《ヨハネ》の週末(1)2010年05月31日 12時48分36秒

《ヨハネ受難曲》づくしの週末でした。渡邊順生指揮のザ・バロックバンドがジョン・エルウィスをエヴァンゲリストに迎えて行う公演に対して解説と訳詞を提供し、国立公演のレクチャー(終了)とプレトークを行うというのが、私の役割です。声楽には「くにたちiBACHコレギウム」から何人も入れていただいていましたので、自分もスタッフのような気持ちがしていました。

土曜日は、横浜公演(神奈川県立音楽堂)へ。プレトークに魂を通わせるにはやはり聴いておかなければ、と思って出かけたのですが、これが大正解でした。最後のコラール〈ああ主よ、あなたのいとしい天使に命じて〉が突出して盛り上がったことに驚き、かつ感銘を受けて、このコラールがなぜこれほど効果的なのかをもう一度考え直してみよう、というところからプレトークを組み立てる構想が生まれたからです。ちなみに《ヨハネ受難曲》で断然すばらしいのは最後のコラールだと考えている人は存外に多く、渡邊さんと私も、その点で完全に一致していました。

日曜日の国立公演は、一橋大学兼松講堂。私の家から歩いて10分ほどですが、緑豊かなキャンパスに立つ風格のある建物で、すばらしいロケーション。国立に30年以上住んでいますが、初めて訪れました。

コンサートは15時からで、プレトークは14時15分から。よくある設定ですが、気分的には、とてもやりにくい。コンサートに合わせて来られる方がほとんどでしょうし(私ならよほどのことがないかぎり45分も前にはでかけません)、途中から数が増えてゆくのも、善し悪し。話の順序を逆転させるわけにもいかないからです。(続く)

途中でスイッチが2010年05月26日 06時47分07秒

空いている日だけではなかなかオファーが受けられないものですから、昨日はコンサート批評のために、スケジュールを調整しました。モノはファビオ・ルイジ指揮のウィーン交響楽団(サントリホール)、プログラムは、ブラームスの交響曲第2番と第1番です。

現在進行形でてきぱきと音楽が進んでいきますが、指揮者の周囲からしか、音が出てきません。ブラームス特有の厚みのあるテクスチャーがまったく再現されておらず、指揮者が孤軍奮闘の趣き。これは書きようがないなあ、と思ううち、休憩になりました。

ところが、後半になったら、スイッチが入ったのですね。暖まった肢体に養分が行き渡ってゆくような感じで、パート間の連携が取れ、引き締まった歌が、あちこちから聞こえてくるようになりました。フィナーレなど、全軍躍動。時差ぼけから目が覚めた、ということなのでしょうか。アンコールはヨハン・シュトラウスのポルカ、ワルツ3曲という大サービスでしたが、《ピチカート・ポルカ》など絶妙の呼吸で、さすがウィーンだと思いました。

第2番を先にやると、第1番の前座になっちゃいますね。かわいそう(←第2番の方が好き)。第1番の葛藤を克服して第2番の陽光、という順序になっている方がいいように思いますが、どうでしょう。トータルとしてはいいコンサートだったので、これから文章を考えます。

「あらかわバイロイト」2年目2010年04月23日 23時41分01秒

先約があるので、と伝えて、今日は会議を休みました。ですからその先約を明らかにすることには差し障りがあるのですが、書くプラスの方を重く見まして・・・。

「あらかわバイロイト」の2年目、《ワルキューレ》を見に行きました。友人のバリトン歌手、今尾滋さんがヘルデン・テノール(!)としてデビューすることになっていたので、応援を約束していたからです。

これが、なかなか良かったのですよ。会場のサンパール荒川というのは、下町の匂いが会場内に漂っているようなところで、何となく、昔の映画館にいるよう。ここでワーグナーの超大作を上演することはそれ自体無謀とも思えることなのですが、ハードルが低い分親しみやすい、という側面も、たしかにある。最初、貧弱な寄せ集めに思えたオーケストラも第2幕に入ると鳴りがよくなり、金管などなかなか。歌い手も、「いかにもワーグナー」という人は少ないのですが、善戦健闘、よく勉強されています。

ワーグナーの音楽は、作曲家の明確で強い表現意欲が100%音として実現されている、音楽史上まれな例だと思います。こういう音楽は、演奏が多少及ばずとも、作品のもつ独創性、卓越性は、しっかり伝わる。ですから私は、ことワーグナーの公演に関しては、演奏のレベルを問わず、一定の感銘を受けます。今日の公演からも、《ワルキューレ》のすばらしさは、十分に伝わってきました。

ここまで作り上げることの困難は想像に余りありますが、外国の名歌手をずらりと並べたリッチな公演より、こうした手作り公演の方が必ずや有意義で、後に残るものであると確信します。今尾さん、朗々たる高音で、これからのワーグナー公演に、欠かせぬ方になりそうです。

にぎやかな20周年2010年04月17日 11時39分04秒

今日はいずみホールの20周年記念イベント、ロッシーニの歌劇《ランスへの旅》に出席しました。《ランスへの旅》は主役十数人が次々と歌う一種バブリーなオペラで、いずみホールに一番ふさわしいものかどうかはわかりませんが、祝賀のにぎやかさという点では、イベントに最適。最後、いずみホールの誕生日を歌とケーキでお祝いするという趣向も演出サイドから加わって、大いに盛り上がりました。練達のイタリア語を駆使して見事な狂言回しをされた折江忠道さん、締めのアリアの芸術性が絶品だった佐藤美枝子さん以下、皆さん力の入った演唱でした。ありがとうございました。

行きと帰りの新幹線の中で、6月に学生たちとやるサントリーホール「レインボウ21」の解説を執筆。完璧にがんばっているつもりだったのですが、途中、CD選の催促が入り、大慌てです。うっかりしていました。いまやっていますが、徹夜になるかもしれません。他にも今夜徹夜の方、いらっしゃいますか。昨夜の分としてアップロードします。

モーツァルトの幸せ2010年04月06日 11時10分40秒

このところ眠れない、という更新がときどきありますが、今日もそれ。興奮して眠れず、夜中に更新しています。ただし日付は、前夜にしておきます。

昨日は、過日ご案内した「基礎ゼミ」のモーツァルト・コンサート。内輪で良かった良かったと言っても仕方ないかもしれないのですが、プロデュースした人間として、眠れなくなるぐらい、良かったと思っているわけです。なにより、武田忠善さんのソロによる、クラリネット協奏曲。楽器も名人芸も演奏者もすべて消え去り、モーツァルトの音楽のみが純粋に浮かび上がるという演奏で、私が理想とする音楽の形を、眼前に見る思いで感激しました。オーケストラもその思いとひとつになった、忘れがたい演奏でした。

後半の《魔笛》第1幕も、声楽の先生たちの全力投球によって、大きく盛り上がりました。私の解説の工夫は、フィナーレへの導入として、モノスタトスとの対話を設定したこと。青桺素晴さんの芸達者に対抗するため、私もがんばりましたが、助手からは、恥ずかしかった、と言われてしまいました。助手さらに曰く、台本は誰が書いたのか、選曲は誰がやったのか、と。私に決まっているではありませんか。

打ち上げではとても疲労を感じたのですが、二次会で覚醒。まだ眠れません。「幸せ」と言えば、その一語に尽きます。

ダブルブッキングで激震2010年03月30日 11時38分33秒

私がダブルブッキングをしたって、いまさら、ニュースでも何でもありません。「またか」というだけのこと。でもそのことをあえて書くのは、楽しみにしておられる方が一定数、存在するらしいからです。しばらく書かずにいると、「最近ダブルブッキングないですねえ」と物足りなそうにおっしゃる方が、まあ他人の不幸は蜜の味といいますが、おられるのですね。

私の企画構成によるモーツァルト・コンサート(立川アミュ)のリハーサルに入ったところで、NHKからメールが入りました。明日、1時にお待ちしてる、との由。思わず気が遠くなりました。私は、3日間続く録音がいずれも午前10時からという前提のもとに、2時から、新聞社を訪問することにしていたのです。大阪の記者さんとの間で再三時間調整を行い、この時間を設定しました。取材ですから、カメラマンも入る。しかしNHKの方もスタジオが確保され、技術さんも入る。さあ、どうしましょう。

すぐには結論が出ませんので、とりあえず忘れて、リハーサルに専念。ここでもツキの理論が登場します。これなら、コンサートはうまくいくだろう、という考えです。果たしてコンサートはうまくいき、同僚たちと一緒にコンサートを作る喜びを満喫しました。作品のことで言えば、この曲すごいなあ、と鳥肌ものだったのが3曲。《コシ・ファン・トゥッテ》の海辺のセレナードと大詰めの二重唱、《魔笛》のパミーナ/タミーノの二重唱です。とくに《コシ》の二重唱は、あらためて、モーツァルト最高のページの1つではないかと思いました。始まったとたんに涙が出てくるくらい、すばらしいと思います。高橋薫子さん、大間知覚さん、ありがとうございました。

終演後、プリマドンナを囲んで打ち上げ。楽しかったのですが、時間を使った分、ツケも翌日にまわりました。

サックスの「ハモり」にしびれる2010年03月28日 11時20分30秒

演奏会の良さって、技術やレベルでは計れないものですね。やっぱり、気持ちです。そのことを、土曜日の「錦まつりコンサート」で、再確認しました。

題して、「サクソフォンって、おもしろい!」。出演したのは、下地啓二さんと、その門下の方々。4年生が抜けたばかりの下級生主体で、どれだけのことができるものか、不安に思わないでもありませんでした。ところが、3グループに分けて編成されたクワルテットがことごとく、見事な「ハモり」。同族楽器のグループでこれほど豊かにハモるのは、サックス以外には考えられません。予算が少ないというのに、みんなよく準備してあり、変化に富むプログラムに、全力投球しているのです。

ワン・フロアで身近に楽しむことで、私としては企画に参加することで初めてわかる、サクソフォンの面白さでした。学生たちのこの一体感は、先生の力量とお人柄によるもの。下地さんは後半のミヨー《スカラムーシュ》でソロをされ、最後のグリーグ《ホルベアの時代から》を指揮されましたが、《スカラムーシュ》の第2楽章の円熟した音色美は心の琴線に触れるもので、涙なしには聴けませんでした。じつにすばらしいコンサートだったというのが、応援してくれた「たのくら」の方々とともにした実感です。

結果との向き合い方2010年03月18日 23時34分41秒

しばらく更新の余裕がありませんでした。風邪をひきかかっていましたが、瀬戸際で回避できたようです。

17日、『魂のエヴァンゲリスト』の再校を返し、あとは索引のチェックをするのみとなりました。初校と再校の間でかなりまた充実させましたので、新しい情報をかなりよく取り入れた本になったと思います。手頃な文庫サイズで新しいバッハの本はないと思うので、完成を楽しみにしてます。4月12日発売です。

博士研究コンサート第2日、および大学院修了生による「新人演奏会」が終わりました。会心の出来になった人、体調不良に悩まされた人、運良く出演できた人、惜しくも出演を逃した人などさまざまですが、やっぱり広く妥当するのは、私のツキの理論です。上記のうち、たとえば「惜しくも出演を逃した人」は、ツキがたくさん残っているので、これから必ず、いいことがあります。思うような演奏ができなかった人も、うまくいけばそのままになってしまう問題点としっかり向き合えるわけなので、大きなチャンスをもらったとも、解釈できます。私としても、この人はこういう形で指導していこう、こういうところで力をつけさせようと、考えながら聴いているわけです。結果と一番上手に向き合う人が、一番大きなものを得るのだと思います。

賛辞若干。「バッハ パルティータ第6番~C.P.E.バッハのソナタ~ベートーヴェンの第30番」というホ短調=ホ長調プログラムで第2日のトリを取った和田紘平君(ピアノ)。目先の音を一生懸命弾くピアニストはたくさんいますが、この人の演奏は、つねに全体を見渡している。さすがシェンカーの研究家で、若くして大局観が磨かれているのです。脱帽ものの、格調高い演奏でした。

《新・山手線のうた-固有名によるエチュード第1番》を作曲された、中辻小百合さん。山と並べられた打楽器を奏者が叩き回るという光景は現代曲のコンサートでよく見るものですが、みんな同じように思える、ということはないでしょうか。違うんだとわかりました。才能のある人が書くと、美しく響くものですね。たいしたものです。

より熟した博士研究コンサートに比べて、新人演奏会には若い活力があふれていました。原田佳菜子さんのセンスのいい優雅なフルートが、とくに印象に残っています。

赤ちゃん時代2010年03月14日 23時54分46秒



これ、家に来たばかりの、赤ちゃん陸の写真です。先日ご紹介したものと比べて、どうでしょう。子犬の方がかわいい、という先入観をくつがえすのではないでしょうか。なお、先日「雑種」と紹介しましたが、いまは「ミックス犬」といって、立派なジャンルなんだそうですね。

「陳麻飯」のチェーン、復活しましたね。いったん閉鎖された前の店舗で、営業を再開しています。どうなっているんでしょう。やっぱりおいしいので、ときどき行きたいと思います。私は、お店がつぶれるとそのたびに、自分に落ち度があったのではないかと反省し、気が休まりません。でも先日、あのお店がつぶれた、このお店がもうないと、まったく自分に関係づけずに話しておられる方を見て、こういう人もいるのかと、感心。皆様はいかがでしょうか。

今日は、ご案内していた博士研究コンサートの、第1日でした。声楽、ピアノ、作曲と、皆さん持ち場で全力投球し、長いコンサートになりました。それぞれ良かったので個別の論評は控えますが、ひとつだけ、賛辞を。藤川志保さんのピアノでシュトラウスの op.10と op.27を歌われた高橋織子さん、類まれな気品に熟した味わいを添えて、感動的なステージでした。《献呈》に始まり、《万霊節》をはさんで《明日の朝》で終わるという美しきシュトラウスの世界を、満喫させていただきました。

後奏を聴きましょう2010年03月06日 11時37分25秒

「国立音楽大学×サントリーホール オペラ・アカデミー特別公演」と謳った《コジ・ファン・トゥッテ》、とても良かったと思います。管弦楽、合唱、裏方の学生たちはすごく勉強になったはずですし、公演自体を楽しまれた方もたくさんおられたことでしょう。

さて、当夜のキャストは、文屋小百合(フィオルディリージ)、小野和歌子(ドラベッラ)、折河宏治(グリエルモ)、櫻田亮(テノール)、鷲尾麻衣(デスピーナ)、増原英也(ドン・アルフォンソ)というものでした。6人とも、とても良かった。独走する人はひとりもなく、一定の抑制を利かせた上でアンサンブルを取りに行っていて、それぞれの持ち場の責任を、見事に果たしていました。オペラ・アカデミーで、いい勉強をされたに違いありません。

彼らは本番へのカバーの歌い手なので、普通は、準備しただけで終わってしまいます。それがこのように公演でき、高い水準の力量を示し得たわけですから、彼らにとっても、本当にいい一夜だったと思います。おめでとう。

ところで、アリアや二重唱への拍手は、後奏が響き終わってからにすべきではないでしょうか。シューマンの歌曲には意味深長なピアノの後奏の付くことが多いですが、こうした場合に、歌が終わったところで拍手する人はいませんよね。オペラでも同じだと思うのです。アリアや二重唱の最後をどう美しく終えるかにモーツァルトは心血を注いでいるので、最後の音まで聴いてあげてこそ、感動は倍加するはずです。

歌い手が心を込めて歌ったことに拍手したい気持ちはわかりますが、モーツァルトより自分を聴いて欲しいという歌い方をした人は、この日はひとりもいませんでした。誰か叩き始める人(多分業界人)がいると周囲もそれに追随して、そこで終わりになる場面がいくつかあったのが、残念です。