息子が父親を ― 2010年02月19日 23時15分30秒
藤原正彦さんの本には、お父さんの話がしょっちゅう出てきます。絶大な尊敬をこめて語られている。書きぶりから有名な人のようであり、誰だろうと思っていました。そうしたら、新田次郎さんなんですね。新田さんの息子さんとは知りませんでした。
それにしても、息子が父親をこんなに尊敬できるものなのかと、感心してしまいます。私は父を批判的に見ることが多く、男の子はすべからくそういうものかと思っていたからです。いずれにしても、父親が尊敬される家庭というのは理想であり、なかなか実現困難なのかな、と思ったりします。
昨日は紀尾井ホールで、東京室内歌劇場の公演を見てきました。モーツァルトの《偽の女庭師》です。詳細は新聞に書きますので控えますが、よく勉強された、とてもいい公演でした。こういう公演をこそ、応援したいと思います。
放送収録 ― 2010年02月17日 23時57分07秒
今日はNHKで、番組を2本収録。何の番組かと言いますと・・・今日解禁になったので公表しますが、この4月から、「バロックの森」を担当することになったのです。
じつはここ数年、私の弟子とその仲間たちが担当していて、意欲的にやっていました。ですから、弟子から仕事を取るような感じもあり、躊躇したのですが、再編成へのNHKの意向がはっきりしていたので、お受けすることにしました。関根敏子さん、今谷和徳さん、大塚直哉さんといっしょにやります。
入りは、「6時になりました!おはようございます」というのが定番だそうで、謹んで継承しました。第1回は3月29日の月曜日です。この日は、《暁の星》のコラールを使った曲を集めてみました。シャイト、プレトーリウス、ブクステフーデ、クーナウ、バッハです。クーナウのカンタータも、なかなかいいですね。30日の火曜日は、バッハのオルガン・トリオを特集します。トリオ・ソナタをギエルミで2曲(←すばらしい)、シュープラー・コラール集をロジェで。2人の若いディレクターの方が丁寧なサポートをしてくださるので、安心して仕事ができます。
夜は東京文化会館で、二期会公演の《オテロ》を鑑賞。福井敬さん渾身のタイトルロールで、第4幕は涙なしに見られませんでした。曲が良すぎます。
松本ブランデンブルク紀行(5)--コンサート ― 2010年02月04日 23時40分22秒
理にかなっている、と感じられるということは、音楽の意味がしっかりとらえられていたということです。たとえば、開始後2時間近くにようやくやってきた第5番の、第2楽章。小林、桐山、北川森央(トラヴェルソ)の3人によるロ短調のトリオは珠玉のように味わいが深く、ひとつの音も聴き落とせないと思うほど、磨き抜かれていました。その日の出来事で沈みがちだった私の心に、その響きは、じーんと染み通ってきました。
大いに感動して楽屋に向かうと、桐山さんがもう、泣いているではありませんか。こうなったら、一緒に泣くしかありませんよね(笑)。涙の結ぶ力は大きく、私は、この人となら一生一緒に音楽をやっていけるな、と確信しました。ロビーでようやく発見した小林先生との抱擁シーンを掲載します。私の感動ぶりに接して、クールにいなす言葉を吐かれるのがいかにも先生です!

松本ブランデンブルク紀行(4)--全曲演奏 ― 2010年02月03日 23時28分20秒
バッハは《ブランデンブルク協奏曲》が全曲通して演奏されるようなコンサートを、想定していたでしょうか。多分、していなかったと思います。曲ごとに編成が全然違うというのでは、効率よく演奏するわけにいきません。ブランデンブルク辺境伯の宮廷では演奏しようがなかったことはよく指摘されていますが、同時代にはせいぜいドレスデンぐらいしか、演奏可能な楽団はなかったはずです。
しかし日曜日のコンサートを聴いて、全曲演奏することの効果はたいへん大きいと思いました。曲ごとに多様性がありますから変化に富んでいる。いろいろな楽器が出てくるので、目で見ても面白い。かなり長くはなりますが、飽きることがありません。
それも、ピリオド楽器であればこそです。ナチュラルのホルンやトランペット、トラヴェルソやバロック・オーボエ、さらにはヴィオリーノ・ピッコロといった楽器が登場すればこそ、面白いのです。編成も、小さい方がいいですね。第3番、第6番は、ぜったいにソリスト編成であるべきだと思います。この日は、第1番、第3番、第4番、休憩、第6番、第2番、第5番という演奏順序が採用されました。(続く)
松本ブランデンブルク紀行(3)--諸説の紹介 ― 2010年02月02日 22時21分24秒
人気トップの第5番の成立に関しては、最近支持されるようになった新説があります。それはピーター・ディルクセンが提起したもので、その成立を、1717年にドレスデンで行われた、ルイ・マルシャンとの腕比べに求めるものです。選帝侯の臨席する注目の腕比べで先進国フランスの音楽家マルシャンを夜逃げに追い込み、バッハの名声はいやが上にも輝いたわけですが、そのおりにドレスデンの宮廷楽団と演奏した作品のひとつが、この第5番というわけです。
この説は、第5番で突出したチェンバロ・ソロのパートが、時代に先んじてあらわれることをよく説明しています。フルートの独奏パートがバッハに初めてあらわれることについては、ドレスデンにビュファルダンという名手がいたことが説明になる。なにより、美しい第2楽章の主旋律が、マルシャンの作品から取られていることが、強い裏付けとなります。従来の「ベルリンで購入したミートケ・チェンバロの性能を発揮するために」という説では、資料の初期段階を説明しにくいのです。
講演会の後半では、曲集としての、さまざまな問題を論じました。調性が偏っているのは、偶然か意図的か。6曲は何らかのプログラムに沿って並べられているのか、そうではないのか。構成を古代の凱旋行列になぞらえるピケットの説、バロックの城館を絵を見ながら経めぐるベーマーの説を紹介しましたが、どちらも、思いつきの域を出ないと思います。しかし、正しい考察が一部含まれている可能性はなしとしませんし、本当の意図がまだ見つけられていないという可能性もある。「求めよ、さらば与えられん」というのが、《音楽の捧げもの》のカノンに付された注釈だからです。
神の使い ― 2010年01月17日 23時59分41秒
今日、帰国早々のクリスティさんからメール。心のこもった感謝の言葉が連ねられており、あらためて、感動してしまいました。翌日の奈良訪問がすばらしく、公園を走る鹿が、「神の使い」のように感じられたこと。ヤキトリがとても気に入り、今度はボストンでロブスターをごちそうしたいこと。コンサート後オルガンの前で撮った写真をヴォルフ先生に送る、先生もわれわれの友情の始まりをきっと喜んでくださると思う、等々。N市のNさん、ぜひ来ていただきたかったです(笑)。
16日の土曜日は、「たのくら」の例会と、新年会。湯川亜也子さんと三好優美子さん(←天使のピアノ)によるミニミニ・コンサート(フォーレの歌曲)が好評で、私も珍しく、新年会の二次会まで付き合ってしまいました。ドクターの学位取得を目前にした湯川さん、持ち前の美声に吹っ切れたような思い切りのよさが加わり、堂々のステージでした。1つ1つのステージを、それがたとえ小さな場でも大事にすることがファンを増やし、先につながります。懸命のステージに感動を覚え、また1日、よい日が加わったことを実感しました。
《フーガの技法》の幸福(2) ― 2010年01月16日 23時08分12秒
こういう打ち合わせにない発展が起こってしまうから、ステージのインタビューはこわいのです。まあなんとかなったのは、作品についての予備知識のたまもの。トークは、後半にもありました。こちらは、アシスタント兼〈鏡像フーガ〉演奏のフィニーさんに対してでしたが、フィニーさんがドイツ語に堪能でしたので、余裕をもってこなすことができました。フィニーさんには、アシスタントの役割や、師であるクリスティさんのお人柄などについてお尋ねし、テーマのピックアップ演奏などもしていただきました。
2つのインタビューのあとは客席に座り、クリスティ流配列による《フーガの技法》の完全全曲演奏を楽しみました。皆さんに告白しなくてはなりませんが、私は、《フーガの技法》が本当にすばらしい作品だと、この夜初めて思いました。こう書くと、なんだ礒山はバッハの専門家と称していて、《フーガの技法》についても書いているのに、と思われることでしょう。しかし事実として、私は《フーガの技法》が音楽としてよく理解できず、なかなか好きになれなかったのです。
しかしこの夜は、フーガの構造が、転回や拡大縮小のような技巧に至るまで手に取るようにわかり、「音による幾何学」が血の通った音楽として、眼前に展開するような思いにとらわれました。それはクリスティさんがポリフォニー声部のくっきりした弾き分けを重視し、鍵盤やストップの選択を通じて、構造を徹底して追求していたからです。このため、バッハが神の世界創造を模倣して繰り広げる壮大な秩序の世界が、生きた音響として、耳に響いてきました。《フーガの技法》を聴いて初めて、私は幸福になることができたのです。大きな体験です。
クリスティさんの演奏は、情熱と雄大さを兼ね備えたものでした。厳格な構成の作品だけにさぞ神経を使うだろうと思うのですが、演奏は曲ごとに盛り上がり、〈未完の四重フーガ〉は中でも圧巻。一般に演奏される初稿は、自筆譜の終わり7小節を省いています。じつはここで第1の主題が豪快にあらわれ、3つの主題が同時結合されたところで、バッハの筆が絶えている。クリスティさんはここも省かずに演奏され、一呼吸置いて、遺作のコラール〈あなたの御座の前にいま私は進む〉に入りました。この組み合わせはC.P.E.バッハによる初版の工夫であるわけですが、それがどれほどドラマティックな感動を呼び起こすかも、今回、初めて経験したことです。
終了後、すばらしいお人柄のクリスティさん、フィニーさんと、京橋の焼き鳥屋で祝杯。今回は英語のインタビューも含まれていて、私としてもプレッシャーが大きかったのですが、そういう責任の重い仕事に精一杯取り組み、それを通じて貴重な勉強をさせていただくことにこそ、人生の幸福はあるということがわかりました。ありがたいことです。
《フーガの技法》の幸福(1) ― 2010年01月15日 22時27分59秒
14日、木曜日。今日も寒い、大阪です。打ち合わせ、会食、面談と続くうち、ふたたび不安が募ってきました。やっぱり、英語インタビューがうまくいくかどうかが、気になります。フィニーさんとどのようにフーガの分析をしたらよいかもアイデアが固まらず、不安は焦りへと転化し始めました。
4時から最後のリハーサル。「未完の四重フーガ」と「鏡像フーガ」が弾かれたあと、トークについて、しっかり打ち合わせよう、ということになりました。
クリスティさんが買ってきてくれたコーヒーを飲みながら、こちらで用意した質問を説明し、対話をシミュレーション。クリスティさんのお答えは明瞭、かつ簡潔なもので、十分理解できました。私は、すっかり安心。親切なクリスティさんは、通訳は1文ごとにするか、センテンスをまとめてするか、とおっしゃいますので、私は、センテンス2つか3つまとめての形にして欲しい、と答えました。あまり短く切られるとわからなかったときにごまかせませんし、次の文章で理解を補えることも、よくあるからです。
いよいよ本番。ステージに向かう私に、クリスティさんは、「ゆっくり話しますよ、センテンスは2つずつ区切ります」と、念押ししてくださいます。よく配慮してくださる方だなあ、と心の中で手を合わせながら、私は舞台に出て、こんな風に話を始めました。「寒いところ、バッハの遺言〔←コンサートのタイトル〕を聴きに来てくださり、ありがとうございます。しかし今日は、遺言をしんみり聞こう、というのではありません。今日は、ボストンから、情熱的で人間味にあふれたすばらしいゲストをお迎えしていますので、バッハの遺言を、熱く聞くことにいたしましょう。今日などボストンなら春のようなものだと言っておられる方、ジェイムズ・デイヴィッド・クリスティさん、どうぞ!」
マイクを握ったクリスティさんは、ボストン交響楽団との初来日の思い出から、話を始められました。しかし、打ち合わせ通りなのはそこだけ。話がどんどん発展し、センテンスもずっとつながってしまうではありませんか。もう私のことは忘れ、お客様に向かって熱く語りかけている、クリスティさんなのです。(続く)
ピアノ部門、2年目終了! ― 2009年11月26日 11時27分32秒
11月24日の火曜日、私の主宰する国立音楽大学音楽研究所バッハ演奏研究プロジェクト、ピアノ部門の発表コンサートがありました。ご来場くださった方々、ご出演の方々、ご協力をいただいた方々、ありがとうございました。
受講生の発表と指導教員の演奏をドッキングするのが、去年からのポリシー。前半には、今年勉強してきた《パルティータ》第2番と第6番が、選抜された各3人の受講生によって演奏されました。皆さん、オーディションの時より格段に勉強が進んでおり、やはりステージがあることは大事だと実感。安曽麻里江さん→安曽絢香さん→五味ひとみさんのリレーで演奏された第6番の出来映えはすばらしいものでした。勉強を通じて演奏がどんどん変わられたという話で、1年間続けてきた意味を感じることができました。
後半は、加藤一郎、渡邊順生両先生の2台チェンバロによる《フーガの技法》2曲をはさんで、近藤伸子先生の《イギリス組曲第5番》と、渡邊順生先生による《パルティータ第4番》の、ピアノとチェンバロによる競演。おかげさまで、ぜいたくなコンサートにさせていただきました。
ピアノ部門はこれで終了ですが、12月1日に補遺で、加藤一郎先生によるテンポ論の講義があります。どなたでも聞いていただけます。8日は声楽部門の発表です。カンタータ第64番、モテット《イエスよ、私の喜び》、カンタータ第140番を大塚直哉さんの指揮で演奏します。声楽陣の充実はかなりだと思うので、ぜひお出かけください。
ギターに開眼 ― 2009年11月22日 22時47分14秒

皆様は、「わたなべ音楽堂〈ベルネザール〉」をご存じでしょうか。東武伊勢崎線の五反野駅、梅島駅、つくばエクスプレス青井駅から同じぐらい離れた住宅街にある、お堂のような形の小さなホールです。そこで今日、國松竜次さんのギター・リサイタルを聴いてきました。
國松さんは、私が先月のCD3選でタレガの作品集を取り上げた方です。とてもよかったので、一度生を聴いてみたい気持ちにかられていました。そこで、ホームページを調べて今日のコンサートを知り、電話をかけて予約、地図を見い見いやってくる(結局迷いましたが)という、めったにしたことのない行動をとったわけです。
ギターの場合、客席数は25人(!)。正面のかぶりつきで、演奏者との距離は至近の1.5メートル。しかし最初の音が出てすぐに、こうした空間でギターを聴くことがどれほど理想的かわかりました。音量的にはごく小さいはずのギターの音がじつに豊かに響き、細部まで、手に取るように聞き取れるのです。ギターの音の魅力は何より、人間の指が直接弦をはじくことから来ています。その柔らかさ、やさしさ、一種の肉感性は、ハンマーやジャックを使った楽器には出せないものだと思います。
このように魅了されたのは、國松さんの演奏が音を大事にし、慈しむようなスタンスで一貫していたから。写真から「かっこいい」タイプを想像していたのですが、実物は美的な感受性の豊かな、きわめて繊細な青年でした。音楽も汚れないピュアな印象のもので、最後の《アランブラの思い出》に至るまで、私は感動をもって耳を傾けました。
進行を司られていた支配人が最後のご挨拶でなんと私をご紹介くださり、乞われてスピーチをするという、意外な展開。お客様の中に、さる大学で私の本をテキストとして《マタイ受難曲》の授業をしているという方がおられたのにはびっくりしました。このホールあっての今日のコンサートです。皆様も一度訪問してみてください。ホームページもありますよ。
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