博士論文 ― 2009年10月26日 23時34分43秒
学会で、音楽学と学位の関係、とくに博士号との関係を扱ったシンポジウムがありました。そのさい、予告に書かれていて議論が及ばずに終わったのは、音楽大学が演奏家の博士を輩出するようになり、その指導を音楽学の先生がするようになったことに伴う、種々の困難についてでした。
音楽学者が音楽学の学生を教えるのは、普通のことです。しかし演奏の学生を博士論文に向けて教えることには、多大の困難が伴います。演奏の学生は論文を書くのが専門ではなく、基本的にはそれを苦手とする人がほとんどだからです。そういう人たちにどういうことをどれくらい教えるべきか。博士課程のある大学の先生は、皆迷っておられるに違いありません。
私はしかしこの問題に、自分なりの確信をもつようになりました。演奏が専門なのだから、論文はこの程度でいいだろう、というのは絶対ダメです。それでは結局作品の解説のようなものができてしまい、苦労した割にはお互いに不満が残って終わります。何が研究かわかるところまで、ぜひとももってゆかなくてはなりません。3年はたしかに短いけれども、そうする時間は、修士2年間に比べれば与えられているのです。
解説と研究の違いがわかる段階に達すると、論文は発展しはじめ、調べたり考えたりすることが楽しくなってきます。そうなればしめたもので、視野はどんどん広がり、そこで得た洞察が、演奏にもフィードバックされるようになる。その段階があらわれるまで、コツコツと努力できるかどうかが問題なのです。
私はこうした考えを、体験に基づいて述べています。いま博論完成中の湯川亜也子さんに、このような劇的な発展が、3年越しで起こりました(フォーレ研究)。今日ゼミで発表した1年生の阿部雅子さんには、早くも発展のきざしがあらわれています(モンテヴェルディ研究)。このように、演奏の学生の論文指導には、予見できない可能性がある。それは日々の練習を通じて音楽に打ち込むという点で、演奏の人たちがより真剣であることと関係があるように思えます。
こうしたことは本当に嬉しいことなので、定年までの間、演奏の学生の論文指導に打ち込みたいと思っています。
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