新しい気持ちで ― 2009年08月11日 23時37分35秒
ちょっとぎくしゃくしたところをお見せしてしまいました。すべて私の責任です。私のブログは本当に読み手に恵まれていて、いままでいただいたコメントに心ないものがひとつもないのは、驚くべきことだと思っています。ダヴィデヒデさんにも、つねづね感謝しております。
超若い女性さんがおっしゃるように「皆さんの人間らしい生き生きした会話」ができる場でありたいと私も念願するのですが、それができるのは、それを「楽しんでいる」とおっしゃってくださる方々が支えてくださるからです。その信頼感というか、一種の寛容さに甘えさせていただいて、建前でないトークを楽しむ、というのが、本来一番いい形ですよね。
この先の部分、どうも話が深刻になってきてしまったので、ブログの楽しさを取り戻した後、頃合いをみて掲載することにします。説明不足で申し訳ありませんが、とりあえず、気持ちの切り替えを優先させてください。
余命 ― 2009年08月12日 22時49分44秒
自分の死の時は、あらかじめわかったほうがいいでしょうか、わからないほうがいいでしょうか。
ほとんどの方が間髪を入れず、「わからない方がいい」とお答えになると思います。わからないからこそ、死を脳裏から遠くに追いやって、安穏と生きていられる。私もそうです。
そうしたら最近、ガンで亡くなった方(たしか有名人)の闘病をたどるドキュメント番組で、余命1年の患者さんが「わかったらどんなにいいか」と発言しておられたので驚きました。大きな不安に取り憑かれる状況では、わからないことのほうがずっと恐ろしい、ということのようです。これには、考え込んでしまいました。
相手が「死」でなかったらどうでしょう。夏休みが終わるのを恐れている毎日ですが、いつ終わるかわからないほうがいいか、わかっているほうがいいか。遠からず定年を迎えますが、いつ定年になるかわかっているほうがいいか、わからないほうがいいか。どう考えても、わかっているほうがいいですよね。計画を立てて、有効に対処できますから。
でもそう考えると、相手が死でも本当は同じことなのではないか、という疑念が湧いてきています。
便利なものはあるもので ― 2009年08月13日 22時02分39秒
東芝のDynabookSSを買って、かれこれ2年ぐらい使っています。しかし携帯電話でメールを見られるようになりましたから、持ち歩くのは、仕事をしながらの遠出か、プレゼンテーションのおりぐらい。ノートではどうしても、仕事をしずらく感じます。
立川のビックカメラで購入するさい、当然のように、1ギガのメモリを付けてもらいました。さあ増設しようと思ったら、ネジが固く締まっていて、びくともしません。どうしても動かないので、ビックに持参しました。店員が大きな器具を持ち出して試みてくれたのはいいのですが、やっぱり動かず、「すみません」という話に。責任もってくださいよ、という言葉がのどまで出かかりましたが、まあそのうち東芝にもっていくか、ということで、引き上げてきました。
その後チャンスがないまま、少ないメモリで使い続けていました。しかし世の中には、便利なものがあるのですね。「ネジやま救助隊」という軟膏のようなチューブを見つけたのです。
この軟膏を1滴ネジ山に垂らす。そして渾身の力を込めると、なんと、動いたじゃありませんか。ネジ山のつぶれるのを防ぐ働きがあるのだそうですが、まるで魔法のようです。
おかげでVISTAを、増えたメモリで動かすことができるようになりました。これって、誰でも知っていることですか?
オペラの鑑賞数 ― 2009年08月14日 22時28分23秒
大整理を続行していますが、私がドイツ(ミュンヘン)にいた2年間に見たオペラの一覧表が出てきました。全部で56演目のオペラを、のべ106回見ています。上位は、次のようになっています。
1.ワーグナー《マイスタージンガー》 8回
2.モーツァルト《フィガロの結婚》 7回
3.ワーグナー《トリスタン》/J.シュトラウス《こうもり》 5回
4.シュトラウス《ばらの騎士》4回
5.モーツァルト《コシ》 《魔笛》/ワーグナー《オランダ人》 《タンホイザー》 《ローエングリン》 《パルジファル》/ヴェルディ《ドン・カルロ》 《オテロ》 3回
作曲家別にすると、ワーグナーが34でダントツ、次がモーツァルトの18、ヴェルディの11、シュトラウスの8、プッチーニの7と続きます。ワーグナーが多いのは、私のいるときに没後100年が訪れ、音楽監督だったサヴァリッシュが全舞台作品の上演を敢行したため。これに2度にわたるバイロイト詣でが加わりました。《こうもり》、《ばらの騎士》は、カルロス・クライバーが常時指揮をしていた曲目です。こうしたおりに集めたプログラムを、ばっさりと捨てたわけです(笑)。
進歩もいいけれど ― 2009年08月15日 23時21分46秒
DVDプレーヤーに併せてBDレコーダーを購入し、AV関係の環境が一通り整いました。ブルーレイディスクというものも初めて使ってみましたが、大容量は、たしかにありがたいですね。1枚で、本当にたくさんの情報を収められる。でもこれで音楽ソフトを作るとなるとたいへん。市場はどうなるのでしょうか。
CDがDVDになったのも、ついこの前のような気がするのです。当時は気が遠くなるほど大容量、と思っていたのですが、いまではシステムのバックアップ・ディスク作成にさえ、何枚も必要ですよね。すごい発展ぶりです。
私が困ったのは、DVD-RAMを使ってきたことです。私が導入したときにはディスクがケースに入って、保護されていました。しかしふと気がつくと、プレーヤーのマルチメディア化が進む一方で、パナソニックのレコーダーさえ、ケース入りのDVDを使うことができなくなっているのです。そこで、ケースをひとつひとつバラして取り出し(割らなくちゃならないのもあり)、BDに移す作業をしています。
こういうことって、本当に困りますよね。でも一番困っておられるのは、HD-DVDを買われた方かもしれません。
アルンシュタットからのメール ― 2009年08月16日 22時24分24秒
《マタイ受難曲》公演ツアーからとうとう2ヶ月経ってしまいました。昨日ようやく、ケンブリッジ・コンツェントゥスの方々にお礼状を執筆。英語を書くのは時間がかかるので、ドイツ語で書き、ウルリーケさんに英訳してもらうことにしました。併せて、ブログのいくつかと、皆様からいただいた感想も独訳して送りました。
間もなくリフキン先生から返信が来ましたが、なんと、バッハが若き日を過ごしたアルンシュタットからで、これからバッハ・アンサンブルのコンサートをするとのこと。メールの最初の方を訳してみます。リフキン先生特有の修辞的表現をご理解いただくために、わざと直訳にします。
「貴兄のすてきなメールは、私をアルンシュタットで見いだしました。ここで私は今夜、バッハ・アンサンブルとコンサートをするのです。完璧な音響をもつすばらしい古教会で行われる、まったく特別なコンサートです。この教会は、長いこと放置されたままでしたが、最近行政の手で修復されました。ですから貴兄のメールは、私の現在の音楽生活の中心であるドイツと日本を、この上なくすてきな形で結びつけたことになります。」
このあと、皆様の感想を感動して読んだこと、心が伝えられたのであれば音楽家としてこれ以上の喜びはないこと、などが綴られていました。 ありがたい感想をくださった方々に、あらためて御礼申し上げます。
修士号? ― 2009年08月17日 22時52分52秒
新聞で面白い記事を読みました。ドイツの女性の提出した修士論文が話題になっている、という内容です。この女性は、トイレの落書き700件を収拾して分類・考察し、人間は「思い込みで自己主張する派」と「自分の意見はないのに他人の欠点をあげつらって攻撃する派」の2つに分かれる、という結論を導き出したというのです。結局人間はこの2種類しかないのかもしれない、というオチがついていました。
なかなか、辛口な発想ですね。でも人間、それほどひどくはないと思いますよ。小さな新聞記事でどこまで論評していいかわかりませんが、私が思うには、トイレに落書きするのは特別な人であり、その特別な人が、2つに分かれるというだけのことではないでしょうか。それにしても、これだけ丹念に読んで記録にさえしてくれれば、落書きした人は本望でしょうかね。
独創的な切り口とは言えるとしても、大学のトイレの落書きを700件集めただけで、修士号が取れるものでしょうか。どういう専攻かわかりませんが、ちょっとお手軽なように思えます。ちなみに著者は、キャンパス内の40のトイレを巡回して情報を集めたそうです。
頭のいい人 ― 2009年08月18日 22時38分03秒
覚醒剤の話が一段落して、テレビに選挙の話が戻ってきました。私は非政治的なのですが選挙は好きで、開票速報をいつも楽しみにしています。今年はその日が須坂なので、温泉でビールを飲みながら眺めることになりそうです。
で、いまテレビに自民党の細田幹事長が出演していたのですが、たいへんな頭脳の持ち主ですね。古舘伊知郎を子供扱いです。すっかり感心してしまいました。
一見おっとりと見え、カリスマ性を感じないのですが--だから幹事長に登用されたとき、もっと違う人いないの、と思ったわけですが--頭の回転の速さといい弁論術といい、ずば抜けています。そしてそれが目立たないというのが、まことに、一筋縄でいかないわけです。世の中にだいぶそのことが認知されたとみえ、女子大生の人気が急上昇とか。私も一票です(あ、選挙の票という意味ではなく)。
私は、権力者の目というのを知っているつもりなのですが、細田さんはやさしい目ですね。でも時が時なら、こわくもなるのでしょうか。
思い出のソプラノ ― 2009年08月19日 22時14分21秒
ヒルデガルト・ベーレンスさん、草津で亡くなったんですね。夕刊で知りました。レヴァインとメトロポリタン歌劇場の記念碑的な《リング》は、彼女のブリュンヒルデなくしてはありませんでした。巨人的なブリュンヒルデでなく、女らしさのいきわたる役作りが印象的でした。
今、持っているだけだったDVDに少しずつ目を通しているので、一世代前の歌い手たちと再会します。ベーレンスさんと別の意味でいいソプラノだったなあ、と思うのは、チェコ(スロヴァキア)のガブリエラ・ベニャチコヴァーさん。ジョルダーノの《アンドレア・シェニエ》を見たのですが、全盛期のドミンゴ、カプッチッリにはさまれて、じつにしっとりとした、やさしいマッダレーナを歌っています。
サイトウ・キネン・フェルティバルでヤナーチェクの《イェヌーファ》が上演されたとき、主演した彼女のステージが「イェヌーファ千回目」とアナウンスされ、度肝を抜かれたことを憶えています(百回の間違いじゃないか、と思いました)。千回と言えば、1週間に1回歌っても20年近くかかるわけですよね。世界中の《イェヌーファ》上演に呼ばれていた、ということでしょう。ポップ、グルベローヴァといった後輩に比べると地味な存在かもしれませんが、心のある、いい歌い手でした。
ハイドンの愉しみ ― 2009年08月20日 23時54分39秒
没後200年を迎えたハイドンの音楽、皆さん、楽しんでおられますか?けっして盛り上がっているようには思えませんよね。大音楽家として知られ、尊敬されていても、人気はもうひとつ盛り上がらないように見受けられますが、それは、日本だけではありません。ウィーンのハイドン記念館も閑散としていて、トイレさえないのには往生しました。
外国のことはともかくとして、ハイドン人気が日本でもうひとつなのは、日本の音楽ファンが音楽を情緒的に聴く傾向があるからではないかと思います。音楽に感動を求めるスタンスを捨て、あたかもからくり屋敷を探検するような好奇心で音に耳を傾ければ、ハイドンほど面白い音楽も、そうありません。
そう思ったのは、ノリントン指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団のDVD(ヘンスラー)を見たから。第96番《奇跡》、第101番《時計》、第1番の3つの交響曲が、ユーモアとウィットの固まりのように演奏されていて、こういう音楽を楽しむゆとりをもちたいな、と思いました。
ハイドンの輸入DVDでは、アンドラーシュ・シフが解説しながらピアノを弾いているフンガロトンのDVDが圧巻です。頭が指に直結しているように見事にコントロールされたピアノで、形を作りながら形をこわし、形をこわしながら形を作っていくハイドンの楽想が生き生きと表現されています。
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