対照的な2冊 ― 2013年01月16日 22時43分18秒
篠田節子体験をずっと綴る形になっていた、このコーナー。主要作の中でなかなか読む機会を得られなかった『ゴサインタン』(←山の名)の文庫本(文春)を発見して購入、むさぼるように読了しました。
業者を介してネパールから花嫁をもらい、旧家の日本式生活を教え込もうとするところから始まるこの小説。ストーリーは、まさに奇想天外な発展を遂げてゆきます。怒濤のように力のある文章、壮大な構想、たえず神と宗教に向かう問題意識、多元的な価値観。篠田さんの美点が結集していて、いつもながら多大の共感を覚えます。エンディングの感動は、いままでで一番大きかったでしょうか。
『聖域』『ゴサインタン』『弥勒』の順序で、三部作が書かれたそうです。強いて言えば、私の好みもこの順序です。
続いて、黒井千次さんの『高く手を振る日』(新潮文庫)を手に取りました。これもいいですね。かつての同級生に恋をする年配者の心境が繊細を極めた筆致で綴られていて、奥ゆかしい香りを放っています。まさに人徳の産物。まだこの境地には至れませんが、よくわかります。
芥川賞、直木賞の発表日に、これを書きました。
業者を介してネパールから花嫁をもらい、旧家の日本式生活を教え込もうとするところから始まるこの小説。ストーリーは、まさに奇想天外な発展を遂げてゆきます。怒濤のように力のある文章、壮大な構想、たえず神と宗教に向かう問題意識、多元的な価値観。篠田さんの美点が結集していて、いつもながら多大の共感を覚えます。エンディングの感動は、いままでで一番大きかったでしょうか。
『聖域』『ゴサインタン』『弥勒』の順序で、三部作が書かれたそうです。強いて言えば、私の好みもこの順序です。
続いて、黒井千次さんの『高く手を振る日』(新潮文庫)を手に取りました。これもいいですね。かつての同級生に恋をする年配者の心境が繊細を極めた筆致で綴られていて、奥ゆかしい香りを放っています。まさに人徳の産物。まだこの境地には至れませんが、よくわかります。
芥川賞、直木賞の発表日に、これを書きました。
偶然とはいいながら ― 2012年11月28日 07時50分17秒
面白い小説を探しているのですが(ときおりお薦めもいただきます)、自分の趣味のゆえか、なかなか新しいものに出会いません。たとえば会話で何ページもつなぐようなものは、私ダメです。必然的に、内容の密度が薄くなるからです。でもそうしたものが多いですね。肩が凝らず読める、という面があるのかもしれません。
というわけで、篠田節子ワールドに帰還。『カノン』を読みました。これって、バッハの音楽が主役になっているのですね。驚いたことに、場が松本で、松本深志高校が出てくる。しかも登場人物何人かの名前が、私の思い出と重なるのです。もちろん偶然に違いないですが、他人事とは思えない設定でした。
小説には、《フーガの技法》、《音楽の捧げもの》といった作品が出てきます。しかし「無伴奏ヴァイオリンでカノンを弾く音が聞こえる」という、通奏低音のごとく繰り返される出来事がどうしても不自然に感じられ、そのひっかかりが最後まで抜けなかった、というのが正直なところです。
その後『家鳴り』という短編集を読みましたが、そこに収録されている『やどかり』という短編に感動し、珍しくも、2回続けて読んでしまいました。荒れた一家の家事を一手にあずかる女子中学生と若い教育指導員が出会う話で、即、感情移入させられました。
篠田さんの小説を読んでいると、家事に精通していることが記述の細部を輝かせ、イメージを豊かにしていることに気がつきます。まことに、女性ならではです。
というわけで、篠田節子ワールドに帰還。『カノン』を読みました。これって、バッハの音楽が主役になっているのですね。驚いたことに、場が松本で、松本深志高校が出てくる。しかも登場人物何人かの名前が、私の思い出と重なるのです。もちろん偶然に違いないですが、他人事とは思えない設定でした。
小説には、《フーガの技法》、《音楽の捧げもの》といった作品が出てきます。しかし「無伴奏ヴァイオリンでカノンを弾く音が聞こえる」という、通奏低音のごとく繰り返される出来事がどうしても不自然に感じられ、そのひっかかりが最後まで抜けなかった、というのが正直なところです。
その後『家鳴り』という短編集を読みましたが、そこに収録されている『やどかり』という短編に感動し、珍しくも、2回続けて読んでしまいました。荒れた一家の家事を一手にあずかる女子中学生と若い教育指導員が出会う話で、即、感情移入させられました。
篠田さんの小説を読んでいると、家事に精通していることが記述の細部を輝かせ、イメージを豊かにしていることに気がつきます。まことに、女性ならではです。
法隆寺追記 ― 2012年11月09日 15時49分11秒
先日の法隆寺談で、触れなかったことが1つあります。
私は信州大学の附属中学(松本校)の出身なのですが、そこでは月曜日の朝にいつも朝礼があり、副校長の先生(校長は大学教授)が講話されるならいになっていました。中山という教養の高い先生で、いつもいいお話しをされていました。
その中に、こういう話があったのです。子規に「柿くえば鐘がなるなり法隆寺」という句があるが、子規がじっさいに聞いたのは東大寺の鐘である。しかし鳴る鐘は、やはり法隆寺がふさわしい。東大寺は「事実」であるが、法隆寺は「真実」なのだ、というお話しです。その後美学を学んでいるときに、おりおりこの言葉が心に浮かびました。
もちろん売店で買った柿を食べたときも、このお話を意識していました。「鐘は鳴りませんでしたが」と書いたのは、そのつながりです。しかし、法隆寺の近辺にはたくさんの柿の実りがあり、売店もあるが、東大寺の環境は、そうとは思われません。法隆寺の方がずっとフィットするように思われます。まさか、子規の句が有名になってから柿を植えたわけでもないでしょう。
そこで調べてみると、「日本語と日本文化」というサイトに、その説明がありました。子規が東大寺近くの宿に泊まったとき、宿の女中さんが柿をむいてくれた。そのおいしさにうっとりしているときに、鐘が鳴ったというのですね。これまたなかなかのシチュエーションですが、俳句にそこまで説明的なことは書き切れません。そこでより自然な法隆寺にした、というのが真相のようです。
工夫を凝らした句かと思っていましたが、法隆寺を訪れた結果、飛鳥らしいおおらかさを自然に味わうべき句だと思うにいたりました。
私は信州大学の附属中学(松本校)の出身なのですが、そこでは月曜日の朝にいつも朝礼があり、副校長の先生(校長は大学教授)が講話されるならいになっていました。中山という教養の高い先生で、いつもいいお話しをされていました。
その中に、こういう話があったのです。子規に「柿くえば鐘がなるなり法隆寺」という句があるが、子規がじっさいに聞いたのは東大寺の鐘である。しかし鳴る鐘は、やはり法隆寺がふさわしい。東大寺は「事実」であるが、法隆寺は「真実」なのだ、というお話しです。その後美学を学んでいるときに、おりおりこの言葉が心に浮かびました。
もちろん売店で買った柿を食べたときも、このお話を意識していました。「鐘は鳴りませんでしたが」と書いたのは、そのつながりです。しかし、法隆寺の近辺にはたくさんの柿の実りがあり、売店もあるが、東大寺の環境は、そうとは思われません。法隆寺の方がずっとフィットするように思われます。まさか、子規の句が有名になってから柿を植えたわけでもないでしょう。
そこで調べてみると、「日本語と日本文化」というサイトに、その説明がありました。子規が東大寺近くの宿に泊まったとき、宿の女中さんが柿をむいてくれた。そのおいしさにうっとりしているときに、鐘が鳴ったというのですね。これまたなかなかのシチュエーションですが、俳句にそこまで説明的なことは書き切れません。そこでより自然な法隆寺にした、というのが真相のようです。
工夫を凝らした句かと思っていましたが、法隆寺を訪れた結果、飛鳥らしいおおらかさを自然に味わうべき句だと思うにいたりました。
篠田さんの傑作 ― 2012年08月29日 22時56分31秒
篠田節子さんの小説を、魅入られたように読み続けています。前回ご報告した後も、数冊読みました。際立っていたのは、『女たちのジハード』。広く読まれているものだと思いますが、軽妙かつユーモラスな筆致でいまどきの女性たちの生き様が語られ、引きこまれました。
自分が小説を書いたらどうなるか、シミュレーションぐらいはしたことがあります。でも小説というのは、勇気がないと書けませんよね。最近女性作家ばかり読んでいる理由をわれながら分析すると、多くのページを彩る「生活」の描写が、格段にリアルだということがある。そこに文才と勇気が加われば、こわいものはありません。同性について遠慮なく書ける、というのも大きいでしょうか。
で、大阪からの帰路に読み始めたのが、新潮文庫の新刊『沈黙の画布』。これは私の見るところ大傑作で、平素出先でのみ読む文庫本を、自室で深夜まで読みふけってしまいました。宗教や人生を視点にしたときのすばらしさについてはこれまでも述べてきましたが、『沈黙の画布』では美術に対して、また芸術家の内面や女性関係について、卓越した考察が示されています。今まで読んだ小説には、「そんなことあるはずないでしょ」と思ってしまうようなホラー的、空想的なところが出てきて、さすがの私も引いてしまう部分がありましたが、今度の著作ではそれがなく、密度高い構想で一貫されているのです。一番好きな『聖域』の上に位置づけるかどうか、考えています。
自分が小説を書いたらどうなるか、シミュレーションぐらいはしたことがあります。でも小説というのは、勇気がないと書けませんよね。最近女性作家ばかり読んでいる理由をわれながら分析すると、多くのページを彩る「生活」の描写が、格段にリアルだということがある。そこに文才と勇気が加われば、こわいものはありません。同性について遠慮なく書ける、というのも大きいでしょうか。
で、大阪からの帰路に読み始めたのが、新潮文庫の新刊『沈黙の画布』。これは私の見るところ大傑作で、平素出先でのみ読む文庫本を、自室で深夜まで読みふけってしまいました。宗教や人生を視点にしたときのすばらしさについてはこれまでも述べてきましたが、『沈黙の画布』では美術に対して、また芸術家の内面や女性関係について、卓越した考察が示されています。今まで読んだ小説には、「そんなことあるはずないでしょ」と思ってしまうようなホラー的、空想的なところが出てきて、さすがの私も引いてしまう部分がありましたが、今度の著作ではそれがなく、密度高い構想で一貫されているのです。一番好きな『聖域』の上に位置づけるかどうか、考えています。
マッサージの後 ― 2012年06月01日 00時12分50秒
月曜日が、楽しみな曜日になりかかっています。お気に入りのマッサージ店アルファウェーブに、しばらく通うことにしました。朝の11時に入り、終わるとちょうどお昼時。新橋は大飲食店街ですので、おいしそうなお店がたくさんあります。しかしすぐ食べない方がいいですから、お店探しを兼ね、少し散歩してから食べることにしています。
八方、どちらに行っても、たくさんのお店があります。しかし、おのずと地域の個性がある。そこで、時間のあるときには、なるべく違う方向に行ってみることにしました。ある日は、虎ノ門の方向へ。ある日は、神谷町からサントリーホールへ。ある日は、芝公園から東京タワーへ。汐留の方向、銀座の方向、日比谷の方向、さまざまです。迷って決められず、つい歩き続けてしまうのですが、本格的な日本蕎麦のお店(麻布十番)とか、担々麺の専門店(虎ノ門)とか、いいお店を見つけると、幸せな気持ちになります。
今週は月曜日に静養したので、今日(木曜日)実践しました。ただしお昼を食べたのは、羽田空港です。渡欧が近づいているので、準備を兼ねて出かけてみたのです(お寿司屋ですがとてもいいお店でした)。帰路、銀座へ。山野楽器で「古楽の楽しみ」のためのCDを調達したあと、隣の教文館に入りました。
この書店の3階(キリスト教書売り場)に行くと心が清められるような気がすることは過去に書きましたが、久しぶりに訪れて、その気持を新たにしました。清潔な店内に、ひたむきな研究のオーラが立ち昇っているのです。奥まった音楽書コーナーを見ると、私の本がよく揃えられているのですね。欠けているのが世俗カンタータの本というのはできすぎ(笑)。キリスト教の方々に支えていただいているんだなあと、あらためて思いました。この雰囲気の中に置かれているのが、嬉しいです。
ケリー『初期キリスト教信条史』(一麦出版社)、ニュッサのグレゴリウス『雅歌講話』(新世社)の2冊を買って、店を出ました。
八方、どちらに行っても、たくさんのお店があります。しかし、おのずと地域の個性がある。そこで、時間のあるときには、なるべく違う方向に行ってみることにしました。ある日は、虎ノ門の方向へ。ある日は、神谷町からサントリーホールへ。ある日は、芝公園から東京タワーへ。汐留の方向、銀座の方向、日比谷の方向、さまざまです。迷って決められず、つい歩き続けてしまうのですが、本格的な日本蕎麦のお店(麻布十番)とか、担々麺の専門店(虎ノ門)とか、いいお店を見つけると、幸せな気持ちになります。
今週は月曜日に静養したので、今日(木曜日)実践しました。ただしお昼を食べたのは、羽田空港です。渡欧が近づいているので、準備を兼ねて出かけてみたのです(お寿司屋ですがとてもいいお店でした)。帰路、銀座へ。山野楽器で「古楽の楽しみ」のためのCDを調達したあと、隣の教文館に入りました。
この書店の3階(キリスト教書売り場)に行くと心が清められるような気がすることは過去に書きましたが、久しぶりに訪れて、その気持を新たにしました。清潔な店内に、ひたむきな研究のオーラが立ち昇っているのです。奥まった音楽書コーナーを見ると、私の本がよく揃えられているのですね。欠けているのが世俗カンタータの本というのはできすぎ(笑)。キリスト教の方々に支えていただいているんだなあと、あらためて思いました。この雰囲気の中に置かれているのが、嬉しいです。
ケリー『初期キリスト教信条史』(一麦出版社)、ニュッサのグレゴリウス『雅歌講話』(新世社)の2冊を買って、店を出ました。
恐山 ― 2012年05月20日 18時33分37秒
昨土曜日、「たのくら」例会を病欠してしまいました。どうしたの、と思っておられる方もおられると思うので、顛末を記します。
篠田節子さんの『聖域』に魅了され、読み進めていました。話は、編集者が使われなかった古い原稿の中に、異様に力のある文章を見つけるところから始まります。平安時代の仏僧が東北蝦夷(えみし)の世界に住み、禁制の聖山に登って超絶的な体験をする、というのがその小説。失踪した作者を訪ねあて、その先を書かせようという編集者の情熱が、ストーリーの推進力になります。探索は、まさに恐山に向かおうとしているところでした。
「たのくら」の準備は夜にやるつもりで、午後は、NHKの準備に費やしました。6月には、「ドイツ・バロックのオルガン音楽」という企画を出すのです。夕方になるにつれ、体調が顕著に下降しつつあることを自覚。夜は食事が取れず、発熱の兆候が出てきました。
8時からよく見ているのが、BSフジの「プライム・ニュース」という2時間番組です。そのゲストに、なんと、恐山の指導者である僧侶の方が出演されました。著作もあります(南直哉『恐山--死者のいる場所』新潮新書)。まず画面に出てきたのは、最近見たことのない、大きな花嫁人形数体。年少の娘さんを亡くされた方が、山に持ち込まれるのだそうです。折から霊魂のイメージで満ち溢れていた私の頭には、そこに魂が宿っているようにしか思われず、一種、総毛立つような感じを覚えました。僧侶のお話はさすがで、諸行無常のご説明には、心からなるほどと思って聞き入りました。
体調はますます悪くなり、横になって視聴。すると嘔吐するようになり、熱がどんどん上がって、いつ経験したか記憶のない、40度に達しました。死者の話題のあとですから、万一のことが心に浮かびます。そこで、府中病院の救急外来に行くことにしました。着いたのは12時過ぎだったでしょうか(続く)。
篠田節子さんの『聖域』に魅了され、読み進めていました。話は、編集者が使われなかった古い原稿の中に、異様に力のある文章を見つけるところから始まります。平安時代の仏僧が東北蝦夷(えみし)の世界に住み、禁制の聖山に登って超絶的な体験をする、というのがその小説。失踪した作者を訪ねあて、その先を書かせようという編集者の情熱が、ストーリーの推進力になります。探索は、まさに恐山に向かおうとしているところでした。
「たのくら」の準備は夜にやるつもりで、午後は、NHKの準備に費やしました。6月には、「ドイツ・バロックのオルガン音楽」という企画を出すのです。夕方になるにつれ、体調が顕著に下降しつつあることを自覚。夜は食事が取れず、発熱の兆候が出てきました。
8時からよく見ているのが、BSフジの「プライム・ニュース」という2時間番組です。そのゲストに、なんと、恐山の指導者である僧侶の方が出演されました。著作もあります(南直哉『恐山--死者のいる場所』新潮新書)。まず画面に出てきたのは、最近見たことのない、大きな花嫁人形数体。年少の娘さんを亡くされた方が、山に持ち込まれるのだそうです。折から霊魂のイメージで満ち溢れていた私の頭には、そこに魂が宿っているようにしか思われず、一種、総毛立つような感じを覚えました。僧侶のお話はさすがで、諸行無常のご説明には、心からなるほどと思って聞き入りました。
体調はますます悪くなり、横になって視聴。すると嘔吐するようになり、熱がどんどん上がって、いつ経験したか記憶のない、40度に達しました。死者の話題のあとですから、万一のことが心に浮かびます。そこで、府中病院の救急外来に行くことにしました。着いたのは12時過ぎだったでしょうか(続く)。
大家の筆力 ― 2012年05月15日 23時35分30秒
パーティで篠田節子さんが挨拶される場に、過去2回、居合わせたことがあります。ものやわらかな感じのよい方で、「常識人」という言葉が浮かびました。当然小説も、その延長線上にあるものと考えて読みますよね。
ところが。そんな甘いものではないことがわかりました(笑)。柴田錬三郎賞を得た『仮想儀礼』は、厚い新潮文庫の、上下2巻。雄大な構想に驚嘆しつつ、むさぼるように読んでしまいました。宗教がテーマで、新興宗教の教祖の波乱万丈の体験が綴られているのですが、宗教論議はたいへん深いし、人間描写は批判意識を交えて、どぎついほど。まさに、大家の筆力です。よほど勇気がないと、ここまでは書けないでしょう。
2冊目には、『聖域』を選びました(集英社文庫)。これも、ぐんぐん惹きつけられて読んでいます。女性作家、すごいですね。
ところが。そんな甘いものではないことがわかりました(笑)。柴田錬三郎賞を得た『仮想儀礼』は、厚い新潮文庫の、上下2巻。雄大な構想に驚嘆しつつ、むさぼるように読んでしまいました。宗教がテーマで、新興宗教の教祖の波乱万丈の体験が綴られているのですが、宗教論議はたいへん深いし、人間描写は批判意識を交えて、どぎついほど。まさに、大家の筆力です。よほど勇気がないと、ここまでは書けないでしょう。
2冊目には、『聖域』を選びました(集英社文庫)。これも、ぐんぐん惹きつけられて読んでいます。女性作家、すごいですね。
天才でした ― 2012年04月30日 18時26分56秒
コンサートを増やしているためか、都内に出かけることが、むしろ多くなりました。となると、電車の中での時間をどう使うかが問題。専門書に集中するのはもうちょっと辛いので、軽く読めるいい本はないかと、本屋さんに向かいます。
厚く積んであるものとか、話題の著者とか、いろいろ試しましたが、なかなか面白いものに出会いません。手の内がわかってしまったり、退屈してしまったり。この歳になるともうあまり読む本がなくなるのかな、と思いつつ、昨日もオペラを控えて、本屋に立ち寄りました。
今まで読んだことのない著者のものをと思い、まず篠田節子さんの『仮想儀礼』(新潮文庫)を購入。どうせならもう1冊ということで、綿矢りささんの『蹴りたい背中』(河出文庫)を加えました。綿矢さんの芥川賞受賞をテレビで見たのは昨日のことのようで、美しい人だなあと思ったことを覚えていますが、世評高い小説も、いまどきの若い女性の作では世界が違いすぎるように思い、手を出す気持ちが起きなかったわけです。でもどんなものか知っておこう、という興味がふと起こりました。
薄い方、すなわち『蹴りたい背中』を、先に読み始めました。いや~、驚きましたね。冒頭からぐんぐん引きこまれて、呪縛されるように読み進め、中断することができないのです。奔放に綴られているようで力強い構成と流れがあり、繊細にして怜悧な心理描写と、凡人にはついていけない変り身の速さとがある。19歳でこれを書くわけか。天才です。
文庫化は2007年だそうですが、私の買った版は昨年5月のもので、27刷となっていました(汗)。「蹴りたい背中」ってどういう意味かな、とは、以前から思っていたのですが、わかってみると、その絶妙さを痛感します。
(たちまち読み終え、篠田さんの方に入りました。これも丁寧に書かれていて、じつに面白いです。)
厚く積んであるものとか、話題の著者とか、いろいろ試しましたが、なかなか面白いものに出会いません。手の内がわかってしまったり、退屈してしまったり。この歳になるともうあまり読む本がなくなるのかな、と思いつつ、昨日もオペラを控えて、本屋に立ち寄りました。
今まで読んだことのない著者のものをと思い、まず篠田節子さんの『仮想儀礼』(新潮文庫)を購入。どうせならもう1冊ということで、綿矢りささんの『蹴りたい背中』(河出文庫)を加えました。綿矢さんの芥川賞受賞をテレビで見たのは昨日のことのようで、美しい人だなあと思ったことを覚えていますが、世評高い小説も、いまどきの若い女性の作では世界が違いすぎるように思い、手を出す気持ちが起きなかったわけです。でもどんなものか知っておこう、という興味がふと起こりました。
薄い方、すなわち『蹴りたい背中』を、先に読み始めました。いや~、驚きましたね。冒頭からぐんぐん引きこまれて、呪縛されるように読み進め、中断することができないのです。奔放に綴られているようで力強い構成と流れがあり、繊細にして怜悧な心理描写と、凡人にはついていけない変り身の速さとがある。19歳でこれを書くわけか。天才です。
文庫化は2007年だそうですが、私の買った版は昨年5月のもので、27刷となっていました(汗)。「蹴りたい背中」ってどういう意味かな、とは、以前から思っていたのですが、わかってみると、その絶妙さを痛感します。
(たちまち読み終え、篠田さんの方に入りました。これも丁寧に書かれていて、じつに面白いです。)
電子書籍 ― 2012年04月25日 22時17分29秒
電子書籍リーダーを導入しようかと考え始めたところへ、私の文庫を電子化しないか、という、出版社からのご相談。もちろん違和感なくお受けしたのですが、WEBをこれほど活用している私であるにもかかわらず、液晶画面で本を読む、という感覚がまだつかめないのです。
スマホには、「青空文庫」というアプリを入れています。しかしどうにも、文学を読んでいる気がしない。『源氏物語』にチャレンジしようと思ってダウンロードしましたが、行間から雰囲気が立ち上らず、意味を追うだけになってしまうのです。これは、単なる慣れの問題なのでしょうか。それとも、電子書籍がまだ発展途上で、情報を媒介することはできても、芸術性の表現には至っていないのでしょうか。リーダー導入の是非を含めて、先学の方に教えていただきたいと思います。
これは紙の本ですが、小松長生さんの『リーダーシップは「第九」に学べ」という新書(日経プレミアシリーズ)を、興味深く読みました。小松さんは、東大美学の後輩。そういう方がいらっしゃるということは知っていましたが、面識はありませんでした。しかし共通の知人を介して、本を私にプレゼントしてくださったのです。
「そもそも指揮者は必要なのか」という章から始まるこの本は、指揮者のリーダーシップやマネージメントに焦点を当て、ビジネスマンの参考にも供しよう、という内容のものです。美学出身の方だけあって、指揮という営みへの分析と反省が行き届いており、学ぶところ、共感するところが、たくさんありました。
小松さんの指揮の極意は、「気配を消す」ことだそうです。棒は動かしているけれども指揮者の気配は消えているというときに、楽員はもっとも音楽に没入して、音楽は帆にいっぱい風をはらんだ状態になる、と書かれていました。笛吹けど踊らず、の対極ですね。
スマホには、「青空文庫」というアプリを入れています。しかしどうにも、文学を読んでいる気がしない。『源氏物語』にチャレンジしようと思ってダウンロードしましたが、行間から雰囲気が立ち上らず、意味を追うだけになってしまうのです。これは、単なる慣れの問題なのでしょうか。それとも、電子書籍がまだ発展途上で、情報を媒介することはできても、芸術性の表現には至っていないのでしょうか。リーダー導入の是非を含めて、先学の方に教えていただきたいと思います。
これは紙の本ですが、小松長生さんの『リーダーシップは「第九」に学べ」という新書(日経プレミアシリーズ)を、興味深く読みました。小松さんは、東大美学の後輩。そういう方がいらっしゃるということは知っていましたが、面識はありませんでした。しかし共通の知人を介して、本を私にプレゼントしてくださったのです。
「そもそも指揮者は必要なのか」という章から始まるこの本は、指揮者のリーダーシップやマネージメントに焦点を当て、ビジネスマンの参考にも供しよう、という内容のものです。美学出身の方だけあって、指揮という営みへの分析と反省が行き届いており、学ぶところ、共感するところが、たくさんありました。
小松さんの指揮の極意は、「気配を消す」ことだそうです。棒は動かしているけれども指揮者の気配は消えているというときに、楽員はもっとも音楽に没入して、音楽は帆にいっぱい風をはらんだ状態になる、と書かれていました。笛吹けど踊らず、の対極ですね。
英語の勉強法 ― 2012年04月23日 22時31分03秒
絶えざる目標である英語力のアップは、今後の人生の選択肢のひとつでもあります。そこで、『英語を学ぶのは40歳からがいい』という本を読んでみました(幻冬舎新書)。著者は菊間ひろみさんという方です。私の年齢が「40歳から」というくくりに入るとも思われませんが、どのような理由付けをしているかに興味がありました。
隅々まで納得の行く、いい本でした。40歳からがいいという理由は、本当に必要な勉強にモチベーションと豊かな人生経験をもって向かい合えるということで、確かにそうですね。
英語力を伸ばすのにもっとも大切なことは音読である、というのが著者の主張です。それは、「発音ができる音は聴き取れるようになる」という根拠から。繰り返し音読することが、もっとも大切なリスニング力を高める、と力説されています。漫然と聴き流すだけではダメ、というのは、まったく同感。でも音読って、案外、行われていないのではないでしょうか。
目から鱗に思ったのは、英語にもリエゾンがある、という指摘でした。What are you doingは、アメリカ人が発音すると「ワラユ・ドゥーイング」になる。単語の最後にあるt、k、dは発音しない。そういう学習者にとっての躓きの素が、系統立てて説明されています。終わりの方には、表現法の具体例がたくさん。mustとhave to、canとbe able toの間にはっきりした使い分けがあることを知ったのは初めてで、とても勉強になりました。
隅々まで納得の行く、いい本でした。40歳からがいいという理由は、本当に必要な勉強にモチベーションと豊かな人生経験をもって向かい合えるということで、確かにそうですね。
英語力を伸ばすのにもっとも大切なことは音読である、というのが著者の主張です。それは、「発音ができる音は聴き取れるようになる」という根拠から。繰り返し音読することが、もっとも大切なリスニング力を高める、と力説されています。漫然と聴き流すだけではダメ、というのは、まったく同感。でも音読って、案外、行われていないのではないでしょうか。
目から鱗に思ったのは、英語にもリエゾンがある、という指摘でした。What are you doingは、アメリカ人が発音すると「ワラユ・ドゥーイング」になる。単語の最後にあるt、k、dは発音しない。そういう学習者にとっての躓きの素が、系統立てて説明されています。終わりの方には、表現法の具体例がたくさん。mustとhave to、canとbe able toの間にはっきりした使い分けがあることを知ったのは初めてで、とても勉強になりました。
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