人を動かす本 ― 2009年12月22日 12時45分38秒
鶴我裕子さんと言えば、名エッセイストとして知られた、元N響ヴァイオリニスト。新装版のエッセイ集『バイオリニストは目が赤い』(新潮文庫)を手に取ってみましたが、抱腹絶倒のおもしろさです。同時に、音楽の世界、オーケストラの世界の裏側をたくさん覗くことができ、勉強になります。
面白いエッセイを書く条件は、どうやら、正直に書く、思い切って書く、ありのままの自分をさらけ出す、というあたりにありそう。鶴我さんの筆遣いは歯切れがよく天真爛漫、愛すべき女性の魅力がいっぱいです。ついいろいろなことに配慮して思い切りがにぶりがちな私としては、反省させられます。
オーケストラのヴァイオリニストというと華やかなようですが、大変なようですね。むずかしい曲の至難なパートを弾きっぱなしになることが多く、それを家で譜読みするのが、(音楽の全体がわからないだけに)難行苦行であるとか。本当にそうだろうなあと思いました。この本を読んだ人は、みなそのことをインプットしてコンサートを聴くようになります。それは、こういう面白い本に人を動かす力があることの証明ではないでしょうか。
真の「気鋭」による好著 ― 2009年11月30日 23時06分00秒
昨日、朝日カルチャーの帰りにオリオン書房に寄り、音楽学、歴史、神学などの文献を大量に買い込みました。戻ってからページを繰っていてすっかり感心したのが、広瀬大介さんの『リヒャルト・シュトラウス 「自画像」としてのオペラ~《無口な女》の成立史と音楽」という本です(アルテス・パブリッシング)。
別のところに書くことにしましたのでここで書評をするわけにはいきませんが、私が感心したのは、この本が単なる解釈の提案ではなく、思いつくかぎりの多様な視点から作品を分析し考察した、精緻にして正統的な研究書になっていることでした。若いのにこの正攻法は、たいしたものです。作曲家シュトラウスやそのオペラ作品を知るために、避けて通れない文献になることでしょう。
最近ドイツ系のオペラを見に行くと、解説はたいてい、広瀬さん。こういう人をこそ、「気鋭」と呼ばなくてはなりません。
早口ですって? ― 2009年11月11日 23時07分43秒
私のミステリー好きはご承知のとおり。一に松本清張、二に夏樹静子、というのも既報のとおりで、あとが続きません。夏樹作品がなぜか手に入りにくい昨今ですが、先日の大阪滞在中に大きな本屋さんに入った折、光文社文庫をまとめ買いしてきました。
夏樹作品がいいのは、美しい文章、きめ細かな仕上げに加えて、ウルトラC級のどんでん返しが、つねに用意されていることです。流行作家って、なかなかこれだけのレベルは保てないのではないかと思います。
買った本の中に、『往ったり来たり』というエッセイ集がありました。ご自身の内輪のことを、初めて綴られたものであるとか。これがまた、率直な心情が含羞を含んで綴られていて、すばらしいのです。ああ、こういう人の文章だからいつも読みたくなるんだなあ、と実感していたら、意外な一文が・・・。自分は文壇一の早口だと書かれているではありませんか。てっきり、春風駘蕩の高雅な口調を想像していました。
エッセイの形での価値観の披瀝に接して思うことは、やはり生命への豊かな慈しみが底流にあるのだということ。結婚と出産を奨励しておられることに共感します。やはり、次の世代を育ててゆく社会のシステムのおかげでわれわれ自身が存在し、そのおかげで日々生活できているわけですから、社会への恩返しが人生の基本だと、私も思います。
大バリトンの自伝 ― 2009年10月05日 22時27分56秒
音楽家の伝記がいろいろ出ていますね。浅岡泰子さんの『評伝クルト・マズーア』(聖公会)もいいお仕事でしたが、今日はフィッシャー=ディースカウの『自伝フィッシャー=ディースカウ 追憶』(実吉晴夫・田中栄一・五十嵐蕗子訳、メタモル出版)を、興味深く読み終えました。
「影のようにおぼろげな」記憶に色彩を吹き込んだものだと冒頭にありますが、いやいや、その詳細なことに驚かされます。論じられる出来事や、作曲家、作品、演奏家の、なんと多岐にわたっていることか。膨大なレパートリーを培い、それぞれを心血を注いで演奏してきた声楽家のスケールの大きさから、強い印象を受けずにはいられません。
フルトヴェングラーへの私淑は並々ならぬものだったのですね。他の指揮者論、ピアニスト論は、体験をもとに綴られているだけに、とても面白いです。録音の裏話もありますよ。残念なのは、晩年の活動や心境を綴ったページがないこと。第一線を退いてからのことを読みたい気持ちにかられますが、終章がないのが、自伝というものかもしれません。
大きな本なので翻訳者のご苦労は大きかったと思います。感謝を捧げますが、訳をもう少し洗練できるのではないか、とも感じました。文意の方向が定まらないところが散見されますし、カール・リヒターの出てくるところ、《マタイ受難曲》の「4曲のバス・アリア」というのが「4人のバスのためのアリア」と訳されて原語まで付されているのには、首をひねりました。
もうひとつ驚いたのは、彼がワーグナーを、たくさん歌っていたことです。かつて《パルジファル》の演奏比較をしたときに彼のアムフォルタスに違和感を覚え、舞台経験が足りないのではないか、と推測したのですが、それは間違っていたようです。今度出す本にも入っていますので、訂正させてください。
言われてみれば・・・ ― 2009年08月29日 21時40分01秒
目からうろこが落ちるといいますか、根本から認識の修正を迫るとてもいい本を最近読みましたので、ご紹介します。小林標著『ラテン語の世界~ローマが残した無限の遺産』という本で、中公新書の一冊、2006年初版です。
ラテン語を学ばれた方は、どなたも、むずかしい、複雑だ、という印象をお持ちではないでしょうか。私もそうで、合理化された近代語に比べると古典語はまことに複雑、じつにむずかしい、と思っていました。
ところが著者は、そうではない、というのですね。ラテン語というのは形式と意味がぴったり符合した言葉で、少しのあいまいさもなく論理的にできている、というのです。たしかに名詞の格や性、動詞の時制の数は多いが、それをいったん憶えてしまえば例外がほとんどなく(たとえば不規則変化の動詞がないので、辞書の巻末にも載っていない)、すべて明確に読める、というのです。
言われてみるとたしかにその通りで、それは気がつかなかったと、脱帽しました。ラテン語は、少ない言葉できちんとした意味を伝えられるということです。シーザーの”veni, vidi, vici.”(来た、見た、勝った)は文中でも引かれている有名な例ですが、「veni」を日本語にきちんと訳すなら、「私は来た」とせざるを得ません。ラテン語の簡潔さ、無駄のなさがきわだっています。そうか、ラテン語の聖書も薄いですもんね。
基礎をきちんと勉強することが大事だとわかり、またやってみようか、という気になってきました。蛇足ですが、CDの解説等に、ラテン語聖書の歌詞の対訳に新共同訳など新しい聖書訳をそのまま当てているものが多いのは、感心しません。ラテン語訳とヘブライ語/ギリシャ語原文は大きく相違していますので、やはりラテン語から直訳すべきだと思います。
(私が読んだ新書、2007年の第4版でした。読む人、多いんですね!)
せっかくの名著が・・・ ― 2009年08月03日 22時45分55秒
仕事の関係で、受験生が読むのに適当な、クラシック音楽のいい本を選ぶ必要が生じました。新書、文庫の中から、という条件がついています。そこでいくつかの本屋をハシゴし、最後に、新宿紀伊國屋書店の文庫階まで到達しました。
そこで感じたこと。第1は、新書、文庫の種類はこんなにあるのか、ということです。しかしそれは今日は置いておくこととし、第2の実感は、候補が本当に少ないなあ、ということでした。
少ないというのは、生きている、すなわち棚に置いてある本が本当に少ない、という意味です。続々と新刊が出て、そのたびに旧刊が押し出されていく、という仕組みの中で、あったはずの名著が、棚になくなっています。ひとつだけ例を挙げれば、柴田南雄先生の岩波新書『グスタフ・マーラー』。ネットで見たら「品切れ重版未定」という扱いで、この分類に、たくさんのクラシック本が入っていました。重版のシステムがどういうものか知りませんが、ぜひ復活してほしいものです。
今日、書斎と物置の連動を図ろうとして蔵書の整理を始めました。いい本、なつかしい本、多くを教えられた本が山のようにありますが、そのほとんどは、今本屋で見かけることはなく、手に入れることもできないものです。死屍累々と言ってはたとえが悪いかもしれませんが、本を書く作業というのは案外寂しいものだなあ、という感慨にとらわれてしまいました。演奏家の方も同じでしょうけれど・・。
奥ゆかしい歴史書 ― 2009年07月01日 23時11分51秒
大学の図書館長をやめて何年か経ちますが、図書館がその後とみに向上しつつあるように思えてなりません。なぜかと考えると、私と、現館長である佐藤真一先生の人品の差に由来するようです。佐藤先生の誠実で奥ゆかしいお人柄は「会ったことのない人にはわからない」性質のもので、お会いするたびに、私は自分が恥ずかしくなります。なにしろ私が本を差し上げると、いつでも丁寧に読み、自筆で感想を綴ってくださるのです。何事にも丁寧に対応されているご様子なので、ご自身の研究の時間がなくなってしまうのではないか、と余計な心配をするほどでした。
でもさすがは先生、研究にもけっして手抜きをしておられないのですね。今回知泉書館から、『ヨーロッパ史学史--探究の軌跡』という本を出版されました。
この本では、古代ギリシアから20世紀に至る「歴史学の歴史」が展望されています。ヘロドトスから始めて、マキアべッリ、ヴォルテールといった人々がいかなる観点からどんな歴史記述を行ったかが、著者の生涯や主要著作の内容を丁寧におさえながら、たどられてゆきます。先生らしい誠実で折り目正しい文章で綴られていますが、そこから、真理探究の喜びがにじみ出てくるのです。
私自身はルカの救済史や宗教改革/反改革をめぐる記述を興味深く読みました。この本は、重要な歴史書の内容を鳥瞰する目的に使うこともできそうです。たとえば古来の名著だが私の読んだことのないアウグスティヌスの『神の国』について、ああなるほど、こういうことがこういう風に書いてあるのか、と勉強することができました。
静岡から新横浜への車中で読了した私は、無性に歴史書が読みたくなり、新横浜の書店で、ローマ帝国の研究書を買い求めました。こうした「啓発」の力こそ、名著の証明であると思います。
読書法第1箇条 ― 2009年04月29日 23時42分33秒
1年生の専攻の授業で最近試みているのは、勉強法、整理術、時間管理法といったハウツー本の紹介を、持ち回りでやることです。まず私が先陣を切るわけですが、人のやり方を紹介するよりは自分のやり方を紹介すべきだと思い、礒山流「本の読み方10箇条」を披露しました。その第1箇条は、「面白い本だけを読む。つまらない本は途中でやめる」というものです。
この主張には、当然ながら、反論が出ます。自分が面白い本ばかり読んでいたのでは偏ってしまうのではないか、自分が苦手とする勉強にこそ力を入れるべきではないか、といった反論です。
しかし私は、大学生になったらもう、自分の面白い本だけを読めばいいと思う。授業などで課される最低限の「お付き合い」は別として、です。面白い本はどんどん引き込まれて次、次と進みますから、勉強が、どんどん発展します。一方、つまらない本はなかなかはかどらず、居眠りをしてしまったりして、効率がはなはだ悪い。つまらない本をがまんして1冊読むうちに、面白い本は5冊も6冊も読めますし、身につきます。
それだと狭くなるかというと、そんなことはないのです。知識が深まるにつれて、広がりも獲得されてゆくからです。たとえばバロック時代のドイツに詳しくなったとすると、その時代のフランスはどうだろう、ルネサンス時代のドイツはどうだろう、と、興味はふくらんでいきます。こうして得られた知識は、つながりのある、役に立つものになります。ばらばらに情報を手に入れても、それはさして意味をもたないのです。
ただこれだけでは足りないと考えて、新歓コンパの席上、ひとつの条件を加えました。それは、「困難に挑戦する」ということです。面白い本を次々と読むことがわかりやすい範囲を回っているだけではなく、より難しい本に挑戦するという方向へと発展すれば、有意義なこと疑いなしです。もちろんそこには、外国語の本も含まれます。
壮絶な裏話 ― 2009年03月15日 22時48分38秒
本当に忙しい3月。ここ数日は、博士、修士の学生の発表会が続いています。声楽の学生の論文指導をしており、担当の学生が次々とステージに出てくるものですから、人ごとではない、という思いで真剣に耳を傾けています。ご紹介したい演奏もありますが、まだ進行中なので、あらためて。
『交渉術』(文藝春秋)、読了しました。このタイトルだと、箇条書きのハウツー本の一種に見えますよね。さにあらず。以前別著を紹介した佐藤優さんによる、国家間の情報戦裏話です。
すごい、と打ちのめされてしまいます。007のような世界が現実に存在するのを知るだけでも結構なインパクトですが、現場の最先端で裏活動をしていた人がぎりぎりまで実態を明かしてゆくのですから、迫力の度合いが違います。国際政治の現場というのは何と壮絶で、その実話を読むことは何と面白いのでしょうか。著者を尊敬します。
見事な訳業 ― 2009年01月12日 21時44分47秒
大学時代からの親友、篠田勝英さん(白百合女子大教授)が、ミシェル・パストゥロー著『ヨーロッパ中世象徴史』という訳本を出しました(白水社)。中世の古典『薔薇物語』を継承する見事な訳業で、専門的な研究者のみのなしうる良心的なお仕事です。
タイトルからすると解釈学かなと思って読み始めたのですが、ベースになっているのは、実証性を重んじた歴史学です。認識の枠組みを変えるような問題提起が次々となされていて、読者の時代を見る視点が次々と広がり、豊かになってゆく。とくに、色彩が中世においてどのような意味をもっていたかの考察は卓抜であると思いました。他に動物、木や花、紋章やチェス、種々の図像に関する考察が展開されています。
哲学、神学、文学、絵画その他種々の領域を踏まえて展開される碩学の研究を翻訳することは、さぞ時間と労力を費やすことでしょう。それを的確に行って後に残してゆく作業こそ、研究者の本分であると思います。やさしい本ではありませんが、読み進めるにつれて友人への敬意に満たされる喜びがありました。
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