テーマは適切か2009年10月19日 23時38分12秒

いま「バッハの音楽を理解するために信仰が必要か」というテーマで少しずつ議論していますが、このテーマの立て方が適切であるかどうか、疑問に思い始めました。そこで鈴木雅明さんの『わが魂の安息、おおバッハよ!』を見直したところ、次のような文章を発見しました。

「これら演奏上の技術研究や音楽学的な研究を進める際にも、個々のカンタータのもつ最も根本的なキリスト教のメッセージについての理解なくしては、実際の演奏において成果を挙げることができないのもまた事実である」(29-30ページ)。

私は、非キリスト教徒のバッハ研究者として、この鈴木さんの言葉に、完全に同意します。私はバッハの作品に含まれる「根本的なキリスト教のメッセージ」をたえず研究の中心に据えてきましたし、そうしたメッセージが把握され発信されていることが、演奏においてきわめて重要なことであると認識しています。

しかし私は、キリスト教の信仰をもっていません。「信仰」がないと、メッセージは理解できないのでしょうか。そもそも「信仰」って、何なのでしょうか。この定義をしっかりさせないと、話が先に進まないように思います。