願いします。

6月のCD/DVD2009年06月28日 22時57分24秒

《マタイ》の準備が進行しているさ中に、今月のCD選がめぐってきました。今月1位にしたのは、「シモン・ゴールドベルクの芸術」と題する、往年の名ヴァイオリニストの録音集成です(EMI)。戦前ベルリン・フィルのコンマスを務めていた世代の方なので1930年代から50年代にかけての録音が中心ですが、のちに日本に来られ、結婚もなさったということで、1991年に日本で録音というのも含まれています。

バッハとモーツァルトの協奏曲から聴き始めましたが、芸術への敬意と愛に満たされた高雅な演奏に引き込まれてしまいました。小作りで粋があるという特徴は、ベルカント・テノールなど当時の名人に共通する傾向です。それだけ戦後の演奏は、大柄に、外向きになったということですね。

2位はドゥダメル指揮、シモン・ボリバル・ユース・オケのザルツブルク・ライヴです(DVD、グラモフォン)。ベートーヴェンの三重協奏曲にアルゲリッチが出ているので、「アルゲリッチ&フレンズ」を外す代わりに入れようと思ったのが最初ですが、《展覧会の絵》やアンコールのヒナステラも圧倒的で、こちらだけでも充分。しなやかで熱っぽい、集中力抜群の演奏には、ベネズエラの若者たちの底知れぬエネルギーが渦巻いています。

3位には、有田正広指揮、東京バッハ・モーツァルト・オーケストラのライヴ(デノン)を入れました。モーツァルトのハ長調協奏曲におけるピート・クイケンの独奏が繊細で美しく、《ジュピター》の有機的な響きも、ピリオド楽器ならではです。

模範としたいホール・オペラ公演2009年06月29日 21時47分40秒

めずらしく日曜日(28日)に開かれた「たのくら」のテーマは、《平均律》。最近出た、4人のピアニストが分担して演奏しているDVD(ユーロアーツ)を、一部使いました。第1巻がアンドレイ・ガヴリーロフ(印象としてはリヒテルの系統)とジョアンナ・マグレガー、第2巻がニコライ・デミジェンコ(ギレリスの系統)とアンジェラ・ヒューイットによって演奏されています。見たかぎりではマグレガーがすばらしく、ロ短調が感動的な名演奏だと思いました。

大急ぎで飛び出し、静岡AOIへ。間宮芳生作曲のオペラ《ポポイ》(倉橋由美子原作)初演に列席するためでした。さすがに見事に仕上げられた作品で種々話題になると思いますので、ここでは一点だけ。

主演の吉川真澄さん(ソプラノ)が、首を飼育する好奇心に満ちた少女の心を明晰に、魅力的に歌ってくれました。私が特筆したいのは、この歌が明快ながら音量を控えて歌われ、聴き手を言葉に引き込む形で進められていたことです。中小のコンサートホールで上演されるオペラにおいては質の高い音楽内容こそが追求されるべきで、フルヴォイスの競演は必要ないと私は確信しているのですが、どうしたものか声量を競う公演になることが多く、もっと繊細な様式を普及させたいなあと思っていました。

その意味で模範的な公演を観ることができて、喜んでいます。こうした方向性が確立されれば、力を存分に発揮できる歌い手の方が、たくさんいるはずなのです。

講談調2009年06月30日 23時28分35秒

明治から大正にかけての頃、講談の人気はすごかったそうですね。私が子供の頃は、斜陽だと言われていても、それなりにラジオで聞く機会がありました。最近は本当に、耳にする機会が減っています。浪曲も、そうですけど。

残念だ、と言いたいところですが、私がひっかかるのは、講談が過去の出来事をひたすら効果的に、時にはおもしろおかしく話して聞かせる芸である、ということです。伝記も書く一研究者としては、必然的に誇張を含む「講談調」というものに、職業的な(?)抵抗感があります。もちろんこれは、講談を貶めて言うわけではありません。

そもそも学者の世界は、研究は極力事実に即しているべきで、話としては面白いが真偽不明、というような叙述は御法度、という世界です。当然、正確だが面白くはない、という記述が多いのが、この世界です。

昔、中村光夫さんという文芸評論家が、「エピソードがすべてだ」と書いておられるのを読んだ記憶があります。たとえば伝記の場合、さまざまな年代やデータより、ひとつのエピソードが鮮やかに対象を語る、という意味でしょう。しかしそうなると、そのエピソードは史実であるのか、という問題が必ず提起されます。いかにもありそうな話が後日形成される、ということも多いからです。

諸々のエピソードをどのように評価したらよいのか、しばしば考えてしまいます。誇張したエピソードなしでも面白い伝記は書けると思いますが、わかりやすいエピソードが人を広く惹きつけることは間違いありません。逆に、このエピソードは事実ではない、という研究が脚光を浴びたりするのも、現代です。