ラ・フォル・ジュルネ ― 2009年05月05日 23時08分56秒
ラ・フォル・ジュルネに行ってきました。
この企画が画期的な成功を収めていることは、皆様ご承知のとおりです。3日間バッハのプログラムがいくつもの会場で続けられ、単独の開催では絶対人を呼べないと思えるコンサートがすべて売り切れというのは、常識では考えられないことです。運営も行き届いており、バッハの普及に大きな貢献をいただいたと感じました。
3つのコンサートを聴きましたが、特筆すべき発見だったのが、ピエール・アンタイ指揮、ル・コンセール・フランセのカンタータ第93番(←こんどコレギウムで採り上げます)と第178番でした。すばらしいリズム感に乗ってメンバーが本当によく聴き合い、きめ細かく、それでいて華のある演奏を展開しています。しかもしかも、リフキン方式!フランスのバッハ演奏も、ここまで来ているのですね。
講演の会場に入ると、BGMでカンタータ第198番が流れています。うっとりするほど美しい演奏なので、思わず「誰の演奏ですか」と尋ねると、やはり来演中のフィリップ・ピエルロ指揮、リチェルカール・コンソートだとのこと。この2団体が今回の目玉だったのかもしれないと想像しました。
講演もがんばりましたが、45分という時間はやはり短く、意を尽くせずに終わってしまいました。満員の聴衆が熱心に聞いてくださっただけに残念です(自己評価:60点)。時間の使い方を、もっと勉強します。
19時45分開始で、コルボ指揮、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルの《マタイ受難曲》。耳当たりのよい響きと流れがあり、それなりの貫禄で指揮されていましたので、楽しまれた方も多かったかも知れません。しかし私から見ると取り組みの甘さが随所に感じられ、掘り下げという点でもの足りませんでした。そのうえ、主観的。「どうしてバッハが書いたとおりにやらないのだろう、今ではみんなそうやっているのに」ということがいくつか重なってイライラしていたところへ、第1部の最後からそのまま第2部に入り、ペトロの否認まで行って休憩になりましたので、見切りを付けて帰宅。第1部、第2部にバッハの張り巡らせた構成が、これでは台無しです。まあ、最後に感動的な盛り上がりが訪れる可能性は、あったと思いますが。
ステージの両側には巨大なスクリーンがあり、演奏者の表情が、たえず大きく映し出されていました。でもそれなら、字幕を出すべきではなかったでしょうか。演奏者の姿より、作品の内容のほうがずっと重要だと思います。
【付記】《マタイ》の座席、14列の41番でした。BACHの数(14)とJ.S.BACHの数(41)を踏まえた梶本さんのご配慮(多分)で、ぜいたくに座らせていただきました。感想もぜいたくで、申し訳ありません。
iBACHの歓び ― 2008年12月19日 22時30分28秒
「くにたちiBACHコレギウム」のコンサート、第1年目に予定した3回が終わりました。ほっとすると同時に、寂しい気持ちもあります。関係の方々、お客様、どうもありがとうございました。
相模大野グリーンホールにおける昨夜のコンサートが、最高の出来になりました。私のトークはミスが多くてだいぶ減点でしたが、演奏には、満員のお客様に助けられて、熱気と高揚があったと思います。今まで少々遠慮がちのように見えた指揮者・藤井宏樹さんが、ふっきれたようにめざましい指揮をしてくださいました。「やっとみんなが一丸になれた」と、目を赤くしておられたのが印象的でした。
帰り道、遠いところから駆けつけてくださったお仲間から、「自分で集めた音楽家に自分の好きな曲を演奏してもらうなんて、さぞかしいい気持ちでしょうね」と言われました。まったくその通りで、世間様に申し訳ないほどです。演奏された曲も、私が大好きな曲、思い出の曲ばかり。本当に、ありがたいことです。
iBACHの私にとってのかけがえのなさがどこにあるかと言えば、それは、合唱団員から指揮者に至るまでのおそらく全員に私から学ぼうという気持ちがあり、私の要求や注文に真剣に対応してくださることです。向上心、意欲、一体性といった言葉であらわされるでしょうか。もちろん私が抑えるのは大きな方向性であり、言葉であり、精神であって、あとは藤井さん、大塚直哉さん以下、音楽家の方々の役割です。こうした、私としても初めて経験する前向きのコラボレーションを、この先も維持していきたいものです。
今年は、バッハに至る宗教音楽の歩みを勉強しました。来年は、バッハのカンタータとモテットの核心部にチャレンジするつもりです。課題はたくさんありますが、皆様に聴いていただけるよう、がんばります。
富田さん講演! ― 2008年10月27日 23時34分15秒
最近は、疲れが遅れて出てきます。月曜、火曜と授業がありますが、問題は火曜日だと、先週の段階から思っていました。「音楽美学概論」という授業があり、そこで音楽と感情の関係について、新しい形で講義しようと思っていたからです。疲れが残ってやる気が出ないと困るな、と気にしていましたが、まあまあなんとか、準備を進めました。まだ完成しておらず、残りは明日、起きてからです。
明日の夕方、バッハ研究所で、富田庸さんが講演されます。「バッハの自筆譜からわれわれは何を学べるか。演奏者と研究者の永遠の課題」と題して、《平均律クラヴィーア曲集》第1巻を題材にお話ししていただきます。
富田さん、バッハの資料を求めて世界を飛び回り、種々の研究プロジェクトを立ち上げ、というように、きわめて精力的な活動を続けておられます。その結果は明らかで、お会いするごとに成長され、学者としての貫禄を身につけてこられました。無料でお話を聞けるのはめったにないチャンスですので、ぜひお出かけ下さい。18時から、国立音大六号館です。《平均律クラヴィーア曲集》の楽譜をお持ちの方は、持参されると役に立つと思います。
明晰なポリフォニー ― 2008年10月04日 22時21分55秒
自分がかかわったコンサートのことをほめて書くのは、スマートでないと、基本的に思っています。かかわりが深いと自己投入しますから、音楽に感動する確率も、当然高くなる。それがわかっていても書いておきたいのが、木曜日のいずみホールにおける、ミヒャエル・ラドゥレスク氏のコンサートでした。オルガンで弾かれるこんなすばらしいバッハを過去にいつ聴いただろうか、というのが、心からの実感です。
氏は当日の曲目のCDを出しておられますが、実演の方が格段によかった。それは、ナマと録音の違いでしょうか、あるいは、いま特に充実しておられるのでしょうか。お弟子さんのご意見では、後者でもあるようです。オルガンが「精神的」と呼びたくなるような密度で鳴り、ポリフォニーが、あまねく明晰。特筆すべきは、微動だにしない安定したテンポです。それによって、宇宙的とも思える一種崇高な秩序が、長い持続の中で組み上げられてゆくのです。かつてないほど熱烈な拍手が客席から送られたのも、むべなるかなでした。
ラドゥレスク氏はその道の大家ではありますが、音楽の世界全体から見れば、知る人ぞ知るという、地味な存在でしょう。そういう人からこういう音楽を聴けるのが、音楽の醍醐味ですね。有名でも毎度毎度いいかげんな演奏をする人も、いますから。
バッハの演奏にもっとも大切なものは安定したテンポの秩序であることに、あらためて確信をもちました。アゴーギクはもちろん必要だし有効ですが、秩序を中断するようなルバートは、すべきでないと思います。ピアノによるバッハを聴いて、しばしば気になる部分です。
小文字のi ― 2008年06月12日 23時06分45秒
10日(火)は、国立音楽大学音楽研究所のバッハ演奏研究プロジェクトの旗揚げで、「バッハ演奏の諸問題--演奏史を回顧しつつ」という講演を行いました。演奏上の問題点を列挙することで、これからの研究の課題としていただこう、という趣旨です。
立ち見も出る盛況で、参加者を中心に、熱気の感じられる会になりました。やはり、こういう企画を待っていてくださった方々もいらっしゃるのですね。普通なら「幸先がいい」となるところですが、こんなとき、「ツキの総量は一定」すなわち「初めがいいとあとでしわ寄せがくる」という、私の持論がネックになります。竜頭蛇尾(←この言葉好き)にならないよう、気を引き締めたいと思います。
立ち上げた合唱団の名称は、「くにたちiBACHコレギウム」と決まりました。小文字の「i」を付けようというのは私のアイデアですが、とてもいい、といって下さった若い方と、ちょっと、とおっしゃる年配の方に分かれました(笑)。でもとりあえず、これでいきたいと思います。当面、シュッツ、プレトーリウス、バッハ祖先などを練習します。
水曜日は批評のコンサートに行き、今日はCD選の仕上げと、東大和市の講座。ここまで集中すると、かえって緊張感が出て、能率があがります。何より、土曜日を成功させることが肝心です。
新合唱団立ち上げ! ― 2008年05月27日 22時35分26秒
新しい合唱団ができました。「名前はまだない」状態です。
《平均律》研究の項でご紹介した、国立音楽大学音楽研究所バッハ演奏研究プロジェクトの「声楽作品研究」部門の活動です。私はリフキンのソロ編成方式の長所を強く感じ、大阪で「バッハ・コンチェルティーノ」というグループを立ち上げていたのですが、今回は教育目的に鑑み、バッハの理想(?)に即した1パート4人の合唱を構想しました。教員でコンチェルティーノ(ソロ・グループ)を組み、若い人たちが補佐グループ(リピエーノ)で支えるという形のアンサンブルです。
外部にも門戸を開けるといいのですが、とりあえず最初は内輪で、基礎作りに徹することにしました。とはいえ、大学院修士課程の新カリキュラムに位置づけられ、博士課程の学生も4人加わりましたので、現状からすれば、強力な顔ぶれです。通奏低音を大塚直哉さんが担当。指揮者には藤井宏樹さんをお招きしました。
今日は、若いメンバーを中心に声出しをしました。私の大好きな《ヨハネ受難曲》のコラールやシュッツのモテットが眼前で音になり、思わず興奮。皆様にお聴きいただく日が楽しみです。お披露目のコンサートは、10月9日、立川アミューを予定しています。
《平均律》、勉強しませんか?! ― 2008年05月16日 22時03分25秒
国立音楽大学の音楽研究所(私が以前ベートーヴェン研究を行っていたセクション)が復活、私がバッハ部門を司ることになりました。題して、「バッハ演奏研究プロジェクト」。定年までの期間、せいぜい力を注いで、職場に恩返しをしたいと思います。
プロジェクトは、ピアノ部門と声楽部門を分けて活動することにしました。今日は、ピアノ部門をご紹介します。「ピアノで弾くバッハ」というテーマで、古楽演奏の最前線にも学びながら、ピアノでバッハをどう弾いたらいいかを勉強します。今年は、《平均律クラヴィーア曲集》第1巻を採り上げます。
時間は火曜日の6時~7時半。6月から12月まで、計13回の勉強会が開かれます。講演会と、公開レッスンが半々。講師の1回目は私、2回目は野平一郎さんで、後期には、富田庸さんも登場されます。中心となる指導者は、渡邊順生さんです。
修士の1年生が新カリキュラムで単位になるほか、外部からも受講生を募集します。ときどき覗きに来る方には無料で開放しますが、継続受講し、レッスンを受けられた方には、大学が受講証明を発行します。選ばれれば、発表のコンサートにも出演できるはずです。受講料は、合わせて4万円です。
20日(火)の6時から、大学1号館の120室でガイダンスをします。院生のためのものですが、外部の方も参加してくだされば、その場で申し込みができます。まだ正式にご案内していませんので、ご案内後に手を挙げていただくこともできますが、あまり多くなるようでしたら、何らかの制限をするかもしれません。
詳細なスケジュールは、追って発表します。よろしく!
1日5回の《シャコンヌ》 ― 2008年03月16日 22時07分38秒
相模大野グリーンホールのレクチャーコンサート・シリーズ「バッハの宇宙」のために企画した「シャコンヌの祭典」が、3月12日(水)、無事終わりました。バロック・ヴァイオリンによるパルティータ第2番(演奏:川原千真)の全曲のあとに、チェンバロ編曲、メンデルスゾーン編曲(ピアノ伴奏付き)、ギター編曲、4つのヴィオラ編曲と並べましたので、お客様は《シャコンヌ》を計5回聴かれたわけです。聴くにつれ作品の深さに引き込まれた、となればいいが、悪くするとステージごとにお客様が減っていったり、もう《シャコンヌ》は一生聴きたくない、という感想をいただいたりしかねません。企画の問われるコンサートでした。
私がコンサートの成果を判断したり、個々の演奏を批評したりするわけにはいきませんので、当事者としての感想を、簡単に書かせていただきます。私はリハーサルからずっと付き合っていましたから、この日だけで10回は聴きました。もちろん、理解とともに輝きが強まりこそすれ、聴き飽きることはありませんでした(きっぱり)。この作品の内蔵する世界が、途方もなく大きいからです。
大塚直哉さんがチェンバロで演奏したステージでは、《シャコンヌ》に隠された和声がすべて析出されて壮観。平澤仁さんがあえてロマンティックに熱演したメンデルスゾーン版では、原曲との差異が、いやが上にも感じられました。巨匠・福田進一さんの貫禄のギター演奏が効果的な転換となり、最後の野平一郎編曲にたどり着きました。
4つのヴィオラ(演奏者は坂口弦太郎、丸山奏、岡さおり、青木篤子)の重奏というのはどんな響きか、ご想像になれますか。中声ばかり集めてどう処理するんだろう、と思っていたのですが、この響きが、あたかも桃源郷のようにすばらしい。やわからく厚みがあり、別世界のような甘美さで、聴き手を包み込みます。しかも《シャコンヌ》のテクスチャーは4本にみごとに振り分けられ、作品の構造を、よく聴き取ることができる。野平さんの手腕は、本当にたいしたものです。野平編曲の《シャコンヌ》はこの編曲とより現代的な編曲の2つがあるのですが、やがて第3編曲が発表されて、三部作となるそうです。
若いカルテットを縦横に指導し、きりっとしたアンサンブルを作り上げる坂口さんの姿は、若き日のギドン・クレーメルを見るよう。この演奏が締めとなって、私としても会心のコンサートが完成しました。演奏者の方々、どうもありがとうございました。
古楽100%の《ヨハネ》 ― 2008年03月05日 23時46分15秒
2月25日、紀尾井ホールで、ヨス・ファン・フェルトホーヴェン指揮、オランダ・バッハ協会合唱団・管弦楽団による《ヨハネ受難曲》を聴きました。「合唱団」とあるが、リフキン方式により、「合唱」は4人のソリスト(コンチェルティスト)と、4人の補充歌手(リピエニスト)のみ。弦も1本ずつで、考えられるかぎりの小編成です。旧知のピーター・デュルクセン(オルガンを弾いていた人)による1724年初演バージョンが使われましたが、これはしっかりした研究に基づくものでした。
リフキン方式の可能性を探る意味でも注目した公演ですが、声楽・器楽ともにこれだけレベルが高いと、貧弱な感じは受けません。冒頭合唱曲も、抜けるように透明な協和音と鋭くきしむ不協和音の対比によって、立派に大きさを出していました。しかし追求されるのはあくまでも室内楽的なコンセプトで、きめ細かさ、統一性の高さは、たいしたものです。
ずらりと並んだ合唱団による演奏にはもう戻れないなあ、などと感心しつつ聴きましたが(客席も大いに沸きました)、にもかかわらず感動できないのはなぜだろう、という疑問も、ずっと心から離れませんでした。申し分のない、古楽様式。しかし主役は、「イエスの受難」ではなかったようです。
シフ、神業の《パルティータ》 ― 2008年03月04日 22時24分34秒
いまいずみホール(大阪)で、アンドラーシュ・シフによるバッハ《パルティータ》全曲を聴き終わったところです。6曲を黙々と弾き続けて、終了9時半。満場熱狂の幕切れになりました。
9年ぶりの、シフの公演。《パルティータ》全曲ではチケットが売れないのではないか、と危惧するスタッフもいました。ところが発売即売り切れで、争奪戦の様相に。やはり皆様、よくわかっておられます。前半に第5番、第3番、第1番、第2番の4曲。後半には第4番、第6番が並べられ、わかりやすい第1番が、絶妙のタイミングで登場しました。シフの頭には全部の曲が完璧に入っており、配慮の届かない音符は1つもなかったと思います。
ピアノで弾くバッハの最高峰は、という問いに、現在ならシフ、と言下に答える私ですが、そのことが立証されるコンサートでした。《パルティータ》では、バッハ特有の線的ポリフォニーが、かなり複雑に絡み合います。そのすべての声部に、血の通った生命力がゆきわたっている。そして、端然と息づくポリフォニーの中から、思いがけない旋律が、音型が、花開くごとくに浮かび出てきます。さまざまな発見に満ちた、新鮮な演奏なのです。アーティキュレーションも理にかなっており、古楽の耳でも、違和感なく聴ける。構成力も卓抜で、曲尾のジーグが、《平均律》のフーガさながらに盛り上がりました。
自由度が最高に達した第6番が、当夜の白眉。こういう演奏を、ピアノの方々に、たくさん聴いていただきたいですね。ちなみにシフの足はペダルから遠く離れて置かれ、ただの一度も、そこに触れることはありませんでした。
最近のコメント