壮絶な裏話2009年03月15日 22時48分38秒

本当に忙しい3月。ここ数日は、博士、修士の学生の発表会が続いています。声楽の学生の論文指導をしており、担当の学生が次々とステージに出てくるものですから、人ごとではない、という思いで真剣に耳を傾けています。ご紹介したい演奏もありますが、まだ進行中なので、あらためて。

『交渉術』(文藝春秋)、読了しました。このタイトルだと、箇条書きのハウツー本の一種に見えますよね。さにあらず。以前別著を紹介した佐藤優さんによる、国家間の情報戦裏話です。

すごい、と打ちのめされてしまいます。007のような世界が現実に存在するのを知るだけでも結構なインパクトですが、現場の最先端で裏活動をしていた人がぎりぎりまで実態を明かしてゆくのですから、迫力の度合いが違います。国際政治の現場というのは何と壮絶で、その実話を読むことは何と面白いのでしょうか。著者を尊敬します。

なくなる夢2009年03月16日 23時50分34秒

テレビ・ニュースによりますと、宇宙飛行士はカルシウムがどんどん減って、骨粗鬆症になるそうですね。そういうことが、次々にわかってきます。味気ないかぎり。いま普及しつつあることも、長い目でみると、有害であることが立証されるかもしれませんね。たとえば近視の手術なんて、どうなんでしょうか。戦後杉をたくさん植えたことも、いま、多くの人の害になっているわけですよね。

昔は宇宙少年、天文少年でした。宇宙には夢を持っていて、宇宙旅行をしたかったし、その種のSF小説をたくさん読みました。昔の人の夢は、もっと、限りなく大きかったことでしょう。「竹取物語」の生まれるゆえんです。そう考えると、いまが夢のない時代と言われるのも当然で、夢をどこに求めたらいいのか、困ってしまいます。

スメターナ2009年03月18日 23時36分17秒

コメント、ありがとうございます。白髪紳士様はついに隠居老人様になられましたか。私が、代わりに白髪紳士でいかしていただきます。

スメターナ。別に、《わが祖国》や《売られた花嫁》を気取っているわけではありません。ロシア料理店です。今日訪れ、ぜひご紹介したいと思うに至りました。

夜、来年度初めの新入生企画の相談で、ロシア音楽/グレン・グールドの研究者、宮澤淳一さんと国立で会食。せっかくだから新しいレストランを発掘したいと思い、「スメターナ」というロシア料理店に入ってみました。私は、自分のお金で食事を楽しむようになってから、ロシア料理に、一度も入ったことがありません。このさい、宮澤さんに教えてもらおうと思ったのでした。

お店に入り、佐藤優さんの本が面白かった、と声高に話していましたら、ママさんが、佐藤さんはよくいらっしゃいます、御本も揃えていますよ、と言うではないですか。さっそく展示を見ると、佐藤さんの著作がな~んと28種類(!!!)揃えられています。さる料理の本には、佐藤さんがこの店を、最高にすばらしいロシア料理、と熱烈に紹介されている。かくしてたちまち、仲間意識が芽生えてしまったのでした。

おいしかったですね。ほんと。ロシア料理が、素材の味わいを素朴に生かしたマイルドな料理だというのは、目から鱗でした。お酒は、グルジアのワインとウォッカ。またぜひ来たいと思います。人生が、これで格段に豊かになりました。それにしても、私がせっせと通ったら、このお店、どうなるでしょうね(笑)。

卒業式昨今2009年03月19日 23時54分38秒

今日は、勤務先の卒業式でした。私も一応、ステージの来賓席に並びます。不況の時代ですが、気のせいか、華やかさは例年以上。音大ですから、演奏もあります。ステージ狭しと並んだブラス・オーケストラの《タンホイザー行進曲》は迫力充分でした。

よく、今の学生は昔と違うでしょう、と尋ねられます。いつもはあまり感じないのですが、こういうイベントをやってみると、違いに気づきます。われわれの式では、卒業生は全員名前を呼ばれ、返事をして起立、着席するのですが、その「ひと声」にみんな自分を出そうと、工夫をこらしている。大声、小声、イントネーション、声音、長短、等々。それはほとんど座を沸かせる狙いをもっていますから、式はゲラゲラクスクス、笑い声が折り重なるような形で進行していきます。授賞式でも、場内爆笑のパフォーマンスがありました。

昔は、こうじゃなかったですよね。昔あったが今はないものは、何より「厳粛さ」です。昔、大学の卒業式には、身の引き締まるような厳かさがあったと思う。昭和初期、大正、明治とさかのぼればさかのぼるほど、厳かさは重く、大きかったのだろうと思います。それは、学問の場に対する敬意や、先生に対する尊敬とひとつになっていた。もちろん、無意味な権威主義は有害ですが、重量感のまるでない楽しく愉快な式というのも、どうなのでしょうか。いい悪いは別として、時代の違いを感じさせられることではあります。

自虐ネタ2009年03月20日 23時15分15秒

『日経パソコン』を購読しています。最初に読むのは、終わりから2ページ目にある勝谷誠彦さんの「それゆけ!電化男」。豪快な自虐ネタをちりばめたエッセイで、ぶっちぎりの面白さ。あんまり面白いので、他の記事を読む気がしなくなる、という副作用もあるようです。

私も自虐ネタは使いますが、なにぶん小心者なので、ちまちまとした話題になってしまいます。ここ2日は、失敗続き。昨日は《シャコンヌ》のコンサートがありましたが、預かったチケットの精算をしなくてはなりません。しかし3枚ほど売ったはずのチケットがその後姿を消し、ついに発見できぬまま、精算と相成りました。

でもこれは、お金で解決できることです。今日のは悪質。夜、さる方の記念パーティがあり、私も出席を予定していたのですが、間近になっていくらさがしても、案内状が見あたりません。休日のこととて問い合わせもままならず、知人の携帯を当てにして、とりあえず都心まで行ってみました。

しかし、携帯を駆使しているこの知人の携帯がずっと留守電になったままで、時間をつぶしていても、連絡がないのです。あきらめてカレー屋へ。すっぽかした結果になってしまい、お恥ずかしいかぎりです。やっぱり、手帳に場所まで書いておかなくちゃね。

一日を無駄にしたなあ、と思いつつ、タイ式古式マッサージに寄りました。そしたらこれがすばらしく、元気を回復。やはりツキの総量は、一定であるようです。

誕生日2009年03月21日 22時17分05秒

今日、家族と食事をしようと、国立駅から杏仁坊への道を歩いていました。すると左手に、案内板を出している店があります。案内板に「マタイ受難曲」の文字があることが、とっさにわかりました。さすがにこうした文字は、すぐ目に入るのです。

案内板を読むと、今日は《マタイ受難曲》の作曲家であるあのバッハの誕生日だ、云々、と書いてあります。ずいぶん感心なお店だと思って中を覗くと、美容院。バッハ・ファンの方が営業しておられるのでしょうか。

そこで思い出した、ずっと昔の出来事があります。碩学で知られるE先生が、3月21日かその直前かにバッハに関する何かのトークをなさり、「バッハが洗礼を受けた日がやってきた」という表現をなさったのです。私の知識も当時あやふやで、ああ、洗礼の日だったのか、とその場では思ったのですが、調べてみると、洗礼の日ではなく、誕生日です。おそらく先生は、話の途中で3月21日が誕生日なのか、洗礼日なのかという疑問を抱かれ、とっさに、洗礼日とおっしゃったのでしょう。同業者として、ありうる出来事だと思います。

バッハの洗礼日は、1685年の3月23日。アイゼナハの教会の洗礼簿に記録されていますから、確実です。誕生日が3月21日であることは、バッハが目を通したヴァルターの伝記や、いわゆる『故人略伝』によって裏付けられます。どこかの時点から、こうした「なぜそう言えるか」が押さえられて初めて知識だ、と思うようになりました。それ以来、少し専門家らしくなったかなと思います。

祝!サントリー音楽賞2009年03月22日 22時34分12秒

今年度のサントリー音楽賞が発表されました。本賞がメゾソプラノの小山由美さん。知性、風格、ディクションなどさまざまの点で第一級の力量を示してこられた方ですが、秋のヤナーチェク《マクロプロス家の事》の圧巻の主演(および春の新国での、みごとなフリッカ)で、文句なしの受賞となりました。おめでとうございます。周囲を見るとソプラノが超激戦のわりにメゾ、アルトは数が少ない感じなのですが、最高ランクの歌い手は、何人か集中していますよね。ちょっと不思議な現象です。

もうひとつ、佐治敬三賞というのを選んでいます。これは企画の斬新さ、質の良さを重視して、応募公演のうちから選ぶものです。今年は絨毯座の実験室vol.2「偽のアルレッキーノ(マリピエロ)/カンパネッロ(ドニゼッティ)」が、やはり文句なしの受賞。これはコメディア・デラルテの様式を徹底追究し、スピード感のある楽しい舞台に仕上げたもので、手抜きなしの訓練が、きわめて印象的でした。恵川智美さんの演出の下、今尾滋さんら出演者が、献身的ながんばりぶりでした。あ、私、選考委員を務めています。

教訓2009年03月24日 23時41分43秒

私が乗るバス停では、ときおり行列ができます。その列はたいていだらしなく伸びていて、間が空いている。したがって、雨や日光を避けることができるのは、前の人だけ。それが気に入らない私は、昔の整列の感覚で、前の人との間をなるべく詰めて並ぶようにしていました。

バスに乗れば乗ったで、混んでいるときには、無駄な空間を省かなくてはなりません。前の人が進めばその後について進み、後の人のために余裕を作ります。

先日もそのようにしていましたら、私の前にいた女性が、私を痴漢だと思ったようなのです。なぜそれがわかったかというあたりは省きますが、私としてはその人のことなどまったく気にもとめずにイヤホーンで英語を聞いていましたので、ただただびっくりしました。そこで思い出したのは、セクハラかどうかは女性がどう思うかで決まる、という常識(?)でした。

このような形で罪に問われた人たち、案外多いのではないでしょうか。教訓はただひとつ。列を詰める習慣をつけてはいけない、ということです。

作曲家の演奏2009年03月25日 23時53分39秒

私には、理にかなった演奏への好みがあります。ひとつひとつの音の意味が的確に捉えられ、しっかりした方向性をもって弾き表されている演奏に接すると、喜びと共感を覚えます。反面、そこがあいまいになったまま効果に走っている演奏には、不満を覚えることしばしばです。

こういう傾向ですと、自分が作曲をする人の演奏に、特別の敬意をもって耳を傾けることになります。野平一郎さんが、まさに好例です。こうした好みのしからしむるところだと思うのですが、毎日新聞の「今月のCD選」の1位には、高橋悠治さんの弾く冬のロンド/戸島美喜夫ピアノ曲集」(ALM)という1枚を選びました。

演奏されている7つのピアノ曲は、アジアなどの民俗的な素材をパラフレーズしたごく簡素な作風のものなのですが、音の意味を追究したクリエイティヴな演奏によって、たいへん興味深く聴くことができます。2位には、ピアノも名手だという若手ヴァイオリニストユリア・フィッシャーの、バッハ/ヴァイオリン協奏曲集を入れました。快活にはずむ演奏で、曲の良さを素直に出していると思います。

3位にしたラトル~ベルリン・フィルのラヴェル《子供と魔法》も傑出した演奏なのですが、ここまで来るとちょっとしたことに文句をいいたくなります。コジェナーの主役がまったく子供に聞こえない、というその1点です。

新譜が減っていることもあり、来月からDVDも含めることになりました。ちょうと本を書いていますから、好都合です。

学者のポスト2009年03月27日 11時11分42秒

少子化で、どこの大学も、新入生集めに四苦八苦しています。統合されるところ、定員を減らすところ、学部を閉鎖するところなど、さまざまですね。

大学生が減るということは、大学の先生も減るということです。すなわち、大学の先生になれるチャンスは、いま減りつつあります。私が本拠とする音楽学がまさにそうした状況にありますが、多くの分野が同じ困難に直面しているようです。語学なども深刻だ、と伺いました。

専攻してもなかなか就職できない、となれば、当然、その分野に人が集まりにくくなります。不安をもって勉強している若い人たちも、たくさんいらっしゃることでしょう。

ただ今は、そうした状況を自力で打開するための手段も、それなりに存在しています。博士課程などで、学位を取る。論文を書く。学会で研究発表する。留学する。研究プロジェクトに加入して実績を積む、等々。ただ待っているだけではポストは取れませんが、いわゆる「業績」を地道に積み上げることはできますし、そうした業績が結局はものを言うのが、専門家の世界です。本当に実力があり、それを明示するアウトプットをもっていれば、そうした人をほっておくほど、どの分野も、人材は過剰ではありません。

専任のポストを取るのもたいへんですが、劣らずたいへんなのは、学生を終えて、どこかに非常勤のポストを得ることです。教歴がなく、業績も多くはないはずだからです。大学に非常勤のポストをもっているのといないのとでは、研究者としての存在感が大きく異なる。それは事実ですから、そのために、若い人たちも努力して欲しいと思います。

私の若い友人、YM君が、この4月からポストを得ました。いつも飲み会の盛り上げ役を務める好青年で、FMでも活躍しています。これからがんばってください。