誕生日 ― 2009年03月21日 22時17分05秒
今日、家族と食事をしようと、国立駅から杏仁坊への道を歩いていました。すると左手に、案内板を出している店があります。案内板に「マタイ受難曲」の文字があることが、とっさにわかりました。さすがにこうした文字は、すぐ目に入るのです。
案内板を読むと、今日は《マタイ受難曲》の作曲家であるあのバッハの誕生日だ、云々、と書いてあります。ずいぶん感心なお店だと思って中を覗くと、美容院。バッハ・ファンの方が営業しておられるのでしょうか。
そこで思い出した、ずっと昔の出来事があります。碩学で知られるE先生が、3月21日かその直前かにバッハに関する何かのトークをなさり、「バッハが洗礼を受けた日がやってきた」という表現をなさったのです。私の知識も当時あやふやで、ああ、洗礼の日だったのか、とその場では思ったのですが、調べてみると、洗礼の日ではなく、誕生日です。おそらく先生は、話の途中で3月21日が誕生日なのか、洗礼日なのかという疑問を抱かれ、とっさに、洗礼日とおっしゃったのでしょう。同業者として、ありうる出来事だと思います。
バッハの洗礼日は、1685年の3月23日。アイゼナハの教会の洗礼簿に記録されていますから、確実です。誕生日が3月21日であることは、バッハが目を通したヴァルターの伝記や、いわゆる『故人略伝』によって裏付けられます。どこかの時点から、こうした「なぜそう言えるか」が押さえられて初めて知識だ、と思うようになりました。それ以来、少し専門家らしくなったかなと思います。
神様は強い? ― 2008年12月20日 23時06分08秒
柴さん、守谷藩さん、書き込みありがとうございます。BWV213のCD、楽しみになさってください。
今日は「たのくら」こと「楽しいクラシックの会」の今年最後の例会と、忘年会でした。これで、22年。本当によく続きますね。継続は力なり、とはよく言ったものです。私も本当にリラックスして楽しくできるのが、この会です。
今日は、バッハのカンタータ第147番(と《マニフィカト》)をとりあげたのですが、鑑賞にあたり、聖書の当該部分を、岩波訳で朗読しました。そうしたら、次のようなところがありました。
「飢える者たちを良きもので満たし、富んだ者らを空手で追い払われました」。「空手」には「からて」とルビが振ってあります。オッ、神様は空手もやるのか、と思ったあなた。力道山じゃあるまいし、心を入れ替えてください。じつは私もそう読んでしまい、おかしくて立ち往生しました。
〔付記〕《マニフィカト》の最後で、冒頭の楽想が戻ってきますね。あそこが総毛立つほど感動的だと、『バロック音楽名曲鑑賞事典』に書きました。そこが「初めにあったように」という歌詞に対応していることに、今日やっと気づきました。
全国大会迫る ― 2008年10月23日 21時18分06秒
日本音楽学会の全国大会が、目前に迫ってきました。この土曜日、日曜日に国立音楽大学を場として、たくさんの研究発表やパネル・ディスカッションが行われます。ここしばらくスタッフの先生たちが、連日走り回って準備してくださいました。非会員でも、学生には1000円で聴ける特典を用意してあります。ぜひ覗いてみてください。
総会、懇親会に会長としての責務があるのを除けば、私の出番は最後、日曜日の14:55から2時間かけて行われるラウンド・テーブル「J.S.バッハとC.P.E.バッハ~伝承と創造的受容をめぐって」です。久保田慶一、小林義武、富田庸の3先生からもうしっかりした原稿をいただいてありますので、コーディネーターとしては気が楽。たしかに大役なのですが、日本語ですから大丈夫です(笑)。
3先生の発題要旨は学会のサイトにもあります。パネリストの議論は、富田先生が最近調査された無伴奏ヴァイオリン曲の「ウィーン筆写譜」をめぐって、父の楽譜の伝承段階における兄弟間の交渉について、晩年のバッハとエマーヌエルのかかわりについて、エマーヌエルの父作品改編の意義について、パスティッチョにおける父の作品の使用に創造性を認めうるか否かについて、などに絞り込みました。ガチンコでやりたいと思いますのでご期待ください。
BWV1128 ― 2008年07月05日 21時34分24秒
たのもーさん、ご教示ありがとうございました(←とつぜん尊敬)。衣装だの、楽譜だの忘れる方々。なにやってるんだか(←とつぜん余裕)。
今日は「新・バッハ/魂のエヴァンゲリスト」の第2回。バッハ通の方が大勢来てくださる講座なので、それなりに準備して臨みました。旧著を縮小コピーし、6つの箇所に、新らしい学説をまとめた注釈を付けました。アルンシュタット時代の話ですから、カプリッチョの「最愛の兄」が実兄とは別人(たとえばエールトマン)ではないかとか、有名なニ短調の《トッカータとフーガ》が偽作ではないかとか、その類のことです。
この3月に発見されたばかりのオルガン・コラール《主が私たちの側に立ってくださらなければWo Gott der Herr nicht bei uns hält》の楽譜を昨日入手しましたので、皆さんにお見せしました。ハレ大学図書館の入手したヴィルヘルム・ルスト(旧全集編集主幹)の遺品の中に含まれていた筆写譜が、さっそく出版されたのです(まあ、速いこと)。この作品には1128というBWV番号が振られました。シュミーダーの目録が出て半世紀ちょっとの間に、48曲増えたことになります(目録初版の最後は《フーガの技法》BWV1080)。発見されたのは1705年から10年の間に書かれた85小節のファンタジーで、なかなか立派に作曲されています。
皆さんとても興味深そうにご覧になりましたので、CDをお聴かせしたいところだが、まだありません、と申しました。そうしたら、受講生の中に、先週ライプツィヒで実演を聴いてきた、とおっしゃる方がいらっしゃるではありませんか。向こうではCDも出ていて(ウルリヒ・ベーメ演奏)、買って帰られたとのこと。さっそく次回に聴かせていただくことにしました。こういうやりとりが生じるから、カルチャーは面白いですね。私も気が抜けません。
バッハの信仰(2) ― 2008年03月30日 22時41分46秒
小田垣先生は、信/不信の二重性、という表現を使われます。これを自分流にわかりやすく言い換えると、信仰には懐疑がつきものであり、懐疑が存在することによって、信仰はむしろ深いものになる、ということになると思います。
こういうことを礼拝の場でおっしゃる小田垣先生は、すごいなあと感嘆します。ずっと昔、教会や集会のようなものに足を運んだとき、いつも言われるのは、疑わず信しるのがいい、子供のように受け入れなさい、ということだったからです。そういうことを勧めた人は、懐疑を含まない「堅い信仰」の持ち主だったのだろうか。あるいは、内面では懐疑をもっていたが、立場上、建前を述べていたのだろうか。もし後者であるとすれば、その人は、懐疑を含まない信仰こそが理想的なものだ、と考えていたことになります。
バッハは、どうでしょうか。バッハの教会音楽と長いこと向かい合ってきた私が最近確信するに至ったのは、バッハはそのような懐疑の持ち主であった、ということです。
バッハのカンタータは、その多くが、現世の悩みや死への恐れにさいなまれた魂が、聖書に書かれたイエスの言葉を発見し、慰めにもたらされる、というドラマトゥルギーをもっています。私は、こうした筋立てを、不信の小羊を教え導くために使われた戦略だとは思いません。悩み、恐れる主体にはバッハの共感が深く入り込んでおり、それをバッハ自身の現実だ、と見なしてもいいように思う。バッハはカンタータを書くたびにイエスの言葉と新たに向かい合い、その都度イエスを再発見して、信仰を新たにしていたのではないでしょうか。自分の信仰はもう確立している、ほかの人を導くのだ、というスタンスでは、ああいう音楽にならないのではないかと思うのです。
と考えるようになったものですから、私はバッハに対してこのところ、「やわらかな信仰」という言葉を使っています。《ロ短調ミサ曲》におけるカトリックとプロテスタントの融和への視点も、そこから導き出すことができる。そして、その「やわらかさ」がまさに、バッハの宗教性が宗派を超え、国境を越えて訴えかける理由なのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
バッハの信仰(1) ― 2008年03月28日 23時27分54秒
私の尊敬する神学者で、図書館長の先任者でもあった小田垣雅也先生の新著を読み、大いに感じるところがあったので談話に書きたい、と思っていました。
ところが、肝心の本がここしばらく見つからない。仕方がないので、署名だけでも正確に、と思い、検索してみると、先生の主宰しておられる「みずき教会」のホームページがあるのですね。そこに毎週の説教が、文章化されてアップされていることがわかりました。判明した正式の著作名は、『友あり--二重性の神学をめぐって』というものです。
同時に気づいて驚いたのは、私がメールでお送りした感想についてのコメントが、説教の中で言及されていたことです。すっかり先を越されていたわけですが、大事なことなので、こちらでも書かせていただきます。ちなみに私の談話とかかわる説教は、「信と不信」「Kさんから贈られたイースター・エッグ」の2つです。検索は、「みずき教会」でなさってください。
小田垣先生は、人生においてキリスト教信仰を深めてきた方です。そうした方が、自分の信仰には、信じられないこともたくさん含まれている、不信の要素を切り捨てることのできないのが自分の信仰だ、とおっしゃるのです。信と不信の共存、両者のダイナミズムの中に、生きた信仰の形がある、とも。
私はこの率直な述懐を読んで、電気が走るような思いをしました。なぜならこれは、私が最近「バッハのやわらかな信仰」という言葉で述べ、十分説明できていなかったことと同じことを述べている、と思ったからです。(続く)
BWV106に画期的な新説登場 ― 2008年03月20日 22時37分29秒
カンタータ第106番《神の時は最良の時》は、多くのバッハ・ファンが、愛してやまない曲。私も昨年相模大野で、マニアックな「徹底研究」コンサートを開きました。その成立事情に関するマルクス・ラタイの画期的な新説が、『バッハ年鑑Bach-Jahrbuch 2006』に発表されました。
「アクトゥス・トラギクス」(哀悼の式)と副題されるこのカンタータが、何らかの葬儀に演奏されたことは確実です。でもそれが誰の葬儀かについては、いくつかの薄弱な仮説があるのみでした。ラタイはそれを、ミュールハウゼンの市長、アードルフ・シュトレッカーAdolph Streckerの葬儀であるとします。シュトレッカーは1708年9月13日に84歳で亡くなり、16日に埋葬されました。同年2月14日に初演された市参事会員交代式用カンタータ《神は私の王》BWV71には80歳の老人への言及がありますが、それはこのシュトレッカーを念頭に置いたものだと、すでにメラメドが指摘しています。
シュトレッカーはとりわけ信仰深い人で、BWV106の出典となっているオレアーリウスの著作や神学思想に親しんだ世代に属していました。彼はかなり長い闘病の期間に、ルターの教えによりつつ死に備えることを学び、現世の苦しみと神の栄光の永遠を対比して、そのテーマによる追悼説教を望んでいたそうです。
追悼説教を行ったのはフローネ牧師(バッハの上司)で、そのタイトルは「時(Zeit)と永遠における真のキリスト者たちの救い」というものでした。これは、「神の時」という台本の冒頭(出所不明)と響き合っていますし、フローネの説教全体も、カンタータの思想と響き合っていると、ラタイは指摘します。1708年9月というとバッハはもうワイマールに移っていましたが、ミュールハウゼンとの音楽的かかわりは続いていましたので、不都合はありません。今後、通説化されるに違いない卓見だと思います。
有田夫妻、神品のフルート・ソナタ ― 2008年02月21日 22時21分07秒
ご案内した今年度の「バッハの宇宙」第2回レクチャー・コンサートが、14日の木曜日、相模大野グリーンホールで開かれました。「偽作の復権--フルート・ソナタの今」と題し、有田正広・有田千代子ご夫妻が出演されました。
1963年に新バッハ全集のフルート曲の巻(シュミッツ校訂)が鳴り物入りで出版されたとき、変ホ長調BWV1031、ハ長調BWV1033、ト短調BWV1020の、それなりになじみ多き3曲が省かれていたことに、当時われわれは(←私もフルートをやっていた)衝撃を受けたものです。それ以来、この3曲はレコード録音にもコンサートにもめったに登場しなくなりましたから、偽作のレッテルは、やはり重かったのでしょう。
真偽論争自体は、しかし尾を引きました。旧全集にも付録として載っているBWV1020はともかくとして、BWV1031、1033の2つは、息子のエマーヌエルが「J.S.バッハの作」として楽譜を遺しているのですから、バッハらしくないので偽作だよ、といって済ますわけにはいかないのです。
この2曲は、2004年に、駆け込みのような形で、新全集の本巻に含めて出版されました。ただしそれは、真作説が認められた、ということではない。重要なのは、次のようなことです。
新全集は、初期においては、真偽判定をしっかり研究して自作のみを収録し、それによって、バッハの音楽とはいかなるものかの輪郭をはっきりさせたい、という意向を掲げていました。しかし刊行と研究が進むにしたがって、バッハが他者の作品をたくさん筆写・演奏したこと、編曲をほどこしたものが少なからずあることがわかってきたのです。そしてその重要性が、認識された。たとえば、ペルゴレージの《スターバト・マーテル》にドイツ語歌詞を振った詩篇曲(BWV1083)がありますね。そうした曲もバッハ・ワールドに位置づけていかないと、バッハは正しくとらえられない、と考えられるようになってきたのです。疑わしきは排除せず--新全集半世紀の、認識の深まりです。
そこで、「偽作の復権」というコンサートを企画したわけですが、なにより、演奏がすばらしかった。音も技巧も桁違いの有田さんを、かつてはヴィルトゥオーゾのように思っていたこともあります。でも、今は違いますね。自分を抑制して、作品を生かす方です。それも、徹底している。BWV1031や1020は、フルートとチェンバロの右手が掛け合う、トリオの形で書かれていますが、その掛け合いが、今まで経験したことがないほど、絶妙に生きた。有田さんがフルート(モダン楽器使用)の響きを抑え、さらに抑えると、千代子さんのチェンバロが思いがけぬ強さと積極性で、輝く。そしてすぐ、その逆になる--そうそう、こうあるべき作品なのです。
有田千代子さんは、私の大学でも教えていただいていますが、平素はやさしく、控えめな方です。その方が気迫に満ちた、引き締った音楽を展開しておられるので、平素とはずいぶん違う印象だが、とマイクを向けてみました。すると、「バッハがそう求めていますので」との、驚くべきお答え。脱帽です。
わかっていても ― 2008年02月11日 21時27分42秒
10日(日)から、「すざかバッハの会」の新しいシリーズが始まりました。この会の運営の秩序正しさは特筆もので、スタッフが入念な打ち合わせのもとに早い時間から集合し、手分けをして立ち働いています。その様子を見るにつけ、ここに植えた苗を大切に育てたい、と思う私です。
「バッハ最先端!」などと題し、専門性を高める方向に舵を切りましたので、どのぐらいの方が集まってくださるか、確信がもてませんでした。その点では安心のできる結果で良かったのですが、私の講演に関しては多々反省の残る結果となり、未だ木鶏たり得ず、という言葉を思い出しました。
私も人前で話すことは多いですから、それなりに努力と工夫は重ねてきました。でも、課題はいぜん多い。いちばんむずかしいのは、時間配分です。どうしても、素材を準備しすぎて、時間が足りなくなる。本当は、素材を少なめにしておいて、丁寧に、余裕をもって説明するのが上手なやり方です。素材が多すぎると、なんとか消化しようと駆け足になり、テーマをじっくり掘り下げることができなくなってしまうのです。わかっていても、そうなってしまいます。
今回は、新バッハ全集について、変ホ長調のプレリュードとフーガ(大曲です)についてお話しした前半が長くかかったため、後半の《マタイ受難曲》に、時間がなくなってしまいました。礒山が《マタイ》の話をするから覗いてみよう、という方が相当いらっしゃったようなので、申し訳ないことをしました。
話ながら自分で感じていたのですが、私はことバッハになると、一所懸命説明しよう、というスタンス一点張りになってしまう。本当は、リラックスして話を楽しんでいただきながら、大事なことを少しずつ織り込んでいく、という方がいいはずです。このあたりは、今後の課題として勉強したいと思います。
ともあれ、竜頭蛇尾は、確実に避けることができました。次は、4月13日。またがんばります。
旧著の見直し ― 2008年01月30日 23時05分25秒
翻訳のむずかしさについて書いたのは、拙著『マタイ受難曲』(東京書籍)が増刷していただけることになり、全体を見直して、訳にも多少の修正を行ったためです。細かいことがいくらでも書いてある本で、途中で退屈し、居眠りしてしまいました(笑)。大勢の方がよくこれを読んでくださっているものだと、驚くやら、ありがたいやら。一般の方には不必要なことも多いかと思いますが、執筆も学者の職責のうちなので、学術書として認めていただくために、どうしても専門的な情報の記述は必要なのです。好きなだけ書いていい、と言ってくださった東京書籍に感謝します。
年と共に文献は増えますし、CD、DVDも出てきます。今回、ページ構成を動かさない範囲で、なんとか、補遺を滑り込ませました。CDでは一貫してレオンハルト盤を推薦していますが、今回聴き直して、アーノンクールの3度目の録音が、じつにすばらしいという印象をもちました。最高の歌手をずらりと揃えながら、指揮者の統率で、言葉のメッセージに強く集中した演奏になっています。たいへんな貫禄。純粋古楽の様式ではもはやありませんが、古楽とモダンの接点を追究したいと思っている私には、とても勉強になりました。
足らざる情報、欠けている勉強を何とか補いつつ、前進しています。
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