よき伝統2009年10月06日 23時32分11秒

出ました、朝青龍のガッツポーズ!それくらいいいじゃないか、というのが、すでに多数派でしょう。内館牧子さんのようにあくまで食い下がるのは、またか、と思われるかもしれない。でも私は、内館さんを支持します。理由はまさに彼女が言われていることで、国際的なスポーツになるのなら何の違和感もないが、その場合には国技の看板を下ろさなくてはならない、ということです。伝統と結びついた様式美こそ、相撲の本質だと考えます。

なし崩しにグローバリゼーションが進む世の中で、日本の伝統的価値のよいものはぜjひ継承すべきだ、と、私は思っています。勝っておごらず、負けて悪びれずというのは将棋にも同じく通じる価値観で、将棋の感想戦など、見ていて、どっちが勝ったのかがわからないほど。こうした奥ゆかしさがあるからこそ、将棋は勝負事を超えて、芸になっているわけです。

選挙の期間を通じて、日本を変えよう、という言葉が叫ばれ続けました。日本の政治を変えよう、とか、日本のよくない部分を変えよう、というのならわかりますが、とにかく変えてしまえ、という発想にはなじめません。ある程度外国を知っているものとして、日本には日本にしかないいいものがたくさんある、と確信しているからです。

新政権に何を望むか、とマイクを向けられた若い女性が、「日本を変えてください!」と叫びました。日本のよきものへの敬意がまったく感じられない語調で、私は、残念に思いました。知性派がずらりと揃った民主党に比べると自民党の古色蒼然たる印象には意気阻喪しますが、良質の保守主義を大事にしたい、という価値観は結構で、このさい洗練してほしいと思います。

コメント

_ Clara ― 2009年10月07日 09時24分59秒

友人に、学生時代相撲部にいたという人が居ますが、相撲は、元々、能楽などと同じく、神事であり、作法も型も、そこから来ているとのこと。だから、勝ち負けだけが、問題になる今の相撲は、格闘技になっていて、本来の相撲とは違うというのですが、時代や、国際的な広がりと共に、スポーツとしての意味合いが大きくなってきたのでしょう。

_ I教授 ― 2009年10月07日 22時32分44秒

テレビ中継で見ることの問題点かもしれませんね。勝ち負けがクローズアップされる反面、神事の雰囲気が味わえませんから。週刊朝日に、朝青龍が把瑠都戦でひどいだめ押しをしたこと、飛ばされた把瑠都が観客に怪我をさせないよう最善を尽くしたことが出ていました。いろいろ見えない部分があるものです。

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