学者の推理癖2009年03月28日 22時18分09秒

アクセス順位などにはなんの関心もなく、悠々と更新している礒山です。

ただ興味があるのは、更新とアクセス順位の関係です。その関係がいかなるものかを見極めたいという学者にありがちな好奇心からは、さすがの私も免れ得ず、アクセス順位を日々確かめ、確認しております。

1日更新しないでいると、しっかり転落します。先週の週末あたりは、更新しているのにじりじり後退する。その都度癪な吹き出しを読まされる、という流れになっていました。ところが。今週は、更新しなかった日が2日あるにもかかわらず、順位が日ごとに上昇しているのです。

こうなると、結果を分析して理由を推定したくなるのが、学者にありがちなメンタリティです。私もそれを免れないものですから、関心のない問題をめぐってではありますが、推理をめぐらせてみました。思うに、次の3つのどれかではないでしょうか。

1.更新とアクセス数には、もともとさしたる関係がない。 2.順位を割り出すシステムに欠陥があり、実情を正しく反映していない。 3.数値は厳粛な事実であり、今週、アクセスが増える何らかの理由が存在した。

素直に考えれば、確率が高いのは「3」ですよね。そうすると、私は次の仮説にたどりつかざるを得ないのです。すなわち、「痴漢」という言葉で検索する人がたくさんいて、その一部の方々が私の談話室を訪れてくださった、というものです。もちろん、さまざまであろう検索の目的をあげつらっているわけではありませんが・・・。(この談話でも1回使いました。さて。)

自虐ネタ2009年03月20日 23時15分15秒

『日経パソコン』を購読しています。最初に読むのは、終わりから2ページ目にある勝谷誠彦さんの「それゆけ!電化男」。豪快な自虐ネタをちりばめたエッセイで、ぶっちぎりの面白さ。あんまり面白いので、他の記事を読む気がしなくなる、という副作用もあるようです。

私も自虐ネタは使いますが、なにぶん小心者なので、ちまちまとした話題になってしまいます。ここ2日は、失敗続き。昨日は《シャコンヌ》のコンサートがありましたが、預かったチケットの精算をしなくてはなりません。しかし3枚ほど売ったはずのチケットがその後姿を消し、ついに発見できぬまま、精算と相成りました。

でもこれは、お金で解決できることです。今日のは悪質。夜、さる方の記念パーティがあり、私も出席を予定していたのですが、間近になっていくらさがしても、案内状が見あたりません。休日のこととて問い合わせもままならず、知人の携帯を当てにして、とりあえず都心まで行ってみました。

しかし、携帯を駆使しているこの知人の携帯がずっと留守電になったままで、時間をつぶしていても、連絡がないのです。あきらめてカレー屋へ。すっぽかした結果になってしまい、お恥ずかしいかぎりです。やっぱり、手帳に場所まで書いておかなくちゃね。

一日を無駄にしたなあ、と思いつつ、タイ式古式マッサージに寄りました。そしたらこれがすばらしく、元気を回復。やはりツキの総量は、一定であるようです。

神のみぞ知る2009年03月06日 23時23分51秒

「一寸先は闇」という談話をつい最近書いたばかりですが、飛び込んでくるニュースにはその言葉を裏書きするようなものが多く、驚かされます。人間本当に、どんなことで穴に落ちるかわかりません。とくに、調子に乗っているときがあぶない。今回の場合であれば、よおし、政権奪取確実だっ、と盛り上がっていたわけですよね。うまくいく時ほど慎重に、というのは将棋の世界でも常々言われていることですが、そうはなかなかできないのが、人間です。

三島由紀夫の小説『天人五衰』は若い頃覚えるほど読んだものですが、そこにこんなシーンが出てきます。主人公が公園で情事をのぞき見しているところをつかまり、週刊誌に実名入り記事を掲載されて、80年の努力の積み重ねを一瞬にして喪ってしまうのです。まさに、「一寸先は闇」の世界です。類義語は、「神のみぞ知る」ということでしょうか。危険な手術に賭けるときなどに使われますね。こうした言葉が使われる場合、成功の可能性はまずないのだと思います。

数日前、ある方のクルマに便乗していたら、その方がちょっとした錯覚を起こし、大きな通りの右側を逆送してしまいました。向こうからクルマが来るのに私が気づき、左側にハンドルを切って事なきを得ましたが、本当に世の中、何があるかわかりません。わかっているのは神様だけです。皆さん気をつけましょう。

悪魔のささやき2009年03月05日 23時06分31秒

かつて開設していたホームページには、アクセスカウンタが付いていました。一人入るたびに数が1つずつ増えていく、あれです。あれが付いていると、どうしても、増やしたいという気持ちになってしまう。記念番号プレゼントをやったり、記念パーティをやったりして、調子に乗りすぎました。

というわけで、ブログを開設するにあたって、カウンタは付けないことにしました。決める必要もなく、「アサブロ」にはアクセス数を示す装置がありませんでした。ひとつの目安は、コメントの数です。大江麻理子さんのブログなどは、ひとつ書き込むと応援のコメントが3桁の数で入る。まあこういう人と比べても仕方がありませんが、私のブログに書き込んでくださる方の数は決まっていて、それが読んでくださる方の範囲の狭さを示しており、それでいい、と思っていました。

ところが、つい最近アサブロで、順位を示すサービスが始まったのです。管理画面にログインすると、アサブロのブログの中で、自分のそれが何位かが示される。すると、意外に上位なのですね、これが(笑)。吹き出しにこんなコメントが入っている。「アクセスされ過ぎです。ああ、サーバへの負担がぁ・・・」。

いや、ここが踏ん張りどころ。順位を上げよう、としてはなりません(キッ)。

お薦めの英語教材2009年03月04日 22時10分39秒

三日坊主の傾向もある私ですが、英語のヒアリングは続けています。結局テキストに何を選んだのかというと、「究極の英語リスニング」。第1巻は1000語だけ、第2巻は2000語だけ、第3巻は3000語だけでテキストが作られています。3000語ぐらいなら知らない単語はほとんどないのですが、たとえ数十語で作られていても、ネイティブに流暢に話されたら、ほとんどわかりません。したがって、まず知っている単語、わかりやすい文章を耳からとらえるというのは、とてもいい方法だと思う。お薦めの教材です。

どうやら3冊終わったので、次にどんなテキストを買うか、楽しみ。野口さんはネット上にいくらでもタダの教材があるから、とおっしゃいますが、やはり投資をして選び、購入するのも楽しいですし、手に入れた教材を大事にします。

ヤナーチェクの歌劇《死者の家から》をブーレーズが指揮したDVD(←すばらしい)を見ました。それにはメイキング・ビデオがついています。流してみましたら、いきなり演出のパトリス・シェローが、ドイツ語で大演説をぶっているのに仰天。シェローも、周囲の人々も、ドイツ語、フランス語、英語をごっちゃにして(もちろん混同しているのではなく、迅速に使い分けて)コミュニケートしています。あ、オペラはチェコ語です。

これを見ていて、「(音楽学を勉強するなら)英独仏はどうしてもね」とおっしゃった、海老澤敏先生の言葉を思い出しました。私の大学生時代のことです。覚えておこう、学生諸君。

記憶の使い方2009年02月27日 22時28分37秒

皆さん、書き込みありがとうございます。

なるほど、「口が軽い」というのがありますか(国語辞典さん)。しかし「口が堅い」というのもありますね。これはいい意味ですが、しかし口の使用を避ける、という意味が含まれているとすれば、悪い意味を出発点にしている、と言えるかも知れません。「口ばっかり」とか(笑)。

今日、ドクターコースの入試の空き時間、「永久に決別」の話を自慢したのですが、学長も同僚も一笑に付して、まったく信じません。紙の手帳にしたって、記入するのが同じ人間なら変わりない、というのです。くやしい。

わかったことは、私が犯したダブルブッキングの話を、みんなじつに良く覚えている、ということです。静岡に1週間間違えて行き、何かを食べて帰ってきたという話があるのですが、そのときに私が「うなぎを食べた」と皆さんが言う。私は外でうなぎを食べることは滅多にないので、「お寿司ではないか」と反論したのですが、みなさん、「いや、うなぎだ」と断定されます。くやしい。

人間の記憶って、そんなことに使っていいものでしょうか。諸事多難なこの時期に、です。

永久の別れ2009年02月26日 23時21分05秒

不肖私、「4月始まり 能率手帳 EXCEL Casual1」というものを購入しました。これにより私は、これまでの人生に何度かあったダブルブッキングやっすっぽかしに、永久に別れを告げることになりました。何年かするとそうした記憶さえ失われ、「へえ、私もダブルブッキングしたことあるの」などと言うようになるものと思われます。これまでご迷惑をおかけした方々にも、これでお返しができることになりました。ご報告申し上げます。

前話で、「巧言令色少なし仁」と「文は人なり」の対比を申し上げました。その後気がつきましたが、「文章がうまい」というのは褒め言葉ですが、「口がうまい」というのはそうではありませんね。なぜ違うんだろう。

経たない時間2009年02月21日 18時48分28秒

いま、入学試験中です。今日は、朝から全学を挙げて学科の試験をする日。以前は1年中でももっとも緊張する日のひとつでしたが、最近、そうでもなくなりました。ひとつには慣れたためですが、昔に比べると受験生が減ったためでもあります。

「ああ、もうこれで試験を受けなくてもいいんだなあ」と安堵した日のことを、よく覚えています。20代の終わり頃だったでしょうか。それなら、今「ああ、受験生でなくて良かった」という気持ちで感謝しつつ試験監督をやっているかというと、案外、そうでもないのです。

受験生は、いつまでもその気持ちを忘れないで欲しいなあ、と思いたくなるほど、懸命に、純粋に答案に向かっています。それに比べて、監督する方は、退屈の一語で、時間がまったく経たない。歩き回ったり、椅子に座ったりして終了を待つのですが、その間何も、やることがないわけです。もちろん試験中ですから、本を読んだり携帯を使ったりも御法度。受験生のほうが、ずっと充実した時間を過ごしていると思います。

そこから想像するに、懲役刑より禁固刑のほうが辛い、ということはないでしょうか。

続・バレンタインデー2009年02月16日 22時22分36秒

書いてみるものですね。皆さんのご意見をいただき、そうだよなあと、すっかり納得しました。読み応えのある(今のところ)5つのご意見、皆さん、ぜひご覧ください。

やっぱり、贈るのがチョコレートに決まっているところに、そもそも問題があるのだと思います。女性はほとんどチョコレート好きでしょうから、やりとりに意義を感じやすいのだと思いますが、男性のチョコレート好きはおそらく少数派なので、対応に違和感を覚えてしまう、ということでしょう。まあ、だから遊びの感覚でできるんだ、ということも、あるかもしれませんが。

バレンタインデー関連に限らず、お返しって、むずかしいですね。厳格な人とそうでない人がいますし、考え始めると、きりがない。私はプレゼントは自由にし合い、お返しはお互いに期待しない、という方が気楽でいいのではないかと思いますが、そこはきちんとすべきだ、という方もいらっしゃることでしょう。当家では妻がその傾向で、何かをいただくたびに、お返ししなくては、と言っております。

バレンタインデー2009年02月15日 22時58分48秒

バレンタインデーについて13日に書くつもりでした。しかし時間が取れず、今日になりました。ちょっとさしさわりが出てきているのですが、構想通りに書きます。失礼の段はお許しを。

私、大人になってからというもの、チョコレートという食べ物に、ほとんど関心がありません。したがって、少なくとも食べ物としては、いただいて嬉しい、ということはないわけです。いただく機会はある程度あるのですが、それは御礼の代わりや挨拶代わりといったところで、本命だの義理だのという分類とは、まったく関係のない世界です。食べませんから、自宅の書斎や研究室には、チョコレートが豊富にあります(笑)。

というわけで、あまり関心のもてない、バレンタインデー。「なぜチョコレート会社の戦略に乗るような風俗が広まるのか!」と飲み席で気勢を上げていましたら、同席者いわく、チョコレートにはかならずお返しが必要なのである、と。女性が上司にプレゼントするときなどは、懐具合に対応する値打ちのあるお返しを期待しているのであり、それをしないのはルール違反である。よろず物知りのメニューまさお君にそう言われては、返す言葉がありません。

本当ですかね・・・。困るなあ。なぜなら私は、ホワイトデーにお返しするということを、生まれてこの方、ただの一度もやったことがないからです。ということは、ずいぶん失礼を重ねてきた、ということなのでしょうか。これだけ習慣が広まると、女性も職場などで配らざるを得ないでしょうから、経費もばかになりませんよね。お返しがなくてはやってられない、と言えば、確かにそうだろうと思います。

でも、だからお返しを、というのは、やっぱりチョコレート会社の戦略にはまることじゃないかなあ。どうも腑に落ちない、この習慣です。

〔追記〕書いてはみたものの、私にチョコレートをくださった方はいい気持ちがしないだろうと気になります。でも上記は本心ですので、習慣に一石を投じる意味でも、このままにさせてください。善意は、つねにありがたくいただいています。