懐疑の効用2009年10月13日 17時26分09秒

新興宗教の教祖の本に対して、「信徒でなくては本当には理解できない」という命題が成立するでしょうか。--これについて考えてみましょう。

心酔者から勧められ、読んでみると荒唐無稽、というケースが、ある程度あるように思います。たとえば、何年に世界が滅びる、たいへんだ、というような場合。この場合は、距離をおいて冷静に見た方が、正しい判断ができると思います。

そもそも平素大学で、文献は批判的に読め、と教えているのです。本に書いてあるから頭から本当だと思うのではなく(活字の権威で、そう思ってしまう人は少なくありません)、著者はそう言っているが本当にそうかどうか吟味する癖をつけなさい、と教えます。すなわち懐疑を育てているわけですが、その目的は、本当に正しいもの、すばらしいものとそうでないものを、しっかり見分けられるようになるためなのです。疑わず信じなさい、ということは、世の中のたいていのことに関しては、誤った教えとなります。

したがって、「信徒でなくては本当には理解できない」という命題は、不適切に使われる場合がほとんどだと思います。わずかな残り分に正当な場合がありうるかどうか、バッハがそこに含まれるか否か、が、残された問題です。